まるで女神のように
…未だ皆は微動だにできないままでいた。時間だけが、やけに遅く流れているように感じる。
やがて、無言のままパイセンが立ち上がった。
…ああ、叱られるのかな。闇の魔法、使っちゃったもんな。
なんて、これまでの感覚のまま考えていた私が甘かった。
パイセンは、私に目もくれず傍らの死体のそばに膝をつき、女神様らしく祈りを捧げた。
…そうか、人の命を奪うということはこういうことなんだ。
私は、もう独りなんだ。
「…させませんよ、そんなことは。」
パイセンが祈りを捧げながら、静かに呟いた。
「あなたを人殺しになんてさせません…!」
―…光だ。
とてつもなく眩しくて、とてつもなく温かい。
まるで、母のお腹の中から生まれてくるときのような。
…私という存在を、肯定されるかのような。
その光が、徐々に消えゆくにつれ、何者かの息遣いが大きくなる。
ふとそちらに目をやると…先程まで真っ二つだったものが、人の姿を成し呼吸をしていた。
「…初めて会ったときに言いましたよね?フーリさん、私はあなたに幸せになって欲しいんです。…あなたを独りになんて、させませんから。」
…はは、この女神。また勝手に心を読みやがったな…。
パイセンは私の手を握り、そっと抱き寄せる。…生温い滴が私の頬を伝う。
闇に支配され人を殺した私が、まだ人間らしく涙を流せるなんて。皮肉なことだけど、今はその温度に心を寄り添わせていたい。私が、私でいる証を感じていたいから…。
明くる日。本来であれば、決勝当日であったその日は休養日という名目に置き換えられ、
関係者が勢ぞろいし熱気に包まれていたであろうはずのコロッセオも、フィールド上にブルーシートが掛けられ、何の気配もなくただ静かに佇んでいる。
ひとり観客席の最上段に腰掛ながら、シートのかけられたあたりを見渡す。…昨日、私がそこでしてしまったこと。取り返しのつかないこと。パイセンのおかげで無かったことになったとはいえ、一線を踏み越え人の道を外してしまった私が、あの場所で生まれてしまった事実は、どんなお題目を用意してもすげ変えることはできない。
「ここにいましたか。探しましたよー。」
近づいてきた足音が、私を見つけて言葉をかける。コツン、コツン。という音が無人のコロッセオにこだまする。まるで、この世界には私たちだけしかいないかのように。
「厳密には「私たちだけ」ではなく「私だけ」ですねー。本来、私はここにいて良い存在ではありませんからー。」
また、心を読んでくる。…寂しいこと言わないでよ。
「冗談ですよー。それに、ちゃんと見つけて来てあげたでしょ?」
「…ありがと、パイセン。」
どういたしまして、とパイセンは私の隣に腰を下ろす。
「それにしても、大変でしたねー。」
その言葉が、昨日のことだけでなく今日の聴取のことを指していることはすぐにわかった。昨日、あのとき。敵のブラインドの魔法が解けた折、私の悪魔のごとき所業は周知の事実となるはずだった。しかし、パイセンが敵を蘇生し、私の犯した大罪は、ブラインド魔法が消えるころには、同じようにすっかり消えてしまっていた。
私の罪を知る者は、私たちの他に、意識のあったうちのチームのみんなと被害にあった当事者のリーダーだけに留まった。
とはいえ、ブラインド魔法のような、運営が安全面を管理できない状況を許してしまったこと。そして、状況を確認できた頃には、夥しい赤が円を描くように一面に広がっており、その中央に大会参加者が倒れていたことなどを踏まえると、一度大会の運営体制を見直さざるを得ないという判断は不可避の事象となり、その対応のために昨日の準決勝第二試合と本日の決勝は延期せざるを得なくなった。結果として、二日間の休養日が設定されたのだが、私たち当事者は事情聴取のため、朝から大会本部に呼ばれていたのだ。委細を報告し終わったころには、陽が少し落ち始めていた。だけど、私の罪は本当に報告しなくてよかったのだろうか。パイセンがなかったことにしてくれたとはいえ、私は人を殺したのだ。
「言いそびれてましたけど、それは勘違いですよー。」
勘違い?何が?
「私はそこまで万能ではありません。さすがに蘇生させるのは禁忌です。言い換えれば、昨日の彼は死んでいません。死んでいなかったから、回復魔法が間に合ったんですよー。」
「…つまり、私は人殺しではないってこと?」
「厳しいことを言うと…正直、グレーです。あの方でなければ、普通に死んでいました。最も、敵があの方で無ければ殺さざるを得ないようなシチュエーションもなかったとは思いますけど。」
それはつまり、魂が関連していると言うこと…。
「その通りです。彼はふたつの魂が混ざり合っていました。それゆえ、身体が真っ二つになったとしても、強い生命力で命を繋いで見せた。…結果として、片方の魂は消失してしまったようですけど。」
片方の魂が消失…。ということは、やっぱり私は殺したんだ。
「難しいところですね。事実として彼は生きていますし、本来魂がふたつ混じることはありません。いずれ消える運命だったはず。…それがたまたま昨日だっただけかもしれませんしね。」
パイセンもおそらく私と同じ青に視線を落としている。女神様でも、人の天命を知ることはできないんだろうな。
「フーリさん。」
視線を青から私に移し、そのすべての人の負を祓い安らぎへと引き込んでしまいそうな瞳で、パイセンは私を見つめる。
「今回、あなたが彼を倒してくれなければ、みんなは死んでいました。…―人を滅す魔術、『永哀之総葬』。あれが発動していれば、おそらく今は人の身である私でさえも消失していた…。そして、あの場にいた敵のメンバーたちも。フーリさん、あなたはたくさんの人の命を救った。あなたは自分を人殺しだと責めるかもしれませんが、救ったこともまた紛れもない事実です。あまり自分を責めないように…。」
…私が救った、か。
パイセンは心を読むこともできる。だから、きっと私の気持ちを察したうえであえてそう言ってくれたのではないだろうか。あの敵の魔法で死んでいたかもしれない、そうパイセンは言うが、私にはその光景が想像できない。
― 『人を滅す魔術』、なんでしょうー?人じゃない私には効かないですよー。 ―
とか何とか言って、本気を出せば平然と闇の魔法を打ち消し、誰も殺さずに事態を収束させていたに違いない。きっと、そうだ。
「…さて、そろそろ時間ですね。フーリさん。どうしますか?」
「行くよ。話せるなら、聞きたいことがたくさんあるから。」
どちらともなく立ち上がる。そして目下に見えるあの場所に、昨日までの私に。別れを告げる。
「…ねえ、パイセン。」
先行する女神様の背中を呼び止める。そういえば、ちゃんと言ってなかった。
「昨日、守ってくれてありがとう。」
返事の代わりにパイセンはこちらを振り返り、微笑みをくれた。黄昏色に染まる空をその背に受け、まるで女神のように。




