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第六話 男になる


まず、男装が必要だった。

このまま女の姿で旅を続けるのは危ない。一人旅の若い女は目立つ。目立てば絡まれる。絡まれれば時間を取られる。それに——軍に入るなら、なおさらだ。


実務的な理由だった。そういうことにしておいた。

本当のことを言えば、女である自分を、どこかに置いていきたかった。あの夜から、ずっとそういう気持ちがあった。


村の外れで行商人と鉢合わせたのは、そんなことを考えながら歩いていた時だ。


「お嬢さん、どこへ行くんで?」 


荷車を引いた初老の男だった。人のよさそうな顔で、荷台には布や衣が雑多に積んである。


「北へ」

「北!北のどちらで?」

「陰嶺」

「そりゃまた、なんて辺鄙なところへ…あぁ、もしや惚れた男でも追っかけに?」

「…違う」

「恥ずかしがらなくても」


男はからからと笑った。


「何か入り用のものは?衣とか帽子とか。北は寒いですよ」と言いながら荷台を漁り始める。

白霜は荷台をのぞいた。男物の衣が何着か混じっている。


「その衣、売ってもらえる?」

「え、男物ですよ?」

「わかってる」


行商人はしばらく白霜を見た。それから何かを察したのか、それ以上は聞かなかった。さっさと値段の交渉に入る。商人らしい切り替えの早さだ。

銀子を渡して、衣と帽子を受け取った。


「気をつけてくださいよ」


行商人は言った。


「…まあ、あなたはそっちの心配はなさそうですが」


腰に下げた刀を見たのだろう。白霜は「ありがとう」と言って、先を急いだ。



村を離れた山道の脇に、小川が流れていた。

水辺で荷物を下ろして、男装の準備をした。まず胸を布できつく巻く。次に髪を上げて帽子を深くかぶる。衣を着替えて、川面を鏡代わりに確認した。


細身の、少年が映っていた。

思ったより、少年だった。十四か十五に見えるかもしれない。軍に入れる最年少ぎりぎりか、へたをすれば下回って見えるかもしれない。それは少し、想定外だった。


(…まあ、いいか)


ばれるよりはいい。なめられる方が、まだ対処できる。

問題は声だ。普段の声のままでは、話した瞬間にばれる。一音低く、腹から出す。


「んん、、こんにちは」


低すぎた。


「こんにちは」


今度は少し高い。


「こんにちは。…なんか変だなぁ」


独り言が出た。それもいつもの声だった。

川に向かって、しばらく練習した。想定される場面を考えて、声に出してみる。


「陰嶺はどちらですか」「凌博(りょうはく)と申します」「南の方から来ました」


凌博、という名前は歩きながら考えた。本名の「白霜」から「白」だけ取って、字を「博」に変えた。読みは同じで字だけ違う。咄嗟に呼ばれた時にちゃんと反応できるように。


「凌博」


もう一度、川に向かって言ってみた。悪くない。



陰嶺が見えてきたのは、旅に出てから十八日目の昼だった。

山脈の懐に抱かれた城砦都市で、五月だというのに稜線に雪が残っている。城門をくぐりながら、街の様子を見渡した。荒れている、というのが正直な印象だった。街道は補修が追いついていなくて、建物の壁に苔が生えている。


でも——悪くない。こんな辺境の地なのに、行き交う兵士たちの目が、死んでいない。その差がどこから来るのか、この時の白霜にはまだわからなかった。


城砦の外郭に、志願兵の受付があった。食えない若者たちが列を作っている。白霜もその列に加わった。

前に並んでいた男が振り返った。日に焼けた、人のよさそうな顔をしている。


「坊主も志願か?」


坊主、と呼ばれた。男装が機能しているらしい。


「そう」

「どこから来たんだ」

「南の方から」


「遠いなあ!」男は感心したように言った。


「俺は隣の村だよ。食えなくてさ。兄ちゃんは?」

「…色々あって」

「色々か」


男はにかっと笑った。


「俺も色々あってだよ。お互い様だな。俺、阿寛(あかん)っていう。よろしく」

「凌博」

「りょうはく?いい名前だな」


自分でつけた名前を褒められて、少し戸惑った。


「…ありがとう」

「しっかし細いな。飯食えてるか?」

「食えてる」

「ほんとか?見た目、何歳だよ。軍に入れるのか?」

「入れるから来た」

「そっか」


阿寛はそれ以上気にした様子もなく、前を向いた。細かいことを気にしないタイプらしい。悪くない、と白霜は思った。



審査は、少し難航した。体格を見た武官が、まず眉を上げた。


「…いくつだ」

「じゅ…十六です」


本当は十九だ。でも十九と言って信じてもらえる気がしなかった。とっさに、少し削った。

武官はじろじろと白霜を見た。信じていない顔だった。


「十六?ほんとか?うちは十五から取ってるが、お前……どう見ても」

「十六です」


 きっぱり言った。


「…まあいい。型を見せろ」


白霜は刀の代わりに、傍らに立てかけてあった訓練用の槍を手に取った。本当は剣の方が得意だ。でも今は、使えない。鉄嶺荘の型が出てしまう。

槍の型を一つ打った。剣ほど染み込んではいないが、荘でひと通り習ってはいた。

武官の表情が、少し引き締まる。


「どこで習った」

「旅の武術師のもとで。一年ほど」

「名は」

「凌博」

「第三隊に入れ。隊長の孟岩秋(もうがんしゅう)に申し出ろ」


こうして白霜は——鬼槍将軍・玄鷹の軍に、名もない一兵士として加わった。

実年齢より三つ若く名乗りながら。


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