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朝ごはんの席で

 翌朝、起き抜けにレンとバル婆に伝えた。

「昨日の夜....また来たの」レンがすぐに立ち上がって、記録の紙を引き出す。


「いつ?」「布団に入ってすぐ」「どのくらい?」「……しばらく。寝付けなかった」「何をしてたとき?」「寝ようとしてただけ」「何を食べた、は一緒か....」「ダード豆、あとごはん」


 几帳面な字が、紙の上に並んでいく。


 バル婆は湯呑を持ったまま、こちらを見ていた。「薬師様のところに行くかい。少し早いけど」「大丈夫。痛いわけじゃないから」バル婆はそれ以上言わなかった。ただ、お湯をひとすすりした。



 その日の午後、レンに記録を並べて見せてもらった。「最初が腹痛の朝。次が夕方、台所にいたとき。森の中。そして昨日の夜」几帳面な文字が、縦に並んでいる。「何か分かる?」レンが聞く。


 分からない。


 夕方も、森の中も、夜も。立っていたときも、歩いていたときも、寝ようとしていたときも。食べたものも、していたことも、バラバラだ。強くなっているのかどうかも、まだはっきりしない。「……今のところ、何もわからないね」「そっか」レンは記録を丁寧にたたんだ。「うん」


 それから数日、落ち着かないまま過ごした。違和感はまた来るかもしれない。来ないかもしれない。どちらとも分からないまま、朝ごはんを作って、洗濯をして、シウと川や森に遊びにいって、夜になる。


 体は動いているのに、頭の端にいつもあの感覚が引っかかっている。分からないことは、待つしかない。それは分かっている。分かっているけど——。




 納豆は、我が家に定着しつつあった。ある夜、ふと気づいて伝える。「これ、夏の間しか作れないかもしれない」「なんで!」レンが顔を上げる。「作るのに温度がいるから。今の時期じゃないと難しいの」


 「なら....毎日作りな」

 毎日!相当気に入ってくれたらしい。


 毎日食べたいだけでしょ——とは、もちろん言わない。レンもバル婆も無言でお湯をすすっていた。二人とも気に入ったって、顔に出ているよ。1か月腹痛をおこしながらも完成させたかいがあったみたいだね。


 父さんと母さんが出稼ぎから戻ってきたのは、それから数日後だった。

 夕食に、オリブ油をかけたダード納豆を出してみる。レンとバル婆のときと同じやり方だ。


 母さんの顔が、見る見るうちに変わった。糸を引く豆を見て、匂いをかいで、すごい顔になる「これ……大丈夫なの?」「大丈夫」「腐ってない?」「腐ってない」「でも、この匂いは」「食べたら分かるから」同じやりとりをした。


 母さんは箸を持ったまま動かなかった。「レンとバル婆に、こんなものを食べさせてたの?」


 声のトーンが変わった。怒っている。「ちゃんと食べられるものだから」「でも」「美味しいから」「でも!」


 父さんはすでに口に運んでいた。黙って食べて、ごはんをおかわりした。母さんは父さんを険しい顔で見てしばらく箸を止めていたけど、バル婆が黙ってお代わりするのを見て、おそるおそる口に運んだ。


 最初は眉をひそめていた。でも、だんだん表情が変わっていく。「……美味しい....なんで」


 それから美味しいとは感じつつも心配顔の母さんに、お通じが改善されること、腸の中を整えることを伝えた。バル婆の肌が最近きれいになってきているのも、たぶんそのせいだと。


 母さんの目が、ぱっと変わった。「出稼ぎから帰るときは、絶対に切らさないようにしなさい」「……うん」「分かったの?」「分かった」時代と場所が変わっても、女性はやっぱり美しくなることに敏感だ。


 父さんは、バル婆と同じくシンズを入れて食べるのが気に入ったらしい。無口だから何も言わないけど、食べるたびに自分でシンズを取り出してくる。そういうところが、なんとなくバル婆に似ている。


 すのこを作ってもらったお礼に、納豆と香草と卵を混ぜたオムレツを作った。


 父さんは器を見て、匂いをかいで、それからゆっくり口に運んで——何も言わなかった。嫌そうな顔ではあった。でも「また作る?」と聞いたら、頷いた。


 今では出稼ぎから戻るたびに作ってくれと言ってくる。言葉じゃなく、台所の前に立ってこちらを見る、という形で。



 納豆のレシピを売れないだろうか。材料はダード豆と藁だけ。作り方さえ分かれば誰でもできる。広まれば、お金になるかもしれない。でも——最初に出したときの母さんの顔を思い出す。バル婆に食べさせたことへの怒り。レンの「腐ってない?」。


 嫌悪感を越えるまでに、どれだけ時間がかかったか。


 それに、この世界の食品の知識で、ちゃんと安全に作れる人がどれだけいるか。失敗したものを食べれば、わたしみたいに糞小屋に走ることになる。最悪、もっとひどいことになるかもしれない。


 ……やめよう。今は、やめておく。稼ぎ方は、別のところで考える。


 シウとジウ、それからロンにも食べさせてみることにした。

 ジウは一口食べて、匂いがだめだったみたい。無理強いはしない。

 ロンは匂いをかいだ時点で「……ごめん」と言って、器をそっと返してきた。おっとりした顔のまま、申し訳なさそうに。これも無理強いはしない。好みは人それぞれだ。


 シウは、じっと器を見てから口に運んだ。理由も聞かずに。しばらく黙って噛んで、それからもう一口食べた。「おいしい」


「でしょ!」


 それから数日後、朝食の時間にシウが戸口に立っていた。「あの....ダード豆の....あるかな?」「あるよ!」それからは3人でたべるのが日常になった。


 レンとわたしの二人だった朝の食卓に、シウが加わる。三人で向かい合って、熱々のごはんに納豆をのせて食べる。シウはオリブ油なしで食べるのが好きらしい。レンはオリブ油をかけてから丁寧に混ぜる。わたしはどちらも好きだから、その日の気分で変える。


 シウとの出会いを思い出そうとすると、かなり小さい時まで遡る。もはや覚えていないくらい小さい頃から、気づいたら親友だった。だから思い出すのはやめた。そういう相手だ。


 ある朝、シウが箸を止めて聞いてきた。「ねえ、どうして藁にダードを入れたものなんか食べようとしたの」ごはんが喉に詰まりそうになった。


 確かに。急にそんなことをされたら、バル婆みたいに捨てるのが普通だ。なぜ藁に豆を詰めようと思ったのか——正直に言えば、前世で食べていたから、になる。でも、それは言えない。かといって、シウに対してまるっきりの嘘をつくのも嫌だ。


「……おいしくなりそうだったから?」うん。まるっきりの嘘じゃない。実際においしくなるかどうか、最初は分からなかった。だから一ヶ月もかかったのだ。

 シウが首をかしげる。「どうして?」


 そうなるよね。レンがお茶をすすりながら、こちらをちらりと見た。助けてくれる気配は、ない。


 伝え方を変えよう。

「……藁って便利なんだよ」「藁が?」「熱い豆をそのまま置くと冷めるし埃もつく。でも藁に包むと保温できるし、運びやすい。そこらじゅうにあるし、なんにでも使える」


 シウが頷く。それは分かる、という顔だ。


「だから、煮た豆を藁に包んで運んでたのよ、あとで食べようと思って。で、しばらく放置しちゃって、気づいたら糸が引いてた」「……それを、食べちゃったの?」「....食べた」「なんで?」「お腹がすいてたから。捨てるくらいなら——って」我ながらすごく厳しい言い訳だけど食い意地だけは誰にも負けない私は、昔に聞いた納豆の起源のお話を拝借してしまった。


 シウがしばらく考えた。「ずいぶんお腹すいてたんだねえ」ずいぶん感心した声だった。「まあ、そんな感じでダード納豆が誕生したのよ」私は締めくくった。


「でも」少し間を置いて、「わたしもお腹すいてたら食べるかも」


 真顔だった。


 ちょっと待て。それはちょっと怖い。あの匂いで「食べるかも」と言える子がいるのか。そっちの方がわたしは心配だよ。


 シウは納豆ごはんをゆっくり混ぜながら、「最初に見つけてくれたテンに感謝。あったかいごはんに合う」と言って、口に運んだ。


 ……妙に平和な結論だった。

 レンがお湯をすすっている。バル婆は畑に出た後だ。三人の朝が、静かに続いている。

 シウってこういう子だ。深く聞いてこない。たぶん、本当のことを伝えても、今みたいに受け入れてくれる気がする。——なんとなく、そう思う。




 納豆は、わたしの周りのごく一部に大ブームになりつつ、夏が少しずつ終わろうとしていた。

 その間、何度か腹の不快感を感じた。そのたびにレンが記録してくれる。いつ、どのくらい、何をしていたとき、何を食べたか。紙の上に几帳面な字が増えていく。


 銀片はもちろん用意できていない。でも——あの人は待ってくれると言っていた。それに、記録を持ってこいとも言っていた。病気に対しての興味、という点では、医者ってそういう人が多い気がする。前の世界で何人も見てきた。原因が分からないものほど、気になって仕方がない顔をする。


 もしかしたら、レンの記録とわたしの知識を交換条件にできるかもしれない。

 そんなことを考えながら、日は過ぎていった。


 ....あと十日ほどで、薬師様の診察だ。


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