表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/31

ひとりの夜に

 


 みんなの顔をずっと見ていたかった。


 御者が、馬車の引き戸を閉めようとしたけど、それを制止して自分で閉めるからと言った。御者は頷いて、そのすぐあとに馬車はゆっくり走り出す。






 わたしが手をふって家族に別れを告げている時に、顔に何かが当たった。


「シウが……テンに渡せって言ってたの忘れてた! でも、渡したからな! じゃあな!」


 ジウの声だった。歩き出した馬車に向かって何かを投げる。


「なんなの、これ!」


 わたしはジウが馬車に投げ込んだ小さい麻袋を握りしめながら、馬車の走る音に負けないように聞いた。ジウは何かを返してくれたけど、すでに走り始めていた馬車には正確な言葉は届かない。薬師様からの視線を感じて、引き戸を閉めた。






「おとなしくしていろ」


 薬師様はそう言って向かい側の席に腰かけるようにあの銅色の棒で示した。


 わたしは返事をせずにがたがたと揺れる椅子に腰かける。窓際に体を強く寄せて、透かし彫りの小窓から外を眺める。一度シウのことを考え出すとまた、あの考えに取りつかれた。


 わたしは手に握りしめた麻袋を見つめる。シウがわたしに渡せと言ったもの。


 ……開けるのが怖い。でも開けないでいる方がもっと怖い。わたしは麻袋を見つめながら鼻から息を吸い込んだ。


 なんだか、いい匂いがした。


 その匂いはわたしが握りしめる麻袋から来るものみたいで、顔の近くに袋を持っていくと香りが強くなる。麻袋を開けて、中を見ようとした。


 開けた時に馬車がガタンと揺れて、青紫の小さな花穂が何本か、床に落ちた。それと同時に、優しい香りが馬車の中に広がる。花を拾い集めて、土を払い、丁寧に袋に戻して、また紐で閉じた。


「寧古草か」


 薬師様が言った。


「……ねいこそう」


 その花の香りには、覚えがあった。まばたきをして、目に滲んだものを散らそうとする。奥歯を噛んで、袋を握る手に力を込めた。


 窓の方に体を向けて、村を目に焼き付けようとする。それなのに、村の景色は目の前から通り過ぎていくばかりで、何を見ているか分からなかった。






 ”テン、これは”


 シウが、なんの変哲もないただの草を差し出してくる。わたしは、その葉を揉んで、自分の鼻に近づけた。それから、ため息をついて、揉んだ葉をシウの鼻に近づけてやった。


 ”草っぽい”


 確か、あの子はそう言ったんだ。さっきまで、ひどく悲しかった。それなのに、覚えていたんだ、と、ふっと笑いたくなって、鼻から息が漏れた。






 馬車は、村をどんどん過ぎていく。


 知っている家。知っている顔。知っている木。どんどん過ぎて、とうとう、村の外れにある清安院が流れる景色の中に見えた。


「とめて」


「なんだ?」


「――お願い!」


 薬師様の言葉に被せて言う。引き戸を開けて、体が外に投げ出されそうになるのも構わず、御者に向かって叫んだ。


 速さが少し落ちた。でも、止まる気配はない。


 もう一度、止めて、と叫ぶ。飛び降りようか、と迷ったその時、止めろ、という薬師様の声が聞こえて、やっと馬車が止まった。御者が怒鳴った。


「一体なんなんだ! 急に止めやがって」


 わたしは、ぜいぜいと息をしながら、馬車の外を見る。ちょうど清安院と墓地の間、村の外れで、馬車は止まっていた。


 荒い息をするわたしの横から、薬師様の静かな声がした。


「わたしも聞きたい。なぜ、急に止めた」


「――寄るところが、あるんです」


「時間がないと言ったはずだ――」


 薬師様が何か言いかけたけど最後まで聞かず、御者の、おい、という怒鳴り声も無視して、墓地に走った。走りながら、叫ぶ。


「――すぐに、戻ります!」






 後ろを気にしながら、墓地に駆け込む。御者も、薬師様も、追いかけてくる気配はない。


 目的の場所に近づくにつれて、駆ける速度が落ちていく。


 馬車を止める瞬間までは、絶対に止めなくちゃ、と思っていた。なのに、いざ墓を目の前にしたら、わたしは何をしたらいいか、分からなくなった。


 シウの墓は、前に来た時と同じだった。新しい土が小さく盛り上がって、そこだけ色が違っている。


 何をしたらいいか分からないままその前にしゃがみこむ。


 手に、ごわごわした感触があった。麻袋を握っていたことを思い出して、中身を取り出した。


「……わたしがお願いしてた草、探してくれてたんだ」


 土の上に、花を数本置く。風で飛ばないように、軽くて小さい石を選んで、そっと載せた。シウが、重くないように。


 喉の奥が塞がって、さっき馬車で堪えたものが、戻ってくる。


「ありがと」


 唇が、震えた。目からこぼれたしずくが、墓の土を濡らす。しゃがんだまま、しばらく動けずにいた。






 背後で土を踏む音がして、振り返るとロンが立っていた。黒い瞳が、わたしを見ている。随分、顔を見ていなかった気がした。わたしは袖で涙をぬぐって言った。


「……久しぶり」


 ロンは、墓の前の寧古草に目をやって、それからわたしを見て、おう、と言った。そうして、ただわたしの隣に来て、色の変わった盛土を見る。


 隣でロンの気配を感じながら、わたしは、なんて言ったらいいか分からなかった。中央に行くこと。もう帰らないかもしれないこと。シウのこと。霊門のこと。言わなくちゃならないことが沢山ある。それなのになぜか、口を開けなかった。


「その花……なんて言うんだ」


 ロンが唐突に聞いてきた。へ、と間抜けな声を出したあとにすぐに答えた。


「寧古草っていうみたい」


 ロンは、ふーん、とだけ言って、花を軽く触った。小石が少しずれて、青紫の小さな花穂が動く。わたしは花を元の位置に戻しながら返事を続けた。


「シウがねわたしにくれた花なんだって」


 言わなくていいことだ。ロンには関係ない。分かっていたけど、口は、勝手に動いた。


「この花の花言葉……知ってる?」


 ロンが、首を振った。花言葉を知らないという意味なのか、花言葉なんて言葉そのものを知らないという意味なのか、わたしには分からなかった。


 言いながら、声が震えた。でも、構わず続けた。


「あなたを、待っています……だって」


 ロンは、何も言わなかった。


 何が起きたかは説明できない。でも、あの日、ロンに聞かれたのに答えられなくて逃げてしまった質問、それだけはちゃんと答えなくちゃならない。


「……わたし、もう病気じゃないからね」


 本当かどうか、自分でも分からない。でも、ロンにはそう言いたかった。医術を修めに中央に行くこと。レンとジウが寂しがるから、また前みたいに遊んでやってほしいこと。


 色んなことを伝え終わって、次の言葉に詰まっていると、ロンがゆっくりわたしを見る。それから小さく頷いて、諦めたようにわたしに言った。


「……元気でな」


 元気で。


「ロンもね」






 ロンは墓地の入り口までわたしを送って、そのまま隣にある清安院に戻っていった。もうずいぶん寒くなっているから、外で遊んでいた小さい子たちもいない。


 わたしはロンが見えなくなるまで見送って、馬車に戻った。随分長い間だったような気もするし、もしかしたら短かったのかもしれない。御者は、わたしが戻るなり何かを言いかけて止める。早く乗れ、とだけ言った。






 馬車は、今度こそ止まることなく走り出す。


 小さな窓から外を見た。知らない畑。知らない林。見たことのない大きな川。景色は、どんどん知らないものに変わっていく。


 薬師様とは、一言も話さなかった。


 向かい側の席に座る気配だけが、ずっとある。気配を感じるそのたびに、窓の外に目を逃がした。わたしは村の方角を忘れないようにしよう、それだけを考えて馬車で時間が過ぎるのを待った。






 日が傾いてきた頃、薬師様が口を開いた。


「中央では……悪いようにはならない」


 わたしは返事をしなかった。それきり、薬師様は黙った。悪いようにはならない。わたしを殺そうとした人が言う言葉じゃない。


 日が暮れていく。


 知らない山の向こうに、陽が沈む。空が赤くなって、紫になって、それから、暗くなった。


 ずっと、村のある方角を見失わないようにしていた。窓の外を流れていく景色の、どこかにあるはずの村。


 でも、薬師様の声に気を取られたほんの少しの間に、分からなくなっていた。






 外が真っ暗になった頃、馬車が止まった。


 今夜はここで泊まる、と御者が言ったのは、街道沿いのとても小さな宿だった。


 わたしに与えられた部屋は狭かったけど、てっきり馬車で過ごすことになるのを覚悟していたから少し驚いた。


 板の壁。固い寝台。うちの寝室とは違う。知らない土地の知らない匂い。布団一つがぎりぎり入るくらいの小さな部屋、部屋というよりは物置に近かったけど、内側から鍵をかけられることだけは安心した。






 一人になって、ようやく息を吐く。


 寝台に座って、荷物を引き寄せた。麻袋を取り出して紐を解くと、寧古草の香りに狭い部屋が満たされる。


 そして、懐からも小さな布の包みを出す。中には結蟲が一匹。手のひらに出すと、ひっくり返って、足を忙しく動かしている。起き上がろうと、必死にもがいている蟲をみながらひとりごちる。


「……嘘つき」


 わたしは自分自身と、薬師様に向かって小さく言った。


 母さんとの約束の言葉を頭の中で繰り返す。バル婆の後頭部をなでる手。父さんの重い手。レンの手のひらの上で、同じように足を動かしていた蟲を思い出した。


 みんな、わたしが帰ると信じている。シウも待っている——待っていてくれる人が、沢山いる。


 なのにわたしは、知らない場所で生きていく。


 何のために。


 あちらでは、ただ生きたいと、それだけを願っていた。白い天井の下で、何度も、何としても生きたいと思っていた。


 なのにいざ、生きているだけになってみると。


 蟲の足は手のひらの上でジタバタと動く。わたしはずっと、それを見ていた。








テンの、村での日々は、ここで一区切りです。ここまで見守ってくださって、ありがとうございました


物語はこの先、中央編へと続いていく予定です。8月の再開をお待ちいただけると嬉しいです。

感想やブックマークをいただけるととても励みになります。


また、この村での日々を、弟レンの側から描いた「7歳でも生きる為に必死です。」も短編として掲載しております。

テンの知らないところで、レンが何を見て、何を考えていたのか。よければそちらも覗いていただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ