わたしの体を診る
緊張のせいか、喉の奥が焼ける。呼吸が浅い。腹の奥で、何かがじわじわと膨らんでいくような不快感がある。痛みは消えていない。むしろ、さっきより“はっきりしてきている”。
「……落ち着け」自分に言い聞かせながら、鼻からゆっくり息を吸う。さっきまでの混乱は、もうない。頭の中で、ばらばらだった知識が、少しずつ形になっていく。
――まずは、症状。
「吐いた……腹痛……汗……寒気……」吐いた → 胃?寒気 → 感染?指を折るように、一つずつ確かめていく。
食べすぎ?違う。それだけで、こんな痛みにはならない、と思う。
食中毒?可能性はある。でも——「……下しては、ない」小さく呟いて、首を振る。それなら、もっと別の症状が出るはずだ。今の状態で済んでいるのは、おかしい。
「……じゃあ、どこが痛い?」自分の腹にそっと手を当てる。ゆっくり、やさしく押す。場所を探るように、順番に確かめていく。
知識だけは多い。でも、それが正しいとは限らない。ひとつずつ当てはめて、違うものを外していくしかない。
「……ここは、まだ平気……」胃のあたりに触れながら、ゆっくり押していく。あの世界では聴診器、エコー、レントゲン、CT、MRI、内視鏡、PET検査....。その他様々な検査を受けた私だけど、まさか自分の体と手の感覚のみで自分を診察してみることになるとはね....。
少し上。違う。左。違う。
呼吸を整えて、さらに下へ。
――右側。みぞおちのあたりに、引っかかるような違和感。
指先に意識を集中させる。
ぐっと、押し込んだ瞬間——
「……っ!!」息が止まる。さっきまでとは比べものにならない鋭い痛みが突き刺さった。反射的に体が跳ねる。
「……ここ、だ……!」震える声が漏れる。目から涙がこぼれる。ただ痛いんじゃない。押したときに、強く痛む。
――圧痛。
言葉が、自然と浮かぶ。「……右、おへそに向かってすこし下……」もう一度、そっと触れてみる。やっぱり、そこだけが異様に痛い。指を離したあとも、ドクン、ドクンと心臓に合わせて痛みが残る。
「……なんで……」
わかるはずがない。
ここは、あの世界じゃない。
薬も、道具も、検査もない。それなのに——
「……わかる」喉の奥から、言葉がこぼれた。
吐き気。
発汗。
局所的な圧痛。
そして、じわじわと強くなる痛み。「……これ……」ひとつの名前が浮かぶ。
「……虫垂炎……?」
口に出した瞬間、背中に冷たい汗が一気に流れた。
せっかく——もう一度、生きられると思ったのに。治せると思ったのに。そんなの、ありえない。だってこれは「……手術、が必要な……」喉がひゅっと鳴る。この世界に、手術なんてあるのか。いや、それ以前に、このまま悪化したら——
「……死ぬ」言葉は、やけに静かに落ちた。不思議と恐怖はなかった。ただ、理解してしまっただけだ。このままじゃ終わる。前と同じように。何もできずに。
「……ふざけないで」思わず吐き捨てる。汗を吸って重くなった布団を、強く握りしめた。心の奥で、前世の記憶がきしむ。何もできなかった。知っていても、どうにもならなかった。あの白い部屋で、ただ終わるしかなかった。——でも。
「……今は、違う」自分で言い切る。知識がある。体は動く。時間も、まだある。「……できること、あるでしょ」痛みか緊張か、震えが止まらない。「焦るな」自分に言い聞かせて、ゆっくり息を吐く。「……やるしかない」
全部は無理だ。完璧な治療なんて、この世界じゃできない。……いや、それはあの世界でも同じだった。だから——「……悪化は、防げる」そこなら届く。そこまでなら、やれるはずだ。
手術は、無理。なら——自然回復に賭けるしかない。
「……は?」思考が一瞬止まる。今、なんて考えた?「……ちょっと待って……虫垂炎ってことは……抗菌薬?」口に出した瞬間、思考が停止しかける。そんなもの、この村にあるのか?医者すらいないのに。
「なんで」乾いた声が漏れる。だったら——このままじゃ、遅かれ早かれ——「……死ぬ」腹の奥が、どくんと脈打った。
転生先でもすぐ死にそうな運命に、どこからともなくこの世界に対する怒りがわいてきて、左目がぴくぴくと痙攣してくる。……つくづく、運が悪いというか....。神様がもし存在するなら、「どんだけ私を殺したいのっ」小さく、吐き捨てる。
でも、止まってる時間はない。とりあえず、対症療法で悪化をなるべく遅らせて、その間に抗菌薬か手術の道を探すしかない....。
対症療法。進行を遅らせる。時間を稼ぐ。
やるべきことは、シンプルだ。 ――動かない。負担をかけない。
無意識に腹に当てていた手を、はっとして離す。温めるのは、逆効果。
「……まずは……」目を閉じる。痛みの波をやり過ごしながら、
考えろ。
使えるもの。
頼れる人。
「……バル婆……」今、両親はいない。出稼ぎで、戻るのは明日の予定——いや、延びることもある。
「36時間」炎症が進んで、虫垂が破裂するまでの猶予。つまり——終わりだ。破裂=死。そう考えるなら、両親の帰りは待てない。
でも、バル婆にどう説明する?“虫垂炎”なんて言っても伝わらない気がする。そもそも、病気に名前があるって発想自体が、この村にあるのかも怪しい。
——それでも、生きたい。
「……話せるうちに」相談役でも、誰でもいい。この世界に抗菌薬や手術があるか、確かめる。”話せるうちに”——その判断ひとつで、生きるか死ぬかが分かれることを、わたしは知っている。
「……っ」痛みがまた波みたいに押し寄せる。でも、ただ耐えているだけだった朝とは違う。苦しい。それでも——考えている。選ぼうとしている。
——わかっている。
それだけで、こんなにも違う。もう一度、呟いた。「……わたしは、わたしを治すんだ」
目を開く。天井が揺れる。痛みは消えない。
足音が近づく。レンが、バル婆を連れて戻ってくる。
——間に合って。




