1 馬車の中
馬車の扉がゆっくり閉まり、車輪がごとんと音を立てて動き出した。
クッションの利いた座席に腰を下ろしたミレイアは、そっと吐息をつく。
「やっと、出発ね……」
向かいの席に座った侍女のノエルが、にっこりと笑った。
「お嬢様、大丈夫ですか? 出発前にあれだけ引き止められたら困っちゃいますよね」
「ええ……行けなくなるんじゃないかと思って、ドキドキしたわ」
「まあ、ご家族の心配はわかりますけどね」
その隣では、長身で凛とした女性騎士・フローラが、肩にかけた剣の柄を軽く指でトントンと叩いている。
「可愛いだけじゃありませんから、ミレイア様は。魔力も頭脳も桁違い。学園で注目をあびるのは目に見えています。……正直、護衛としては私の方が緊張しています」
「ふふっ。フローラなら大丈夫よ」
ミレイアは笑いながら、窓の外に流れていく景色を眺める。
遠ざかっていく故郷。けれどその分だけ、新しい世界が近づいてくる。
「“夢幻の女神”なんて、数年前からあちこちで囁かれてますしね……。実物を見たらもっと騒がれそうです」
ノエルが目を伏せて、ぽつりとつぶやいた。
「お嬢様。……例のアレがあったら、すぐに呼んでくださいね」
「……何のこと?」
ミレイアが首をかしげると、隣のフローラが苦笑して補足した。
「恋愛で魔力が暴走するっていう、例のアレ、ですよ」
「ああ、それね」
ミレイアはくすっと笑って、きれいなパープルブロンドの髪の毛先を指にクルクルと絡める
「大丈夫よ。恋なんて……するつもりはないし」
「アレって確か——10歳の時に神殿で調べてわかったんですよね?」
ノエルの言葉に、ミレイアは、少しだけ視線を落とした。
「うん。恋愛感情が高まると、魔力の制御が不安定になる体質なんだって。……異性と手が触れただけで、スイッチが入っちゃうこともあるらしいの。感情が大きく動けば天変地異をおこしたり、わたしが空に飛ばされてしまう可能性もあるみたい」
「それで社交界にも出ていなかったんですよね……」
「仕方ないでしょ。下手したら舞踏会で地震でも起こしかねなかったんだから」
「本当に起きましたからね、あの時……」
10年前から侯爵家に騎士として仕え、当時の一部始終を知っているフローラが口を開く。
「やめてよ、その話!」
思わず大声を出してしまったミレイアが、慌てて口を押えた。
10歳の社交界デビューで、婚約者候補として紹介された王太子レオン。
少し会話をした後……ほんの一瞬、手を取られただけで地面が揺れて、会場が大騒ぎになったあの出来事。
「ミレイア様、心配なさらず。学園の校舎は魔力衝撃にも耐えられる設計ですから!」
フローラが真面目な顔で言った。
「……そうかもしれないけど……やっぱりこわいな……。空に飛んでいってしまったらどうしよう……」
「ちゃんと落ちてきてくれたら、受け止めますよ。私、ちゃんと筋トレしていますから」
「じゃあ、上手に落ちなくちゃね」
車内に笑い声が広がる。
魔力暴走の体質について知っているのは、家族と一部の使用人ぐらいだ。
恋愛感情で周囲に被害を及ぼすわけにいかないと、今まで恋愛禁止を自らに課してきた。
そのおかげか、知り合ってから長くたつ領民や使用人たちの前では魔力暴走は起きず、定期的に治療のために訪れる魔術師の前で軽い地震を起こしてしまう以外は、何事もなく過ごしてきた。
治療の甲斐があってか、以前よりも暴走を抑えることができるようになった気がする。
⸻
馬車の心地よい揺れの中、ミレイアはそっとまぶたを閉じて、記憶に思いを巡らせた。
あの、不思議な手紙が届き始めたのは、3年前の冬だった。
13歳の誕生日を迎えた夜。
誰にも言えない悩みを抱えていた、あの頃。
魔力暴走のせいで人に触れられず、社交界の誘いはほとんど断っていた。
近くの領地に住む令嬢を招いてお茶会を開いたことはある。
しかし、知らない異性が多くいる邸宅には招かれても行くことができず、断り続けているといつの間にか疎遠になっていた。
家族や領民は、いつも優しくしてくれていたけれど、ミレイアはどこかで不安を感じていた。
そんなある晩——枕元に、一通の手紙が降ってきた。
綺麗なグリーンにオーロラ色の箔おしの封筒は、一際目についた。
どこからともなく現れた手紙に驚きながら、恐る恐る封筒を開けると、中には同じ色の便箋が入っていて、短いメッセージが書かれていた。
【ミレイアへ】
誕生日おめでとう
今まで生きてきたあなたに心からの感謝を。
明日も、あなたらしく過ごせますように。
その翌日もまた届いた。
【ミレイアへ】
あなたが頑張っていることは何も無駄になりません。
力を使うことを恐れないで。
差出人不明。
最初は家の誰かのいたずらかと思ったけれど、誰に聞いても知らないと言う。侵入者の形跡もない。
【ミレイアへ】
あなたは未来で恋をする。
あなたの未来を守りたい。
いつしか、ミレイアは手紙を読むのが楽しみになった。
毎晩届く短いメッセージ。読むとキラキラ光って消えてしまう魔法じかけの手紙。
悩んだ日も、魔力暴走を恐れて塞ぎ込んだ夜も、その手紙を読むだけで心が軽くなった。
便箋を買って返事を書いたこともある。
「ありがとう」「あなたは誰?」と。
もちろん返事を出す宛先なんてなかったけれど、それでも——気持ちは、きっとどこかに届くと信じたかった。
そして一年前のある夜、ついにこんな一文が届いたのだった。
【ミレイアへ】
レガリア魔導学園に入学して。
そこから、すべてが始まるから。
⸻
ミレイアは目を開け、窓の外を見やる。
あの手紙がなければ、自分は今ここにいなかった。
王都はまだ遠い。
けれど確かに、未来はもう動き始めている——。




