第五話 竜医の診断書
査問委員会は、王立竜舎の大訓練場で開かれた。
書類の読み合わせだけなら王宮の一室で済む。わざわざ竜舎で開かれたのは、委員長を務める老元帥の一言があったからだと聞いた。「竜の件は、竜の前でやる」。話の分かる方である。
証言台に立った私は、まず、ヴェスタの診察を願い出た。査問より先に、である。委員たちはざわめいたが、老元帥は「許す」と即答した。
三月ぶりに会うヴェスタは、痩せていた。銀の鱗は曇り、あの誇り高い首が、力なく垂れている。私が房に入ると、ヴェスタはゆっくり顔を上げて――小さく、掠れた声で鳴いた。
――来て、くれた。
「遅くなってごめんね。もう大丈夫。診せて」
翼を広げさせ、付け根から翼膜まで、指先と目と、聞こえる声の全部で診ていく。裂けかけた翼膜。慢性化した炎症。そして肺に、鎮静香の連用による濁り。処置と投薬と休養の計画が、頭の中で組み上がっていく。飛べる。この子はまだ、飛べる。正しく治せば。
「診断を申し上げます」
私は査問の卓に戻り、診断書を読み上げた。翼膜損傷の程度、経緯、そして原因。過剰訓練の記録。三度の警告の日付。握り潰された元の診断書の写しと、捏造された「治療記録」の筆跡の相違点。厩番のジェムじいさんが守ってくれた原本の写しが、決定打だった。
「委員長。付け加えて、飼葉への鎮静香の混入について報告します。在庫記録と発注記録の差引はこちらに。連用された竜たちの心肺に既に影響が出ています。これは治療ではなく、竜を薬で黙らせる行為です」
会場が、静まり返った。
「……グレアム卿。反論は」
指名されたエセルバートは、真っ白な顔で立ち上がった。
「わ、私は騎士です。治療や飼葉の管理は専門外で、竜舎の管理者と、く、竜医の領分であり」
「ほう。では訓練量の管理は、どなたの領分かな」
「そ、それは……大会前で、その、多少の無理は騎士道の伝統で」
「伝統」
老元帥の声が、一段低くなった。
「わしは五十年、竜の背で戦場におった。教えてやろう。相棒の悲鳴が聞こえん騎士は、伝統では英雄と呼ばん。ただの重りと呼ぶ」
続いて竜舎長が診断書の件を追及され、しどろもどろの末に「記録の管理不備」を認めた。管理不備で筆跡は変わらない、と委員の一人が冷ややかに指摘した。鎮静香の横流しは帳簿から足がついて、行き先はセリーヌ嬢の実家の商会だと明らかになった。聖なる力の原価は、私の調合室の棚一段分だったわけである。
なお、セリーヌ嬢本人は査問に姿を見せなかった。体調不良の届けが出ていたが、噂では、竜舎に近づくと発疹が出る体質なのだと侍女が漏らしたそうだ。竜が苦手な、聖竜の巫女。喜劇の題名にしても、もう少し捻るだろうに。
そして、査問の最後に、老元帥が言った。
「委員会として、竜たちに最終確認を行う」
委員たちが怪訝な顔をする中、老元帥は訓練場の中央に、二つの立ち位置を示した。片方にエセルバートと竜舎長。もう片方に、私。
「王立竜舎の全房を開けよ。竜は正直だ。人事の記録は燃やせるし、帳簿は書き換えられる。だが三十七頭の記憶は、誰にも書き換えられん」
房が、開いた。
三十七頭は、迷わなかった。
雪崩みたいに、というのは竜に失礼かもしれない。でも本当に、そうとしか言えない勢いだった。若竜が、雌竜が、老竜が、我先にと私の周りに集まって、鼻先を押し付け、翼で囲い、しまいには誰かの尻尾が私をぐるりと一周した。ヴェスタは房から一番遅れて出てきて、それでも一番近い場所に、そっと首を下ろした。
エセルバートと竜舎長の側には、砂埃だけが残った。
「――記録より、雄弁であるな」
老元帥は頷いて、裁定を読み上げた。
エセルバート・グレアム卿、竜への重大な管理義務違反により竜騎士資格剥奪、軍籍除名。竜舎長、公文書の捏造と薬品横流しにより解任、収監のうえ賠償。セリーヌ嬢の家の商会は軍への出入り禁止。そして――
「エルシー・フェアバンクス竜医への追放処分は冤罪と認め、本日付で取り消す。王立竜舎は同竜医に正式に謝罪し、復職を要請する」
復職要請。三月前なら、泣いて喜んだかもしれない言葉だった。
私は一礼して、はっきりと答えた。
「謝罪は、お受けします。復職は、辞退いたします。私は今、竜の声が届く職場におりますので。――ただし、一つだけお願いが」
視線の先で、ヴェスタが小さく鳴いた。
「ヴェスタの療養を、国境の第一竜騎士団で引き受けさせてください。翼膜の治療には、広い空と、時間と、それから……もう誰にも無理をさせられない場所が、必要ですので」
老元帥は、私とヴェスタを見比べて、それから初めて、相好を崩した。
「良かろう。……グレアム卿。聞いての通りだ。貴様が乗り潰しかけた名竜は、貴様を拒んだ竜医が治す。せいぜい恥じるがいい」
帰り道、バロンの背で、ライナス団長が後ろから言った。
「見事だった。……それと、うちの団に竜が一頭増えるそうだな。主任竜医どのの独断で」
「じ、事後承諾で申し訳ありません」
「構わん。だが手続きは要る。受け入れ書類の、保護者の欄」
団長は書類を差し出して、それから、耳の先を少し赤くして続けた。
「……二名連記の欄にしておいた。あなたと、俺で」




