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私のことは、レン様と呼べ

 

 明日は薬師様の診察だ。


 前世の記憶が戻ってから、もう四ヶ月になる。


「テン、これでいいかな」レンが紙を差し出してくる。発病してからの記録をまとめたものだ。受け取って、ゆっくり読む。字を読めるようになったのは最近のことで、まだ早くはない。レンに少しずつ教えてもらって、やっと読み書きできるようになってきた。


 日時が正確で、見やすい字で、その時の状況が丁寧に書かれている。誰が読んでも分かる。私の弟はとても優秀だね。


「……ありがとう、レン」「どういたしまして」さらりと言って、お湯をすすった。


「明日はぼくもいくんだよね?」


 レンが上目遣いでこちらを見る。前回留守番にされたことを、まだ根に持っているらしい。薬師様のところに行くと伝えた日、次は絶対に行くと言って聞かなかった。


「うん、記録をつけてくれたのはレンだから」「でしょ」「ただ……大丈夫?」


「なにが?」「往復するとすごい疲れるし時間かかるけど」「大丈夫」「森の道は歩いたことないでしょ?」「大丈夫だって!」


 正直なところ、レンの体調は四ヶ月前とは見違えるほど良くなっている。でも往復二時間の山道がはじめてというのは事実で、それが少し引っかかっていた。


「大丈夫!……テンのナットーとおかゆのおかげで元気になったから」

 ……じゃあ、止められない。「……じゃあお願いするね」頭に手を乗せると、レンは少しだけ照れた顔をした。


 紙をもう一度見る。字は読めるようになったけど、レンにはまだ全然かなわない。薬師様に記録について詳しく聞かれたとき、うまく答えられるか分からないからレンがいてくれれば、心強い。


 ---


 それと、お金。


 なんとバル婆が銀片十枚を用意してくれた。渡されたとき、しばらく言葉が出なかった。「あげたんじゃない、貸しだよ」バル婆はそう言ったけど、返そうとしたら絶対に断られる。それが分かるから余計に何も言えなくなって、思わず抱きついた。


 バル婆は一瞬だけ固まってから、背中をぽんと叩いた。


 辛いもの好きなバル婆に、何か美味しいものでお返しできないか。シンズを使った料理か、何か別のものか。まだ答えが出ていない。




 ただ、腹痛になってからわたしもずっと何もしていなかったわけじゃない。


 レンに字を教わりながら、前世で得た知識をこの世界向けにまとめてみた。最初に書いたものは今見ると読めたものじゃなかったから書き直したけど、見る人が見たらかなり役に立つと思う。


 漢方のレシピだ。


 シウと森を回りながら、前世で読んだ漢方の百科事典に載っていた植物と似たものをいくつか見つけた。その百科事典には植物の写真と、漢方として処方するまでの製造方法が図解で載っていた。原因不明の病を抱えた自分には正直あまり役立つものではなかったけど、子どもが図鑑を読む感覚で、興味のある部分はだいぶ覚えていた。


 世界が違うから、全く同じ効果とは言えないだろう。漢方のレシピについてはまだ研究中だ。


 それとは別に、もう一つ、すでに形になったものがある。


 一ヶ月間ダード納豆を作るために、腐った豆を試食し続けた私に必須だったもの。前の世界ではあまり好きではなかった、あの独特な匂い。でも腹痛で動けなくなると、不思議とあの黒い粒を探してしまう——正露丸だ。食あたりのときに日本人なら一度は手にしているであろう、あの薬。


 原材料を記憶を頼りに再現できないか考えて、まず炭焼き小屋のおじさんを探した。


「見学させてもらえますか」「急にどうした?」「炭がどうやってできるのか気になったの」


 変わった子だって言われながら、付いていくことに了承してもらえた。炭焼き小屋は火事の危険があるため村から離れた森の川沿いにあった。


 山から切り出した木材を炭窯に入れて、数日間かけてじっくりと蒸し焼きにする。その工程を見学するのには、病院暮らしが長くてじっとしていることに慣れている私でも、かなり根気がいった。でも実際に見ていると、おじさんはただじっとしているだけじゃない。窯の温度を手のひらで確かめたり、煙の色を見て炭の出来を判断したりしている。地味だけど、見ごたえがある。その気持ちのまま本当に褒めたら、最後には自由に見ていていいと言ってもらえた。


 私が欲しいのは炭じゃない。


 木を蒸し焼きにしたとき、窯に残る成分がある——木クレオソートという。木材を高温で蒸し焼きにすると、煙と一緒に油分や水分が出てくる。それが冷えると液体として溜まる。正露丸の主成分だ——と本には書いてあった。煙突付近や冷えた石にくっついた黒くネバつくものを、おじさんが見ていない隙にしっかり頂戴してきた。


 前の世界では製薬会社がこれに似たものを精製して丸薬にしているけど、ここでは自分でやるしかない。採集物をオリブ油を加えながらじっくり煮込んで、丸い粒状にして乾燥させる。日持ちもする。はずだ。


 実験として液状のまま、半乾燥、しっかり乾燥、三種類で試したが食あたりはどれも軽減された。効果は変わらないみたい。


 ただ、換気してもあの独特の匂いが取れなくて、バル婆にこっぴどく叱られた。叱られついでに、こんな匂いの薬を知っているか聞いたら、ないと言ってた。少なくともこの辺りには、正露丸に似たものはないらしい。


 でも——実際に薬が人の手元に届くまでには、前の世界でも十年以上かかっていた。まず薬の候補となる物質を何万もの中から探し出す。次に細胞や動物を使って効果と安全性を確認する。それから少数の人間で試して、さらに多くの患者で試して、国が審査して、ようやく販売される。


ただ私が提案できるのはその一番最初の段階、候補物質を見つけたところまでだ。それで足りるかは分からないし、信じてもらえる保証もないのだ。


 だからダメ押しでレンにもう一つ頼んだ。


「納豆研究日誌」と並行して、臨床試験のノートも作ってもらったのだ。治験者は私一人だから心もとない。でもほぼ一ヶ月、ありがたいのかありがたくないのか分からないが腹痛に見舞われ続けたおかげで、データだけは沢山取れた。それを記録するレンは、腹痛の状態について詳細な記録をするよう求める私を若干引いた目で見ていたけど、何も言わずに書いてくれた。レン様と呼んだ方がいいかもしれない。


 バル婆には話していない。自分の体で薬効を確かめたなんて聞いたら、なんと言われるか目に見えているから。


 実際の丸薬と臨床試験ノート、そして発病からの記録。これを材料にして交渉してみることにした。レシピを渡して、この世界で研究改善して販売まで繋げてもらえれば、相談料と治療費を合わせた銀片十枚と金札三枚以上に対して、十分すぎるほど元はとれるはずだ——と思いたい。


「以上」というのが少し気になるけど。


 


 ついに明日が診察だ。


 発病からの記録と臨床試験ノート、丸薬を布の袋に丁寧に詰めた。内容の確認と袋詰めをレンに手伝ってもらいながら、ふと横を見ると、レンが少しわくわくした顔をしている。


 遠足気分なんだろうな。


「明日、交渉うまくいくといいね」レンが言う。「そうだね」布団に入っても、なかなか寝付けなかった。隣でレンも同じらしく、しばらく二人とも天井を見ていた。


 随分肌寒くなってきたことが、秋の始まりを感じさせた。


今後のお話の進みを考え、年齢設定を変更しました。


テン:12歳 → 11歳


レン:8歳 → 7歳


シウ:12歳 → 11歳


ロン:13歳 → 12歳

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