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鍋の中の木漏れ日

 


 わたしたちは相談役の家に引き返した。

 またわたしたちを見た相談役は、嫌な感じを隠すつもりもなく薬師様になぜ連れてきたかを尋ねている。


 話しながら薬師様は応接室のようなところを相談役から借りて、わたしたちと一緒に部屋に入る。追加で代筆してもらうことがあると相談役に言っていた。相談役も後ろから入ろうとしたところで薬師協会の機密事項に係ると言って、薬師様はダンと扉を閉めてしまった。


 閉められてがっかりする。バーさんにも一緒に聞いてもらってお金をせびろうと思っていたのに。






 その部屋はそこそこの調度品にそこそこの広さがある悪くない空間だった。


 わたしはなんとなく腰を置くのがはばかられる布張りの椅子に腰かける。レンは座面のクッションで何回か体を浮き沈みさせた。さて、と薬師様が言った。


「治療法が見つかったと言ったな」


 わたしはレンにも助けてもらいながら、治療法と呼んでいいか分からないような、熱が出た時のあちらでの基礎知識を伝える。


 話すたびに質問をされながら方法を伝える。やはりこちらの常識とはかけ離れているようだ。時折渡した紙から目を離して、じっとわたしを見てくる視線がなんとも居心地が悪い。


 薬師様の顔色は内容を伝えるごとにどんどん悪くなっている。でも、伝える必要があることは伝えられたと思う。


 ついでに霊門の話もする。腹痛は前回の診察以降ないことを伝えたけど、ふむ、と言われただけで終わりだった。次の季節が来る前に診せろ、と言われた。

 薬師様は目を閉じてじっと手を合わせて座っている。全部を伝えた。しばらく待ってから、あの、と声をかけると、なんだ、と返ってきた。


 治療をしたら一日で終わるような熱病。でも治療を誤るとずっと続いて、人によっては死に至る。感染力はそこまで高くない、たぶん。薬師様にどう思うか聞いた。


「……わたしに言えるのは……様子見が必要ということだな」


「は」


 無理やり笑顔でこらえる。思わず反抗的な返事が出そうになってしまった。


「それは……何もしない、ってこと?」


「違う。お前たちの話を聞くと実際に治ったのは家族ひとり、後の数人は実際に診たわけじゃなく聞いた話を記録に残しただけだな?もっと確信がいる」


 感情の読めない顔から淡々と言葉が飛び出してくる。わたしは自分のこめかみがぴくりと動くのがわかった。


「でも、なにか……熱を楽にする薬とか、治療に役立つ薬……」


「お前が金を払うのか?」


 薬師様の冷たい瞳と目が合った。


 ……やっぱりお金なの。


「いくらなの」


「緊急時だからな……一人銀片十枚というところだろう」


 十枚。法外な値段に、いつのまにか握っていたこぶしの関節が白くなる。


「ああ……。もし病人全員分を買うなら、以前貰った、いや口に入れてくれた辟穢焦露の全てを教えてもらう。それと交換なら熱病を治す薬をやろう」


 わたしは、はたと薬師様を見た。今、熱病を治すと言った。薬は存在していた……?


 でも辟穢焦露は……自家製正露丸と引き換え。それはつまり、わたしが次に霊門の発作が起きた際に手術を受けることができず死ぬことを意味する。


「テン」


 レンが心配そうにわたしを見て、こぶしの上に手を重ねてくる。レンの手の温かさに、薬師様への感情以外のことをようやく思い出す。わたしは顔を上げた。


「……分かった。でも病人は多くても二十人程度でしょ。わたしの治療が金札三枚以上なら、銀片にしたら三百枚以上。全員分の薬を買ったとしても、釣り合わないわ。その埋め合わせはどうするの?」


 とりあえず質問を続けた。レシピを渡すかはそれからだ。


「村を救う勇者にでもなったつもりか?馬鹿なことを考えるのはやめろ。病人全員分の薬を買ったとしても次に誰か病気になった時に薬がなくて恨まれるのはお前だ」


 確かにその通りかもしれない。でも……


「……一つだけ薬をもらうことはできるの?」


「……一つ?」


「シウが……友達がずっと治らないの」


 あなたが様子見と言った親友は今死にかけている。フンと言って薬師様は聞いてきた。


「……いいだろう、金はあるのか」


「薬と交換してくれたら渡すわ」


 バル婆に借りた銀片十枚。相談料として使うつもりだったお金をわたしはバル婆に返せずにいた。寝室の布団の下に、レンが稼いだ代筆代とともに置いてあった。


「金があるか確認する必要がある」


 そうでしょうとも。


 わたしは薬師様をうちに招いた。






 うちに帰ると間の悪いことに母さんがいた。


 レンにお願いして、母さんと一緒にシウの家に向かうよう伝える。母さんは薬師様に挨拶をして、追い出されることに釈然としない様子だったけど、レンと共にシウの家に向かってくれた。


 わたしは寝室の布団の下から銀片十枚を取り出す。バル婆に借りた大事なお金。使わないでよかったと心底思った。


「もってきたわ」


 薬師様が言ってきた法外な値段。ある、と伝えた時の驚いた表情。わたしは正面から薬師様の顔を見る。


 薬師様は袋から取り出して銀片一枚一枚をしっかり確認するように数えた。わたしはすぐに薬を要求した。


「……荒地花柳を知っているか?」


 アレチハナヤナギ。……柳のような木に、小さな花がアジサイのように丸く咲く。どうしたのだろう。わたしは銀片を渡したのに薬を渡されないことに苛立ちを感じ始めていた。


「知っているけど……それがなに?」


「もってこい、薬の材料になる」


 急いで花を探しに行く。


 普段は気に留めないのに目につくかわいらしい花。いざ探してみるとどこに生えているか思い出せなくて、記憶を探る。確か、川べりに沿って散歩していたら見かけたはず。……あった。


 柳の木を見上げると、花がついているのは上の方で、上らないと取れない。花に石をぶつけることにした。何度も投げるけど中々当たらない。周りに人がいないか確かめて、繰り返す。わたしの必死な顔を見たらわざわざ近づく人はいないだろうが。


 随分時間がかかってしまった。すでに秋も深まって寒いくらいなのに着物を脱いでしまいたかった。やっと、石をぶつけてとれた花を枝ごと持って帰る。息をきらせて戻ると薬師様に、違う、と言われた。


「枝や葉を集めてくるんだ……花はいらない」


 はじめからそう言って欲しかった。今度は枝と葉だけを集めて走った。この短時間で汗だくになっている。


 何とか集めた枝と葉に薬師様は頷いて、うちの鍋を出す。そして細い銅色の少し長い棒のようなものも腰のベルトから取り出した。前にも見たことがある。わたしをはじめて診察したときに出した道具だ。


 お湯を沸かしながら、葉や枝を入れて、腰にさげている袋からも何か入れる。入れながら、何かぶつぶつと唱えている。


「……もとに戻せ……ことに……せろ……」


 全部は聞き取れないし、聞いたことのない言葉も入っている。だまって見ていた。


 やがてお湯は沸騰してきて、だんだんと光を帯びてくる。


 魔法……。わたしには一生関係のないものをはじめて目にした。


 お湯全体が、緑のような黄色のような、森の中から太陽を見るような色になった。


 火を止めて、鍋の液体を確かめるように細い銅色の棒のようなものでかき混ぜて液体の粘度を確かめるようにすくってたらした。あれ、さっきは棒だと思ったけどスプーンのようなお玉のような形に変わっている。そして、なんでもないことのように言われた。


「患者に持っていけ」


「へぁ」


 わたしは光る薬に見入っていて、まぬけな声を出してしまった。


「一日二回湯呑一杯ずつ、朝と夜の食前に与えろ。五日分ある。足りるはずだ」


「ありがと……ございます」


「……治ることを祈ろう」


 薬師様はそう言って鍋から離れて帰っていった。相談役の家に戻るのだろうか。すぐにシウに持っていってあげないと。






 鍋の中に小さな木漏れ日を抱えたわたしは、慎重にシウの家に向かう。落とすわけにはいかない。走ればすぐの距離がとても長く感じる。扉の前に立って大声で二人を呼ぶ。手がふさがっているからすぐに扉を開けてもらわないと。


「母さん! レン!」


 待っていると、レンがなぜか明後日の方向から走ってきて、シウの家の扉をわたしの横から開けてくれた。


「どうしたの? 中に入らなかったの?」


 わたしはすぐに中に入る。その隣でレンがわたしの着物の裾を持っている。


「シウ! おばさん! 薬師様が薬を煎じてくれたの! ――これで」


 よくなるよ、と言いかけて、おばさんの声も、母さんの声も聞こえないことにやっと気づいた。


 部屋に充満した、異常な匂いに気が付く。果物が腐ったような甘い酸っぱい生ごみのような匂い。大量のジュージィが部屋の中に干されていたが、かび臭い。


 わたしはレンを外に出して、鍋を持ち帰るようにお願いした。汚れが入りかねない。


「……光ってる」


 レンが目を丸くして鍋を覗き込む。薬師様が魔法をかけた大事な薬であることを念押しした。綺麗な湯呑を探して一杯だけ薬をすくってあとは持って帰らせる。


 わたしは、昼なのになぜか薄暗い感じがする居間を抜けて、シウの寝室に向かった。


 引き戸を開けると母さんが立っていて、おばさん、シウ、そして端っこに幽霊みたいにジウがいた。暑さで思わず息がつまったけどすぐに声をかけた。気後れしている場合ではないのだ。


「おばさん? ……薬師様が薬を煎じてくれたの!」


 シウの荒い息とおばさんのすすり泣く声だけが聞こえる。母さんに何があったのか目線をむけたところで、おばさんが話し出した。おばさんがわたしのほうを向かないまま、シウに覆いかぶさるようにして言う声は、震えていた。


「……もう止めて! ……ナイアも、テンも、シウのことは放っておいておくれよ。お前のせいで、熱病が治らないって祈祷師様には言われたばっかりだろう?」


 おばさんの隣に立っていた母さんが、あのね、と苛立ったようにおばさんに言おうとしたところをわたしは止めた。息を乱しながらおばさんは続ける


「……まだ足りないのかい? ……どうやって薬師様が薬をくれたんだって言うんだい。……わたしらだって必死に頼んだけど、様子見だって言われたのに」


 おばさんは底冷えするような声で、わたしをふりむかずに言った。お金を払ったとはいえない。薄暗い部屋でも暖かい光を放つ湯呑をおばさんの近くに見せるように母さんに持って行ってもらう。


「……わたしのことは信じられないかもしれないけど。……シウが薬を飲んでくれたら本物だってわかるわ」


 おばさんはシウの布団に突っ伏したまま見ようともしない。母さんがおばさんの肩に手を置いて、体を起こしてもらうようにトントンと叩いた。


「ショウ……本物よ? さっきうちに薬師様が来て煎じてくれたの」


 母さんはわたしの渡した薬を見ながらおばさんに言う。ほら、と言ってシウのほうに持っていこうとした。


「触らないで!」


 ぱしっ、と音がして、湯呑を持っていた母さんの手が弾かれる。薬湯が湯呑の縁から跳ねて、シウの布団に木漏れ日の光が広がる。薄ぼんやりと弱くなった光にジウがはじめて反応する。あ、とこぼれた薬湯に思わずわたしの声が漏れる。


 おばさんはシウを抱きしめたまま、肩を震わせていた。指がシウの着物をぐしゃぐしゃに掴む。


「もう嫌なんだ。……祈祷師様も、村の人も、みんな言うことが違う。……薬草を飲ませろだの、冷やすなだの、祈れだの。そのたびに、この子は苦しそうになって」


 おばさんが、初めて少しだけこちらを振り向いた。涙でぐしゃぐしゃになった顔だった。


「……お願いだから! もう、これ以上シウを苦しめないでおくれよ」


 その顔を見た瞬間、自分が悪者みたいに思えてしまう。でも、今のシウが苦しいのは病気のせいだ。


「……シウを見殺しにするの?」


 言ってしまった。母さんの息を呑む音が聞こえる。おばさんの肩がびくりと揺れた。おばさんはわたしを睨みつけて、わたしの近くまで這って来る。思わず後ずさったけど狭い寝室は半歩も行かないでドアにぶつかった。でも諦めないで続ける。


「熱が下がらないのはわかってるでしょう! ……このままじゃ――」


 おばさんはわたしの着物に爪を立てながらぎゅっと引っ張る。そのままおばさんが叫んだ。


「だから怖いんだろうが! ……お前は簡単に言うけどねぇ」


 涙と怒鳴り声で顔を歪めながら、わたしの着物から手を離す。


「……苦しむのを見るのは母親なんだよ!」


 シウが、熱に浮かされたように小さく呻く。その声に、おばさんはさっとシウの元に引き返してまた温めるように抱きかかえる。それでも、シウは反応しない。荒い呼吸の音だけが聞こえる。わたしは震える声で言った。


「……だから、飲ませてほしいの――」


「もういいって言ってるだろ!」


 おばさんの濡れた顔が、怒りなのか恐怖なのかわからないくらい歪んでいた。


「熱病に効くだなんて、そんな都合のいい薬があるもんか! 祈祷師様だって――」


「祈祷師様はシウを治してくれた!?」


 わたしはすぐに言い返した。わたしに責任を押し付けたけど、だからって祈祷師様が救えなかった事実は変わらない。でも言った瞬間、また、しまったと思った。


 おばさんの目が見開かれる。傷ついたような、殴られたみたいな顔だった。テン、と母さんの低い声がした。止めようとしているのがわかる。違う。おばさんやシウを苦しませたいわけじゃない。


 ここで飲ませなかったら。ここで何もしなかったら。


「……お願い。一口だけでもいいから」


 おばさんは何も言わない。ただ、シウを抱きかかえたまま肩を震わせている。おばさんは全身をがたがたと震わせていた。


「……シウが。……シウが、もっと苦しそうになったらどうするんだい」


 その問いに、言葉が止まる。絶対大丈夫だなんて、言えない。それでも――


「何もしないよりは、いい」


 しばらくして、おばさんの腕から少しだけ力が抜けたように見えた。消えそうな声で言った。


「……あんたが飲ませてあげて」


 母さんが、少し驚いた顔をする。わたしも顔を上げた。


「……おばさん?」


「……わたしは今、あの子の顔を見るのが、怖い」


 わたしは母さんからそっと湯呑を受け取って、シウのそばに膝をつく。震える手を押さえつける。近くで見る顔は、ひと月前とは別人のように肉が落ちて、わたしも見るのが怖かった。シウ、と呼んでも返事はない。わたしは母さんに視線を向ける。


「母さん、シウの身体を支えて」


 そのまま唇に湯呑を寄せる。シウの顎から光るしずくが布団に垂れる。


「……少しだけいいから」


 ――喉に入っていかない。お願いだから。


「飲んで」


「……シウ」


 後ろから、掠れた声がした。おばさんだった。震える声で呼ぶ。


「シウ。……お願いだから」


 やっぱり反応はない。唇も開かない。


「……ごめん」


 わたしにはもう迷っている時間がなかった。震える指で、シウの顎にそっと触れた。



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