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元気で

 


 振り向くとみんなが見える。けどすぐにそれは歪んで、まばたきをしないといけなくなった。わたしは着物の袖でしずくをぬぐってすぐに笑顔を顔に貼り付ける。


 母さんと父さんの、怒ったような、悔しそうな顔。レンはうつむいていて表情が見えない。バル婆の、静かな顔。


「……あのね、熱病の時の働きが認められて、中央に勉強に行けることになったの。だから、もう心配しないで大丈夫!」


 薬師様の嘘に、乗ることにした。わたしはちゃんと、笑えているだろうか。






「離れるのは寂しいだろうけど中央で勉強なんて、ものすごい栄誉なんだから、頑張るんだよ。本当に、わたしを助けてくれて、ありがとうよ」


 ハンさんだけが、祝福してくれた。ありがとう、と言って、わたしを見て微笑んで、手を振る。


 それから、わたしたち家族だけにする。






 母さんは、腕を組んでわたしを睨んだ。わたしは口角を無理やり上げて、見つめ返す。


「さっき言ってたこと、本当ね?」


「本当に、本当だって。蟲の縛りで、言えなかったの。わたしもあの日、全部言いたかったけど、どこまで言っていいか分からなくて……さっき薬師様が言ってくれたから、やっと安心して話せたの」


「ナイア、母さんが言ってただろ。蟲の縛りがあるから、テンが言うことは本当だ」


 父さんが、さっきよりほんの少しだけ顔を和らげて言った。


「中央での勉強が終わったら、帰ってこれるんだな?」


 少し考えるふりをして、言った。


「……薬師様が言ってたでしょう。すぐに帰れるかは分からないって。けど、すぐに帰ってきたくなっちゃうだろうな」


「辛かったら、すぐに知らせを出すんだ。そしたら、すぐに迎えに行く……わかってるな?」


「……そんな簡単に仕事を休んだら、ダメでしょ。でも、ありがとう」


「任せておけ。そう簡単に、くびにはならんさ」


 ふふ、と笑って目を閉じたら、父さんの手が、頭にのってきた。


 重くて、ごつごつしているのに、あたたかい。何度か頭を往復して、最後に、ポンと叩かれた。






「テン、ちょっと来て」


 レンが、わたしを寝室に引っ張っていく。後ろから、薬師様の、急ぎなさい、という声が聞こえた。

 寝室につくと、レンが戸を閉める。そして、わたしに向き直った。


「……さっき薬師様とテンが言ってたことって、本当?」


「何度言ったらいいの! 本当だって。医術を修めるのが、どれくらいで終わるか分からないけど……あ、でもこれから勉強して字を覚えたら、レンより書けるようになってるかもね」


「……まさか」


「まさかってどういうこと? わたしは勉強しても、レンにかなわないってこと?」


 そういうわけじゃないけど、と口をもごもごさせるレンのほっぺをつまんで、言った。


「わたし、勉強頑張ってみるよ。……だからレンも、勉強して。体も丈夫になったし、春になったら、私学に行けるようになってると思うの。私学でいい成績をとれたら、役人になれるかもしれないでしょ。……そしたら」


「中央に……行ける?」


 レンが、言葉を引き継いだ。


 かなり、希望的観測だ。でも、レンの頭と読み書きなら、確率は低くない。体力を補えるほどの能力を認められる必要はあるかもしれないけど。それに——この聡い弟を、わたしが帰ってくるのか、なんて答えにくい問いから、離さないといけない。


「そ! それには勉強が必要でしょ。だから、どれくらい頑張ればいいか分からないから、もう頑張れないってくらいまで、頑張るの」


 レンの大きな目が上を向いて、考えるように口がすぼまる。

 

「じゃあ……そろそろ戻ろう?」


 うなずいたレンの手を引いて、玄関に戻る。






 玄関を出る時、左を見たら、ショウおばさんと目が合った。ジウと、おじさんもいる。わたしは会釈をした。


 ショウおばさんは、厳しい顔でわたしを少しだけ見てから、家の中に入ってしまった。ジウは、おばさんとわたしを何度か見比べてから、家に入る。おじさんだけが、うなずきを返してくれた。






 バル婆と目が合う。何となくバル婆にはわたしの嘘を見破られている気がした。


「じゃあ……行ってくるね」


「……変なものを食べるんじゃないよ」


「わかってるって」


 バル婆の腰に手をまわす。後ろから、レンも抱きついてくる。バル婆は、わたしの首に手をまわして、後頭部をなでた。


 その感触を忘れないように、しばらくしがみついていた。それから、パッと離れて、馬車に向かう。






 それなのに、また後ろから強く抱きしめられた。母さんの指が、わたしの視界に入る。


「本当に、……帰ってこれるわよね?」


「大丈夫だって言ったでしょ」


 頬が強張ったけど、なんとか震えを抑えて言う。


「分かったわ。……分かってる。分かってるのよ」


「母さん」


「それは、誇りに思うことにするわ……でもね、母さんはすごく頭に来てるの。なんでか、わかる? どうして、腹痛が続いてること、言ってくれなかったの。お母さんに、大金を借りたことも言わなかったわね。……そんなに、頼りない母さんだった?」


 違う、と振り向くと、母さんの顔は、涙に濡れていた。


「……父さんと母さんは、出稼ぎで大変だから。だから心配かけたくなくて! だから」


「それでも……言ってほしかったわ」


 母さんは眉間のあたりを右手の中指でしばらく押さえるようにしたあと、着物のそでで涙をぬぐって笑顔を作った。眉毛が下がった、泣きそうな笑顔だった。


 そしてわたしの目線までしゃがんで、こんなことが言いたいんじゃないの、と言った。


 母さんが左手を差し出す。わたしはその手に自分の左手を重ねた。


「……本当に伝えたいのはね、体に気をつけて頑張って勉強してほしいってこと。それと、何かあったらすぐに知らせを寄越すこと。何もなくても、知らせを寄越すこと。あとは」


 わたしはもう、笑顔を保つことができなかった。


「絶対……元気で帰ってくること」



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