知らない臓器
薬師様はテンが寝ている布団の横に腰を下ろした。テンの腹の上に手をかざす。触れずに、ほんの少しだけ腹から手を浮かせている。
「……じっとしていろ」
薬師様が低く言う。テンは黙って頷いた。レンも息を殺してそれを見守る。
テンが動かないように意識を集中していると、じわりと何かがやってきた。
冷たいわけでも、温かいわけでもない。何かが体の奥に入ってくるような。食べたり飲んだりしたものが喉を通るときのような、見えないものが体の中に侵入してくる感覚。
内臓を、触られているみたいだった。痛くはないけど気持ち悪い。
薬師様の目が、腹の一点を見ている。
「……痛むのは、このあたりで間違いないか」
ぽつりと呟かれた言葉。薬師様の指先は、テンの腹の右下のあたりを指していた。さっき自分で特定した場所とほとんど同じところ。でも、薬師様の目が、その場所より少し下を見ている気がした。
「……うん」
「腫れている」
薬師様はテンの腹から手を離して、考えるように太ももの上で指を組んだ。そしてテンの顔を見もせずに言った。
「お前はこの痛みを何だと思っている」
その問いに、テンは一瞬病名を出すか迷った。目線を動かして部屋の中を見回す。助けてくれる人はこの人だけだ。
「……虫垂炎」
テンが言った瞬間、薬師様の眉がわずかに動いた。
「……なぜ、そう思う」
「吐き気、発汗、局所の圧痛……あと、痛みが段々強くなっているから」
「……違う」
「え」
「虫垂ではない」
薬師様は再びテンの腹の一点を指した。
「ここだ」
そこは、先ほど薬師様が見ていた所。本来虫垂がある場所よりほんの少しだけ下。
「ここには、魔力を溜める場所がある」
――魔力を、溜める場所? そんな場所は、知らない。
「それ……なに」
「霊門だ」
「……れいもん」
「魔力を溜める臓器だ」
テンは上手く言葉をのみこむことができなかった。
「お前のそれは、異常に膨れている。だから、周囲を圧迫して痛む。……放っておけば、どうなるか分かるか」
テンは、素直に首を横に振った。薬師様が諦めたようにため息をついて言った。
「破裂する」
破裂。その一言があちらの記憶と重なる。行き着く先は、やっぱり同じ。テンは天井の藁の一本を見つめて薬師様に聞いた。
「助かるの?」
薬師様はテンを見て、それから考えるように腕を組んだ。
「処置次第だ」
「……どうしたらいいの?」
「霊門を、割る」
薬師様はそう言ったあと、腰の袋の一つに手を入れた。
小さな布と、銅色の細長い棒のようなものを取り出す。手の平より少し長いそれは、テンが見たことのない道具だった。
それから小さく息を吐いて、手にした道具を、またゆっくりと袋の中へ戻していく。テンは、その手の動きを、ただ目で追った。
「……割らないの?」
テンは、思わずそう口にしていた。
薬師様は答えずに、ただもう一度テンの腹に手をかざす。何かが身内に侵入してくるあの感覚が、再びみぞおちのあたりに広がった。沈黙が続くほど、不安がふくらんでいく。薬師様の手は、痛む場所を通り越して、もっと奥を、もっと長く探っている、そんな気がした。
やがて薬師様は腹から手を離し、静かに口を開いた。
「……急がなくてもいい。今すぐどうこうなるわけじゃない」
「それで、治るってこと?」
要領を得ない答えにテンは噛みつく。薬師様はそれを無視して立ち上がって言った。
「……今日は、何も食べず寝てろ。数刻たてば普段通りになる。まあ……しばらくは、な」
薬師様がテンに背を向ける。そのまま部屋を出ていくかと思ったが、独り言のように呟いた。
「……虫垂なんて言葉を、どこで覚えた」
テンは答えなかった。
薬師様の、冷たい氷のような目がテンに向けられた。あの目だ。しばらくの間、薬師様は何も言わずにじっとテンを見ていた。それから急に興味を失ったように視線を外し、まあいい、と言って、今度こそ本当に部屋を出ていく。
足音が遠ざかり、完全に聞こえなくなったところで、ようやくテンは息を吐いた。
「テン……大丈夫?」
テンはぎこちなくレンに笑いかける。少しだけ考えてから答えた。
「……みたいだね」
腹の痛みは変わらない。でも、それ以上に今の一連の流れの違和感のほうが大きかった。
「しばらくすれば元通りって言ってた、よね?」
念を押すみたいに、レンが言った。
「……うん」
テンはレンに頷いてから、つばを飲み込む。唇の片方を上げて笑ってみせた。
「もう食べすぎないようにしないとね」
レンが少しだけ笑ってくれた。
テンは痛む場所から手のひらを少し浮かせて、かざしてみる。
……自分に魔力を溜める臓器があるとは思ってもいなかった。
魔法は、知っている。仕事として魔法を使う人もいるらしい。だけど、それは自分には一切関係のない世界だと思っていた。
それに、どうして途中で気が変わったのか。
痛みの波をやり過ごしながら、薬師様の”しばらくはな”という声を、頭の中で何度も繰り返した。




