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新しい場所

ガタン、と最後の石畳を越えた衝撃を、ふわりと包むクッションの魔力。


「……そろそろ着く頃かしら」


窓の外には、遠くに見える高い尖塔と、白い石造りの大門。

ミレイアはゆっくりと腰を上げ、ふわふわとした座席の感触に軽く笑った。


「さすが、お嬢様お手製のクッションですね。ここまで揺れを感じない馬車、他にありませんよ」


そう言って、向かいに座っていたノエルが感心したようにほほえむ。


「素材を工夫しただけよ。空気の層と魔力を混ぜた魔法布。ちょっとした実験のついでだったから」


「……普通、その“ついで”で魔道具を作ったりしませんけどね?」


からかうような口調に、ミレイアは肩をすくめる。


「せっかくの門出だもの。振動で気分が悪くなったら、最初の印象が台無しでしょ?」


「……あの、でも……」


ノエルが少し遠慮がちに言葉を濁した。


「もしかして本気で転移する気になれば、学園なんて一瞬だったんじゃ……?」


それにはミレイアも、小さく微笑んで頷いた。


「できなくはないわ。地図も構造も、資料で頭に叩き込んだし。

でも、“初めての場所”にはちゃんと、自分の足でたどり着いてみたいの。とは言っても走っているのは馬たちなのだけどね。

それに、こうして落ち着いて話せる時間も好きよ。領地から長く離れるのも初めてだし、新しい一歩を踏み出すって、やっぱりちょっと……ドキドキするもの」


「……お嬢様……」


「だからこそ、ちゃんと“今”を味わっておきたいのよ」


その横顔は、窓から差し込む午後の陽に照らされ、静かに輝いていた。


馬車が緩やかに速度を落とし、石畳の上で最後のひと揺れを起こした。


「――着いたみたいね」


窓の外に見えるのは、王都レガリアでも一際目立つ、巨大な白のアーチと魔法紋が輝く正門。

その前には、案内役の上級生や教師。一足早く着いた新入生、付き添いの家族や使用人たち、そして王都の騎士が整然と並んでいる。


ミレイアが腰を上げると、ノエルがさっと服の裾を整え、フローラが扉の横に立った。


「さて、お嬢様。覚悟はよろしいですか?」


荷物を整えながらノエルが振り向く。声は落ち着いているが、瞳にはじんわりとした不安がにじんでいる。


「もちろんよ。覚悟は、出発のときに済ませてるわ」


ミレイアがにこっと笑って胸を張ると、フローラが軽く頷いた。


「……その割には、リボンが左右で結び目の高さが違いますが」


「えっ! 嘘っ、ちょっと見せて!」


慌てて鏡を取り出すミレイアを見て、ノエルがくすっと笑う。


「ほら、やっぱり心の準備はまだってことです」


「そんなことないもん!」


不服そうに唇を尖らせたミレイアだったが、鏡を見つめながら小さく深呼吸する。


「でも、ほんとに……いよいよなのね」


「ええ。けれど、お嬢様は“夢幻の女神”と呼ばれてるほどのお方です。堂々と行ってくださいな」


「それ、正直ちょっと嫌なのよね……。一度飛んだら最後、“本当に空を飛ぶ女神だった”って言われちゃうんだから」


「ですから、それだけは絶対におやめください」


フローラの真顔に、ミレイアは思わず笑いをこらえた。


「二人とも、寮の近くにいてくれるんだよね?」


「はい。私はお嬢様の隣室に部屋をいただいております。授業中の付き添いはできませんが、寮でのお世話はすべて任せてください」


ノエルは、まるで母親のような優しい声でそう告げた。


「私は騎士詰所に常駐ですが、学園内の許可区域ならすぐ駆けつけられます。外出時には正式に護衛として付き添いますので、ご安心を」


フローラの言葉には、確かな責任感と安心感がにじんでいる。


「二人とも、本当にありがとう」


ミレイアがそう言うと、ノエルが急に真剣な顔になった。


「でも、お嬢様。学園は初対面の男性がうようよしていますから、“近づかない・目を合わせない・手を触れない”――この三原則、守れますよね?」


「まるで猛獣扱いね……」


ミレイアが小さくため息をつくと、フローラが真顔で言った。


「お嬢様の場合、うっかり触れたら感電か、氷漬けか、地割れですから」


「わたし、災害指定でもされるの?」


「正直、騎士団で議題に上がったことはあります」


「えっ、うそでしょ!?」


ノエルがくすくす笑いながら、そっと手を握った。


「でも大丈夫。私たちがついてますから」


「……ふふっ。そんなふうに言ってくれる人たちがいるなら、きっと大丈夫よね」


ミレイアは胸元に手を当て、まっすぐ前を見つめた。


「さあ、行きましょう。新しい私の舞台へ」


カツン――と扉が音を立てて開かれる。

光が差し込み、外の空気が流れ込んで

数え切れない視線が、彼女を迎えていた。


現れたのは、淡く光を帯びたようなパープルブロンドの髪を揺らし、

深い紺の瞳でゆっくりと辺りを見回す、少女

――ミレイア・ノクシア

その一歩に、空気が揺れる。


「あっ……」

「わ……」

「ま、まって……見て……」


誰かが何かを言いかけたまま、声にならずに止まる。


笑っているわけでも、怒っているわけでもない。

ただまっすぐ前を見て立っているだけなのに、その存在感は“人ならざる何か”のように感じられた。


まさに、夢幻の女神。


その美しさに息をのんで目を見開く者もいれば、

まるで直視することすら恐れ多いとばかりに、思わず視線を逸らす者も。


一部の男子生徒は、制服の襟を直しながら明後日の方向を見て固まり、

女子生徒たちは

「すごすぎてライバルにすらなれない……!」と頭を抱えた。


その中で、出迎えに立っていた上級生たち――

案内係の数人は、表情を凍らせたまま、引きつった笑みを浮かべてペコリと頭を下げる。


「ご、ご到着……お疲れさまでした、ミレイア・ノクシア様!」


「こ、こちらへどうぞ! あの、あの、入学式の前に……その、特別にお時間を……!」


うろたえる上級生の一人を、隣の教員が軽く肘でつつく。


「まったく……。ミレイア嬢、あなたには新入生代表としてご挨拶をお願いしています。

式の前に式次第の説明があるので、控え室へご案内しましょう」


「――わかりました。よろしくお願いします」


ミレイアは静かに頷き、足を一歩進めた。

その瞬間、紫の髪が朝日を受けてふわりと舞い、

周囲の空気が再び静まり返る。


まるで、“伝説”が、いまこの瞬間、

現実になったかのようだった。

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