別れのとき
「おはよ」
ノビルのようなものを、横のかごにたっぷり積んでいるバル婆を呼ぶ。山菜を採りに裏庭に出たけど、一足遅かったみたいだ。
「おはよう。今日は山菜がゆだよ」
わたしの方を見ずに言う。冬の朝の寒さで、吐く息が白い。
「最近、山菜がゆの日が多くて嬉しい」
どうして山菜がゆばかりなのか、その理由を思いながら言った。かゆを作るだけなら、魚でも干し肉でも、買った野菜でもいい。それをわざわざ、寒い中で手を真っ赤にして山菜を採り、毎日少しずつ味を変えながら、こしらえてくれる。
「うちは貧乏だからね。ただでもらえるもんは、いただかないと」
「そうだね」
くすっと笑って瞬きをした、バル婆の隣に行く。ノビルを摘もうと手を伸ばして、気づいた。
手が、痛くない。昨日の夜までは、痛かったはずだ。耐えられないほどではなかったし、ほかに考えることが多すぎて気に留めていなかったけど。
「どうしたんだい。包帯が汚れるだろ。お前はうちの中で、お湯を沸かしておいで」
差し出したわたしの手を見ながら、バル婆が言う。
「うん。ただ、変なの」
「……変?」
わたしは恐る恐る包帯を、外し始める。
そこには、黄色いあざのようなものがうっすら残っているだけで、包帯を巻かれる前とほとんど変わらない普通の手があった。ひどい火傷が数日前にあったとは、到底思えなかった。
バル婆が、はじめておびえたような顔でわたしを見た。
「……おまえ、また」
「使ってない! 使い方も分からないし……本当に、さっき痛くないって気づいたの」
バル婆はしばらく険しい顔をしていたけど、ふと気づいたように、素早く包帯を巻き直していく。巻き直される時も、痛みはなかった。
「今見たことは、黙ってるんだ。また魔法を使ったと思われる。あたしも、見なかったことにする。いいね」
すっかり巻き直された手を見た。わたしは、また、魔法を使ってしまったんだろうか。
「……うん」
頷いて、はたと思い出す。
霊門。
しばらく、腹痛を感じていない。分からない。あの日、薬師様に聞こうと思っていた。
魔法を使ったから、魔力が放出されて、手術がいらなくなった?
でも、聞く前にシウのことを知らされて、何も考えられなくなってしまった。黙って霊門のことを考えていたら、バル婆が口を開いた。
「……その力は、お前の助けになってくれるかもしれないね」
「助け?」
「そうだよ。ひどい火傷だった。化膿してもおかしくないくらいだったのに、数日で、ここまで治ったんだ。……その力はきっと、これからの助けになる」
その日の午後、中央からの馬車がうちに来た。
ひと目で分かる。村で見る、馬が引く荷車とはまるで違う。豪華な屋根が付いている。外装には、銀と玉を使った精緻な象嵌。漆塗りの表面に、極彩色の幾何学模様が描かれている。透かし彫りの小窓から、人影が見えた。
引き戸が開いて、中に薬師様が見える。薬師様は馬車を降りないままでわたしを見た。
馬車を寄越すとは言われていた。でも、てっきり役人が連れて行くものと思っていた。
「準備はできているか」
薬師様は言ったけど、わたしはうなずかなかった。荷物だけはまとめたけど、それだけだ。
自分が今後どう扱われるのか、何も分からない。中央で下働きをさせられるのかもしれない。魔力を使った危険な平民として、どこかに囚われるのかもしれない。
父さんと母さんは、まだ、わたしが連れて行かれることに納得していない。バル婆とレンは、決まったことだと、納得はしないまでも、諦めている。それが、態度から分かった。
馬車は、村で人目を引いた。
うちの周りに、人が遠巻きに集まってくる。普段あまり話さない村の人たちが、何かをひそひそと言っている。祈祷師が帰った日とはまた違う、好奇心にあふれた目線を感じる。
薬師様に指示されて、まとめた荷物を御者に預けた。御者は大して大切そうにもせず、ぽいと馬車の床に置く。荷物を預けたことで、ひそひそ声が強くなった。
「しばらく、馬車での旅になる。家族との別れをするがいい」
薬師様が話し始めたとたん、ひそひそ声が止んだ。だから、別れ、という部分が、やけに大きく聞こえた。
父さんと母さん。バル婆とレン。みんなの顔を見るのが怖くて、振り返れなかった。じっとしていると、後ろで声がした。
——ハンさんの声?
「テンは、どこかに行くのかい?」
みんながなんて答えるのか、耳を澄ました。でも、誰も答えない。
「どうしたんだい。……テン、お前、どこかに行くのかい」
おばさんが、後ろから呼びかけてくる。わたしは、馬車の何もない空間を見ながら、答えられないでいた。
「――この娘は、此度の熱病騒動において、その働きが殊勲と認められた。よって中央へ迎え入れ、正統なる医術を修めさせることとなった」
薬師様の言葉を聞いてわたしは目を見開いた。――嘘だ。それだけは分かった。
小さく聞こえていた母さんの嗚咽が急に止んで、しばらく鼻をすする音が聞こえてくる。そして枯れた声が聞こえてきた。
「……あの日、薬師様は、そんなことは言いませんでしたよね」
――その先は、村人やおばさんに聞かれている前では、言えないのだろう。
わたしの目の前には、大きな馬車と、薄暗い中にたたずむ薬師様だけが見える。表情は、見えない。そしてまたおばさんの声が聞こえる。
「ナイアが泣いているから、何かあったかと思ったじゃないか! ……でも、すごいねえ! 中央で医術を勉強だなんて、この田舎の村から大出世だよ! わたしの熱病も、おかげさまで治ったしさ」
おばさんの声にうちの家族は誰もなにも答えなかった。おばさんの、ありがとう、という言葉が、尻すぼみに聞こえた。
「……薬師様」
母さん?
「あの子は……あの子は中央から、帰ってこられるんでしょうか」
「確かに、中央じゃなかなかすぐには帰ってこれないさねえ。そうだよ薬師様、テンは年に一度くらいは帰ってこられるのかい?」
「年に一度の帰郷は難しいだろう……早く、家族への挨拶を済ませなさい」
薬師様は、母さんの問いには答えなかった。
年に一度どころか、この先、帰れる保証さえない。
それを、わたしは知っている。




