流霞の屋台
テンは、揺れる馬車の中で両手で体を持ち上げて座りなおした。そして深く息を吸って声を張る。
「ゲンさん、お尻が痛い! 速度を落としてと言ったじゃない!」
浅黒い肌のゲンさんと呼ばれた男は、手綱を器用に操って少しだけ馬の足を緩める。
「あと半刻っばかりだからよ、我慢しな! 嬢ちゃん」
「もう」
テンは、もう何度目か分からない御者とのやり取りにため息をつく。
速度を落とすようにお願いするとしばらくはゆっくりになるのだが、徐々に速さが上がっていってしまうのだった。
いつだったか目の前を何かが横切ったらしく、予告もなく急に止まって、危うく座席から放り出されて首の骨を折るところだった。
テンは、透かしの窓の枠に爪で小さな傷をつける。爪の間に入った黒い木くずを、軽く吹いて飛ばした。小さな傷は既に三十ばかり。ただ、無理な姿勢にならないと見えないような位置なので誰にもばれないだろう。
「あと、どのくらいかかるんだろう……」
「ああ? なんか言ったか!?」
独り言のつもりだったのに。またうるさいやり取りがはじまるのを予感してげんなりする。でも、もう一度テンは声を張った。
「あと、どのくらいで龍京につくんだっけ?」
「玉春の前までにはつくといいなあ! おれも、この馬車の上で年を越さないように急いでるから、まあ大丈夫だろう」
大きなだみ声でゲンさんは言った。テンは、毛布をしっかり被りなおして暖気が逃げないように体にぴったりそわせた。
「今はたしか星月、って言ってたわよね。そしたらあと何日くらいでつくの?」
「そうだ星月。よく覚えたじゃねえか! あと、……二十日ってところかな」
二十日。思っていたよりも随分早い。あの人が居なくなってから運転が粗いとは感じていたが、どうやら随分急いでいてくれたようだ。
都の龍京まで、石麦村からみつきかかるとゲンさんから言われていたから、半分近く巻いている。石麦村、あの村がそう呼ばれていることもゲンさんが教えてくれた。少しだけ感心しているとゲンさんがまた怒鳴った。
「嬢ちゃん! 奉公先に早く着くのは問題ねえよな?」
「そんなの……わたしに聞かないでよ! あの人はなんて言ってたの?」
「いやあ、おれは渡された銀片ばっかり気にしちまってよお! 何しろ見たこともねえくらいの大金だったから話なんて行先しか覚えてねえのよ!」
大きな笑い声と共に話された内容にテンは全く笑うことができなかった。
早く着いてしまって良いのだろうか? 貴族のお邸のルールは全く分からないけど、来ると言われていたひとつき以上も前に着いたら問題にならないだろうか。
もし、お邸のお手伝いなんかなら、早く着いたことを逆に喜んでもらえるのだろうか……。
テンは再びため息をつく。いずれにしても着く先は同じ。お尻が痛かろうと、相手先に迷惑がかかろうと、ゲンさんが急ぐ以上従うしかないのだ。
「ほら! 街に着いたぞ! 嬢ちゃん、起きろ」
テンは、ゲンさんに体を揺さぶられて身動きをした。どうやら馬車の中で座りながら眠ってしまっていたようで、あちらこちらが痛かった。伸びをしながらゲンさんにたずねる。
「今日はなんてところなの?」
「流霞だ。喜べ、嬢ちゃん!」
「……なに?」
「ここはな、海が近くなってきてるからよ、海の魚が食べられるかもしれねえ! 馬車を停めた場所を忘れるなよ」
外を見るとすでに暗くなりかけている。でも暗がりの中でもゲンさんが笑っているのが分かった。
ゲンさんが馬車を停めるのはいつも街から少し離れた道沿いや、門の脇だった。今日も、馬車は門の脇に停められていて、降りる時に街道を行く人からの視線をちらちらと感じる。テンは不思議に思ってゲンさんにたずねた。
「ねえ、どうして馬車で街に入らないの?」
「国用車で街に入ったら目立ってしょうがないだろうが」
「国用車?」
「そうだ。国からの借り物で屋台に乗り付ける馬鹿がどこにいる? そこから貴人が降りてくるならまだ分かるだろうが、降りてくるのがお嬢ちゃんなら店の人はどう思う?」
「……偉いひとのおつかいだと思うかしら」
「馬鹿おめえ、どこぞの偉いひとのお遣いがこんなぼろを着てるかよ。降りてきたやつからぼったくろうと思ってた屋台の店主も困惑しちまうだろ? だからそれを未然に防ごうってことよ」
テンは、馬鹿と言われたことに少し腹がたった。それに、そんな理由で街の中までしばらく歩くのは納得できなかったから、さらに聞く。
「でも、こんなとこに馬車を放っておいたら危なくないの」
「あのなあ、国のもんに手を出すやつなんか居るわけねえだろ? ほら、手をつなぐぞ。流霞はでっけえからよ、この間みたいにはぐれられたら困るからな」
確かに……。少し前のこと、通ってきた小さな村でお祭りをやっていた時、屋台に出ている食べ物が物珍しくて少し見入っていたらゲンさんとはぐれてしまったのだ。
すぐに馬車へ戻ればよかった。でも、はぐれたら動くな、という良く分からない言葉を思い出してしまって。結局、祭りが終わって人がまばらになるまで、屋台の前で待ち続けたのだった。
「わかってるってば」
テンはゲンさんのたこだらけの手をとった。今まで触った誰よりかたい手のひらだ。しっかり手を握ってから先程からの笑顔の訳をたずねる。
「ゲンさん、すごく嬉しそうだね」
「そうか? いや、そうかもな。おれは海の魚が一番美味いと思ってるからよ。それが食えると思うと嬉しんだ」
「ふうん」
テンは、ゲンさんの言葉に生返事をしながら街に入る門を見上げた。今まで潜ってきたどの門よりも、大きいかもしれない。
「そういえば、さっき馬車が借り物って言ってたわよね」
「ああ。そうだ、ほら、ふらふらするな。」
テンは、うん、と言いながらも、色とりどりの提灯や、飴なんか売っている屋台を見回しながら歩く。ゲンさんの手は、それより先にある食べ物を売っている屋台を目指して連れていく。
「じゃあ、わたしたち、あの馬車で寝泊まりなんかしちゃっていいの?」
「そりゃあ、お前が薬師様に話さなけりゃばれないだろ?」
「それもそうね」
待て。ということは、やっぱりあの馬車で寝泊まりするのはだめってことではないか。寝泊りだけでなく、毎日ご飯まで食べる場所にしているのに。
テンはゲンさんを見上げて、冷ややかな視線を向けた。ゲンさんはそれに気が付くと、テンをからかうように顎を突き出して両方の口角を引き上げた。
「ほら、着いたぞ」
着いた先、ゲンさんの言う屋台は、様々な屋台の中でも一際目立っていた。
一つの屋号なのに二、三軒分の大きさがあるだけでなく、店先に並んでいる魚がキラキラしていてちっとも生臭くなかった。店員も数名いて、どの人も大きな声で色々な魚の名前を宣伝している。
「嬢ちゃんは、なんにする? 海の魚、食ったことあるか?」
「ないと思うわ」
海は、私学の先生から聞いたことだけある。大きな川だと聞いたけど、今目の前にある色々な種類の魚を目の前にすると、村の川に居る魚とは違うみたいだった。それとも、実はあの川にも居たのだろうか。
「そんじゃあ、食べやすい鉄身か帰川にしな。あの赤身の色を見てみろ。最高にうめえぞ。あとは……あれが帰川だ。脂がのってて子どもはみんな好きだな」
テンは、帰川、と呼ばれた魚を見た。それは美しい橙色をしていて本当に脂で光っていた。なぜか無性に懐かしいような、お腹が空くような気がして自然と喉の奥が鳴った。
「ええと、帰川、ああ、やっぱり鉄身……う、やっぱりどっちも、は駄目よね?」
「どっちかにしとけ。ここは飯の量も多いんだ」
「迷っちゃうなあ……ゲンさんはなににするの?」
「おれはもう決めてんのよ。兄ちゃん、そこの長刃を焼いてくれ」
ゲンさんが指さした先には細長くてまるで長い包丁みたいに薄い魚がいた。
やっぱりこんなのは村の川で見たことがない。ゲンさんがお兄さんに自分と、テンの分のお代を渡す。魚二つで朱文一枚のようだ。お兄さんが、まいど、と元気よく言って細長い薄魚を焼き場に持って行った。
「おい、決まったか?」
ゲンさんがテンに話しかける。テンはまだ決められなかった。目をあちらこちらに動かしながら、ううん、とうなっていると先ほどのお兄さんが戻ってきてテンに向かって言った。
「お嬢ちゃんは何にしやすか!」
「ええと、少しだけ迷ってもいい?」
若いお兄さんは、へい、と言って別の人の注文を取りに行く。ゲンさんが呆れたような声でテンに話しかけた。
「この先も魚は食べられると思うから、まずは一番食べたいものを選んじまいな。……おれは、酒とおまえの飲みもんを調達してくるからよ。それまでに決めとけ。ここ動くんじゃねえぞ!」
ゲンさんはそう言って、テンを残して、別の屋台に向かった。
一番食べたいものが選べないから困っているのだ。悩んでいるうちに、別の客から戻ってきたお兄さんがまたなににするかと聞いてきた。テンはよく考えて答える。
「ねえ、帰川と鉄身とあとその茶色のお魚を小さくして焼いてもらうことって、できないわよね?」
「小さくして、ですかい?」
「そう。全部美味しそうで迷っちゃって決められないの。できない?」
お兄さんは怪訝そうにテンを見てから、聞いてきやす、と焼き場に走っていった。やってくれるだろうか、と伺っていると、年を取った小さなおじいさんに、馬鹿やろう、と怒鳴られているのを見てしまった。お兄さんが怒鳴られているのを見て、テンもすくみ上がる。そこにお兄さんが戻って来た。
「すんません! ……できやせん!」
「無理言ってごめんなさい! あの……全部焼いてもらうことはできる?」
お兄さんは、へ、と言ってテンを見る。テンは、自分のために怒鳴られたお兄さんに申し訳ないのと、全部を食べたいのとで、とっさにそう言った。
「お金ならあるの! 帰川と鉄身とあと地味な色のお魚、三つとも焼いて!」
「へ、へい! まいど! 3本、焼き入りました!」
お金ならある。レンの朱文も、置いてきたはずなのに、なぜか袋に入っていた。でもそれはここで使わない。テンは、追加分の朱文一枚を渡して焼きあがるのを待つことにした。
テンは、隣を歩く男から嫌な視線を感じながら馬車までの帰り道を歩いた。両手が塞がっているから、手はつないでいない。
「おい、嬢ちゃん」
「……はい」
「そいつはなんだ」
「……お魚」
「うん。お魚だな。ただ、おれの目には随分沢山に見えるんだが……おまけしてもらったんだよな?」
「う、まあ、大きいのを焼いてくれたっていうのをおまけと言うなら、おまけしてくれたみたい」
「はあ……」
ゲンさんはわざとらしいため息をついて、金はどうしたんだ、とテンにたずねた。飲み物を片手に持ち直して、テンの手から焼き魚を包んだ大きな葉でできた皿を受け取る。
「まえに糞……肥料運びの仕事を手伝った時にもらったお金を使ったの」
「そうかい。……でも、薬師様から食事分も金はもらってるからよ。後で渡す。でも、もう無しだぞ。魚は半分こだからな?」
「良いのよ」
「良いって?」
「お金は良いの。どっちにしても食べてみたいお魚だったし、わたし大食いだから食べられると思うわ」
「さいですか」
馬車に戻ったあと、テンは、床に薄紙を敷いて、その上に葉でできたお皿を並べる。実は小さな机があるにはあるのだが、ゲンさんの言った通り、随分量が多かったうえに、お兄さんがおまけをしてくれたからとても机にはおさまりきらなかった。
「なんだか行儀が悪い気がするけど、いいか」
「うまけりゃなんでもいいさ」
ゲンさんはさっそく酒の蓋をあけて言った。テンにも竹の器に入った飲み物を渡す。テンは飲み物に蓋をしてる硬紙でできた蓋をあけて匂いをかぐ。
甘酸っぱい匂いがした。正直に言うとお湯が飲みたかったが、ゲンさんに悪気はないので言わない。
「ありがとう」
「ほら、食ってみろ! 嬢ちゃんがえらんだのは、南風だな。今の時期は夏のころより濃厚でうまい」
茶色のお魚は南風というみたいだった。お皿の上で、南風の身をほぐしてご飯の上にのせる、そのまま口にはこんだ。
「……全然、違う」
「あんまりだったか」
「ううん。美味しい。……うちの近くでも魚が釣れるんだけど、よく似ていたから味も似てると思ったのよ。でも全然違うみたい」
「どっちの方が好きだ?」
「わたし、海のお魚の方が好きかもしれない」
ゲンさんは長刃と呼ばれた薄い魚をそのままがぶりとやって、おれもだ、と破顔した。
すすめられてテンは長刃を一口もらう。南風とも川の魚とも違う味だった。そのまま、他の2種類にも口をつける。どれも違ったけど、帰川が一番美味しいと感じた。ゲンさんにもそう言う。
ゲンさんはもう酔っぱらっているようで、しゃっくりをしながらテンに言った。
「良いことを教えてやろうか。……帰川は、川で生まれるんだ」
「川で?」
「そうだ。そこから海に向かう。海で数年間かけて大きく成長した後に、産卵のためにまた生まれた川へと戻ってくるんだ。だから帰川。……面白いだろ?」
「……どうやって生まれた川に?」
「帰巣本能って言うらしい。どうやってかは誰も知らねえ。でも戻ってくるんだ」
「そう、なんだ」
テンは急に、食べていた魚が喉を通らなくなった。それに気づかないまま、ゲンさんは続ける。
「嬢ちゃん。あんたは、村への帰り方を知ってる」
テンは喉に残った魚を何とか飲み込んだ。
そしてゲンさんが今言った言葉をよく考える。村の方角もとうに見失ってしまったのに。
「本当にそう思う?」
「ああ、魚に出来て人間様にできないわけがねえ」
テンは、鼻先からふっと息を吐き出す。そして目じりに感じた暖かいものをぬぐい取ってゲンさんに言った。
「たしかにそうかも」
「だろう? きっと帰れるさ」
【読者の皆さまへ】
いつもこの作品を読んでくださり、本当にありがとうございます。
今回は、今後の作品について、皆さまにお伝えしたいことがあります。
実はこの一か月ほど、今の作品を何度も見直し、これからこの物語をどうしていくべきなのか、ずっと考えていました。
書き進めるほどに、この世界や主人公の物語を、もっと深く、もっと大きな長編として描いてみたいという気持ちが強くなっていきました。
そして悩みながら作品を練り上げていく中で、新しい物語の土台となるものが、少しずつ形になっていきました。
何度も考えた結果、現在連載しているこの作品を「パイロット版」として、もう一度、一から物語を組み立て直すことにしました。
新しい作品では、タイトルや登場人物の名前などが変わります。
ただし、世界観や主人公が歩んでいく物語の核そのものを変えるつもりはありません。
今まで書いてきた物語を土台にして、設定を整理し、描ききれなかった部分を掘り下げ、より長い物語としてしっかりと形にしていきたいと思っています。
これまでブックマークしてくださった皆さまには、突然このようなご報告をすることになり、申し訳ありません。
タイトルも登場人物の名前も変わるため、戸惑われる方もいらっしゃるかもしれません。
それでも、今の作品を書いた時間が無駄だったとは思っていません。
読んでくださった皆さまがいてくださったからこそ、「もっとこの物語を良くしたい」と思うことができました。
新しい作品は、ある程度の話数を書き溜めてから連載を開始し、できるだけ毎日更新を続けられる形にしていきたいと思っています。
そのため、連載開始は現在のところ、およそ3か月後を予定しています。
なお、現在の作品については、カクヨム様のほうにこの形のまま残しておく予定です。
また、新しい作品が始まったとき。
もしよろしければ、もう一度、新しいタイトルと名前になった主人公の物語を読んでいただけたら嬉しいです。
今まで応援してくださった皆さまへ。本当にありがとうございました。
【追記】
この物語がこの先どのように進んでいくのか、途中まで書き進めていた部分がございます。
そのため、今回、その分を一度に数話投稿させていただきます。
少し急な投稿となってしまいますが、どうぞご了承ください。
現在の作品では、第一シリーズが完結しており、今回投稿するのは第二シリーズの途中までとなります。




