因果邂逅
コロッセオの地下へと続く階段はじとじとと薄気味悪く、冷たくも温くもあり長く吸っていれば体調を悪くしそうな空気もまた、十代の若い素肌にまとわりついてきて私の気持ちを一層憂鬱にさせる。必要最低限しかない壁の松明も、その心持ちを増幅させる舞台装置としては優秀に機能しており、とどのつまり私のテンションはこの地下に潜る深さに比例して落ち続けている。いつかの『みゃ』の地下のほうがよほどマシだ。あそこは同じような明るさでも、ずっと温かかった。安心感があった。それもきっと、私の前を歩くこの女神様の御加護なのであろう。今になって、その凄さとありがたみがわかる。大会が終わったら、この人のもとに入信でもしようかしら。
「柄にもないことを考えてますねー。」
引率の憲兵の先導に従い、この何とも言えない雰囲気すら歯牙にもかけずに先行しているかと思いきや、意外にも私の胸中の機微をも気にしてくれていたようで、その進む先から視線こそ外さなかったが、さも当前のように私の心の中の独り言にイルミナパイセンは応答する。…ま、今は―…
「今は、そのほうが気が楽だ。ですか。…フーリさん。私を信仰してくださるのは嬉しいですけど、気持ちをしっかり持ってください。…神に依存するのは良くないですよ。」
これから会う方に隙を見せてはいけません、と付け加えパイセンはまた静かに歩を進める。確かに、油断は禁物だ。
地下への階段を抜けると、広い空間に出た。先程までの旧時代の遺物と思しき建築構造とはうって変わって、現代的な設計思想を以って造られたであろう空間が遥か向こうまで続いている。グレーを貴重としたやや光沢みのある壁色のその廊下には、いくつかこれまた現代チックかつ無機質な扉が設置されており、更には天井が水色に塗装され、おまけに雲の絵まで描かれている。空をモチーフとしたのは、閉塞感を感じづらくさせるためだろうか。
憲兵に続き、とある一角の部屋に入室する。部屋は分厚いガラスの壁でふたつに区切られ、私たちが入ってきた側と対になる側にも、同様にひとつの扉が設置されている。ガラス壁には小さな無数の穴が空けられ、隔てられた空間と言えども互いに会話くらいはすることができるようになっている。言ってしまえば、刑務所の面会室と同じ造りだ。
しばらくそこで待っていると、隔たれた空間の向こう側の扉が徐に開いた。手錠をかけられ憲兵たちに両脇を抱えられるように入室したそいつは、私の姿を見るや否や妖しく口元を緩ませた。
「…昨日ぶりよの。どうじゃ、人を殺した気分は。昨夜はよく寝られたか?」
双方の憲兵に目で合図し、退室してもらう。人祓いが完了したのを確認して、男の正面に壁を隔てて座る。
「…最悪な気分だよ。あんたが生きてるだけ幾分かマシだけど。」
「人の心配なぞ、同じ闇魔法の使い手としてはまだまだ甘いの。大会が終われば、余が鍛えてやろうぞ。」
「フーリさん!その方のペースに呑まれてはいけません。」
…わかってる。
「女神様も、余を助けてくれるなぞなんとお優しい。時代が時代なら褒美を与えておったところじゃ。」
「…昨日のは聞き間違いじゃなかったようですね。何故私のことを女神と?」
「おや?不思議なことを言う。隠しているようには見えんかったがの。じゃが、人の命を蘇生させるとは、女神様も思い切ったことをなさる。明らかな越権行為であろう?」
「やけにお詳しいですね。ですが、心配には及びません。私はあなたの命を救ったわけではありませんから。」
確かにな、とエムエーデー先端技術学校のリーダーは頷く。
「昨日からあやつの声が…気配がせん。あやつ、余の代わりに死んだか…。」
その問いに対し、パイセンは簡潔に応える。私の闇の魔法は、混ざり合ったふたつの魂まで分かち両断してしまったこと。それによって、リーダーの主人格の意識が絶たれたこと。もうひとつの人格が必死に生命を繋いでいたこと。そして、最後は代わりに消滅し主人格が残る形になったこと。
「あなたには感謝しているようでしたよ。お傍におれて幸せでした。そう言い残して、自ら消滅することを決断されました。」
「そうか。」
「したがって、私は命の数を操作していません。消滅する魂の置き換えを手助けしただけです。こんなイレギュラーなケース、問題にはならないでしょう。」
「…そうか、残念じゃな。」
それは、パイセンの責任問題のことか、はたまた連れ添った片割れを失ってしまったことか。
「今度はこちらの質問に答えてもらいます。昨日と同じ質問で恐縮ですが、あなたは何者なんですか。私を女神だと断言したり、人の範疇を超越した魔法を使ったり。…まあ、おおかた見当はついていますがー。」
リーダーは俯いた視線を一度あげ、パイセンをじっと見つめた後、何もない方角へ遠くへ視線を投げた。そして、少なくとも私にとっては予想だにできない、信じられない事実を告げた。
「余とあやつは転生しておるのじゃ。…前世からの長い付き合いじゃった。余の誤った判断のせいで、王であった余も、近衛魔法師団の長であったあやつも殺されてしもうたがな。」
「…やはり、そうですか。しかし、あなた方は私が責任を持って魂を浄化するよう手配したはず…。」
「その通りじゃ。余もあいつも消えるはずじゃった。じゃが、その折に邪悪な存在に唆されてしもうての。余らを殺した人類に復讐しないか、とな。…今思えば心が揺らぐことすらどうかしていたと思う。じゃが、そのときの余はそやつの口車に乗ってしもうた。…そして、余とあやつは魂をひとつに融合させられ、この世界に転生させられたのじゃ。」
それからの新しい人生も、彼にとって誇れるものではなかったようだ。物心ついたころから魔術の研鑽を重ね、人類を滅亡させることばかり考えてきた。それもひとえに、前世で自国の民を守ることができなかった自責の念から、争いが起こらない世界を造るために人そのものの存在を抹消する、というある種の思考パラドックスを招いた末の行動だったようだ。彼のいう邪悪な存在の干渉か、その思考がおかしいということにも気付けずに。
「…正直、最近は自分でもよくわからない行動をすることが増えてしまっておった。数日前、通り魔的に人を刺してしまったこともあった。…それがお主の仲間だと知ったのは、昨日対戦前に顔を合わせたときじゃったがな。本当に申し訳ないことをした。」
リーダーは素直に非を詫びる。やはり、意外と普通に話ができる。リノンを傷つけたことは許せないけど、こいつも本来の根っこの部分は悪い奴じゃないのかもしれないな。
「なるほど。事情は理解しました。それで、あなたが闇の魔法を使えたことに関しては?それについても説明してもらう必要があります。」
「…前世で人を殺したのじゃ。何の罪もない、守るべく国民のはずだったのにも関わらず、な。実際に手を下したのはあやつのほうじゃったが。じゃが、悪いことはするもんではない。結果として、戦争は終わったが、あやつを失った。余も、守ったはずの自国の民に殺されてしもうた。」
…私は、忘れない。一度記憶したことは忘れないのだ。つまり、リーダーの話すこの話に、私は聞き覚えがあったのだ。その嫌な勘が当たるのであれば、次のひとことは…。
「自国を守るためとはいえ、勇者を召喚するために民を生贄にするなんて、余はどうかしておった。」
リーダーは涙を浮かべる。その涙は、二度も失った家臣への弔いか、それとも―…私への懺悔か。
そして、私の思考はそこで途切れた―…。




