出会いと口付け
アレキサンダス帝国公邸の応接室。
皇太子ヨウィエルは、しばらく前からレオンの座るソファの周囲をウロウロと行き来していた。
「ヨウィエル……少し落ち着いてくれ」
「無理だよ。だって、もうすぐ夢幻の女神に会えるんだぞ!」
興奮を隠そうともせず、ヨウィエルは声を弾ませる。
「それにさ……まさか、その正体が、あの魔導走行車を生み出した天才発明家、ミレイア・ノクシアだったなんて……どんだけ規格外なんだよ! ますます会いたくなったじゃないか!」
「会うのは構わない。だが、くれぐれも――」
「はいはい、何度も聞いたって」
ヨウィエルは軽薄な笑みを浮かべて肩をすくめる。
「彼女はレオンの大事な人なんだろ?少し話すだけだよ。第一、俺が他人のものを奪うような男に見えるか?」
その言葉に、レオンは小さく息を吐いた。
「……嫌な予感しかしない」
その時、応接室の扉が静かにノックされた。
「皇太子殿下。ミレイア・ノクシア様がお見えです」
扉が開き、ミレイアが姿を現す。
コートを預け、迷いのない足取りで近づいてくる彼女の表情には、不安の影は微塵もなかった。
ヨウィエルの前で立ち止まると、紺色のドレスの裾を摘み、優雅に膝を折る。
「ミレイア・ノクシアと申します。本日は、お目にかかる機会を賜り、身に余る光栄に存じます。殿下にとって実りあるひとときとなりますよう、微力ながら努めさせていただきます」
完璧な挨拶。
そして、伏せていた瞼をゆっくりと持ち上げた、その瞬間――
ヨウィエルが、勢いよくミレイアを抱き寄せた。
「……会いたかった」
「え?」
戸惑って見上げたミレイアの額に、頬に、そして……唇に――
流れるように、口付けが落とされる。
「な、何をしている!」
我に返ったレオンが駆け寄り、ミレイアの腰を引き寄せてヨウィエルから引き離した。
「何って……」
ヨウィエルは明らかに視線を泳がせながら言う。
「帝国流の、親しみを込めた挨拶だよ」
「挨拶だと?」
レオンの声が低くなる。
「嘘だな。帝国では、初対面の異性に軽々しく触れることはないはずだ。ましてやキスなんて、ありえない」
「いや、ほら……古い風習というか……」
ヨウィエルは言葉を濁しつつ、強がるように鼻を鳴らした。
「別に彼女は怒ってないだろ? 軽いキスくらい、いいじゃないか」
「開き直るな。手を出さないと約束したはずだ。これは国際問題になりかねないぞ」
「レオン……やめて。わたしは平気だから……」
必死に止めるミレイアの声も、怒りに支配されたレオンの耳には届かない。
互いの襟元を掴み合い、今にも殴り合いになりそうな雰囲気に、空気が張り詰める。
「そもそもだな――」
ヨウィエルが苛立ったように言葉を荒げる。
「お前たちの国の失態を許すために、交渉の席についてやってるんだ。それでその態度か?だったら、こっちにも考えが――」
「望むところだ」
レオンが即座に言い返す。
「俺は、ミレイアを軽く扱われて黙っていられるほど、寛容じゃない」
「軽く扱ったつもりはない!」
ヨウィエルは叫ぶように声を上げた。
「……ずっと昔から会いたかったんだ。気持ちが溢れて動いてしまっただけで……!それに……たまたま同じ国に生まれたからって恋人になるなんて、ずるいだろ!」
「……は?」
次の瞬間――
バケツをひっくり返したような水が、二人の頭上から容赦なく降り注いだ。
ミレイアの水魔法だった。
「だから……もう、やめてってば!」
水浸しになったレオンとヨウィエルは、はっとして距離を取る。
室内に、気まずく重たい沈黙が落ちた。
ミレイアはヨウィエルに向き直る。
「皇太子殿下。大変失礼いたしました。ですが、あなたは無断でわたしの唇を奪いました。だから、これでおあいこです」
凛とした声で、はっきりと言い切ると、熱魔法と風魔法を組み合わせた柔らかな温風で、ヨウィエルの全身を乾かしていく。
「……ごめん」
切なげに呟くヨウィエルに、ミレイアは小さく頷く。
続いてレオンに向き直り、同じように温風を当てながら静かに忠告をした。
「レオン。あなたは、この国に謝罪と交渉のために来たのよね? 嫉妬してくれたのは……わかるけど、それで国際問題になるなんて、わたしが喜ぶと思う?」
「……いや、悪かった。国を背負っている自覚を、忘れていたよ」
レオンは素直に頭を下げた。
「……とりあえず、座ろうか」
ヨウィエルがそう言って二人を促し、自身も向かいのソファに腰を下ろす。
しばしの沈黙の後、彼が静かに口を開いた。
「信じてもらえないかもしれないが……言い訳をさせてほしいんだ。ーー俺には、前世の記憶がある」
眉をひそめて黙り込むレオンの隣で、ミレイアが真っ直ぐに前を見て応えた。
「わたしは、あなたのおっしゃることを信じます。
ヨウィエル皇太子殿下……前世の名は、ヴィエルではありませんか?」
「ああ……」
ヨウィエルの目が大きく見開かれる。
「もしかして、君も前世を覚えているのか?」
「いいえ。残念ながら、覚えてはいません」
ミレイアは静かに首を振る。
「ですが、日記帳が残されていました。わたしが三度の前世を生きた記録が……。
あなたは、わたしの前世――ミレットにとって、大切な人だった。……そうですよね?」
ヨウィエルは、濃紺の瞳を覗き込むように見つめ、柔らかく微笑んだ。




