大衆食堂にて
「なあ……あれって夢幻の女神だよね?」
「いや、本物がこんな所にいるもんか。どうせ仮装だろ」
「けど、超レベルが高いじゃん。スタイルも良いし……めっちゃタイプ」
「……1人でいるぞ、声かけてみろよ」
「いや、無理だよ。あんな美女恐れ多いって……」
4人組の青年たちの会話を聞き流しながら、ミレイアは香ばしく焼き上げられた肉料理を頬張った。
「美味しい!」
思わずミレイアから満面の笑みが溢れる。
それを目撃した客たちのざわめきが広がっていく。
いつの間にか、老若男女問わず、注目の的になっている。
町で人気の大衆食堂は、いっそう賑やかになった。
「お待たせしました。地場野菜のホワイト煮込みだよ。……娘さんは、レガリアから来た人? 1人旅かい?」
料理を運んできた女性店員が、1人で座るミレイアに明るく声をかけた。
「はい、レガリアから来ました。お料理、すっごく美味しいですね!」
「どうもありがとう。……帝国語がすごく上手いんだね。来るのは初めてなのかい? ……嬉しいんだけど、あなたみたいな魅力的な娘さんが1人でこんな場所にいたら……食べられちゃいそうで心配だよ。既に狙ってる奴らもいるようだし……」
店内を見回すと、何人もの男たちが慌てて目を逸らした。
「大丈夫ですよ。わたしは強いですから!」
「……またまた!本物の夢幻の女神でもあるまいし!」
女性店員が指差した先には、ルーエ商会のグッズ……パープルブロンドの髪を揺らすミレイアの肖像画が飾られている。
ミレイアは、見て見ぬふりをした。
「ああ!やってしまった!!」
ーー突然、奥の厨房から大きな声がして、恰幅のいい料理人が、扉から青ざめた顔を覗かせた。
「どうしたんだい、お前さん!まさか……」
女性店員の後ろに続いて、ミレイアも駆け出した。
掛け合いを聞いた限り、2人は夫婦のようだ。
入った厨房は血だらけだった。
大きな包丁で指を切り落としてしまったのだと、一瞬で理解できた。
「あーあー……お前さん、昨日からずっと上の空だったから、いつかこうなる気がしていたんだ。指をしっかり押さえておくんだよ。……店を閉めて今すぐ病院に行こう。馬車を呼んでくるから……」
妻は、冷静に対応しているようだが、背中が震えている。
ミレイアは、彼女の肩に優しく手を置いて声をかけた。
「大丈夫ですよ。わたしが治癒しますから」
言うや否や、ミレイアは料理人の指に手をかざしていた。
切断された指は一瞬で綺麗にくっついて、痛みもひいていった。青ざめていた顔は、みるみるうちにピンク色に染まっていく。
「女神……さま……」
ミレイアを呆然と見上げる夫に、妻が駆け寄って、さっきまで怪我を負っていた手を掴んだ。
「え? 怪我が……消えてる!? この一瞬で?」
「はい。指はもう大丈夫です。それから……浄化魔法もかけておきました」
「浄化?そういえば……飛び散っていた血がどこにも無くなってるな」
治癒を受けた夫が、厨房を見回している。
「汚れた厨房も浄化しましたが、同時にご主人の頭の中も浄化しておきました。昨日から、ずっと上の空だったんですよね? 頭の中の記憶を司る部分にかかっていたモヤを取り除いたので……もう大丈夫ですよ」
「な……、そんなことまで!ただの綺麗な娘さんかと思ってたら、まさか本物の夢幻の女神だったなんて……!どうやってこの恩を返せばいいのか……」
「……ううっ……女神様!あなたは命の恩人です」
目を輝かせる妻と、目を潤ませる夫に、ミレイアは微笑みかける。
「大げさですよ。わたしは大したことはしていませんから!代金も必要ありませんからね!」
「そんなご謙遜を……!どんなお願いでも聞きますから、なんなりとおっしゃってください」
祈るような姿勢になる夫婦に、流石に戸惑っていると、開きっぱなしの厨房の扉から、客たちがなだれこんできた。
「やっぱり夢幻の女神、本人だ!美しすぎる……」
「すごいものを見てしまったわ!」
「神の奇跡じゃ……ありがたやー」
「僕も女神のキーホルダー持ってるよ!」
「あ、あいしてます!」
口々に話す客たちに、ミレイアは苦笑いを浮かべながら、逃げるように客席に戻った。
そして、追いかけてきた店員夫婦に話す。
「今すぐには、お願いは思いつきませんけど……とりあえず食事が途中になってるので、食べてもいいですか?」
「もちろんです!作り直します!」
料理を下げようとした料理人を、ミレイアは慌てて制止した。
「いえ、無駄にしたくないのでこのままで……」
「え、でも冷めてるし……」
「大丈夫ですよ。こうすれば……」
ミレイアは、煮込み料理の皿の上で指をクルリと回した。
料理は出来立てのような湯気を出し始める。
「今、何を……?」
「少し熱魔法を当てて、温め直しただけですよ」
平然と返事をしたミレイアは、ゆっくりとスプーンを口に運んだ。
「んー、美味しい!」
ーーその瞬間。天井からキラキラと光の粒が舞い落ちてきた。
料理人は、目を見開いて思わず天を仰ぎ、女性店員は跪いて祈りを捧げた。
店内の客にも動揺が広がる。
「何だよこれ……魔法?」
「キラキラしてて綺麗……」
「神の奇跡じゃ……ありがたやー」
「すげー!さすが女神!」
「一生愛し続けます……」
もちろん、ミレイアが無意識に祝福の光を降らせているのだが……料理に夢中の本人は気がついていない。
ミレイアは、食後のデザートを運んできた女性店員に、声をかけた。
「あの……考えていたんですけど、もし希望を聞いていただけるのなら、アレキサンダス帝国の歴史が描かれた本がほしいんです。レガリアでは、ほとんど手に入らないので……」
「帝国の歴史書?うーん、レガリアに比べたら歴史の浅い国だからねー。……あ!だったら……」
女性は、ミレイアがデザートを食べ終わったタイミングで、本を持って戻ってきた。
「これは、歴史書とは違うかもしれないけど……。初代皇帝が広めたとされている神話だよ」
「わあ……、こんな貴重なものいただいていいんですか?」
「もちろんだよ。本当にこんなものでいいのかい?」
「はい!ありがとうございます。料理の代金までサービスしていただいて……なんだか申し訳ないです」
「何を言ってるの。あなたは、うちの人の治癒をしてくれたんだよ?本当に感謝しているんだ。実は、この辺りには治療師のいる病院はなくてね。あるのは症状を緩和させる薬を出す薬院だけなんだ。一番近い病院でも、馬車で1時間はかかる。……わずかな傷でも手遅れになって命を落とす可能性はあるんだ……だから、命の恩人と思うことは決して大げさではないんだよ」
「そんな……。何とかしないといけませんね……」
立ち上がって出て行こうとしたミレイアを、慌てて引き止めたのは治癒を受けた料理人だった。
「あの……女神様。さ、サインをいただけないでしょうか?」
おずおずと差し出された厚紙とペンを、ミレイアはすぐに受け取った。
「わたしの名前でいいんですか?」
「はい!」
ミレイアは少し迷って、レガリア語で自分の名前を書いた後、夫婦に尋ねた。
「良かったら、お2人のお名前をお聞きしてもいいですか?」
「ああ、もちろん。俺の名はネルヴィス。妻は、サシャリーだよ」
ミレイアは、厚紙に、帝国語で『ネルヴィスさんとサシャリーさん、そして帝国の皆様の幸せを祈ります』と書き足した。
ミレイアが店を出て行った後も、ネルヴィスは立ち尽くしていた。サシャリーが優しく肩を叩く。
「お前さん……夢みたいな時間だったね。サインは肖像画の隣りに飾っておこうか」
ネルヴィスは頷いて、サインをピンで貼り付けた。
食後も店内に残っていた客たちが、かわるがわるサインを見て感動している。その中の1人のビジネスマンが、ふと口を開いた。
「私はレガリアに住んでいたことがあって、レガリア語が少しわかるんだが……彼女の名前は、ミレイア・ノクシアだった……」
「え?まさかノクシアの天才発明家?」
「おそらく。……天才発明家と夢幻の女神は、同一人物だ」
店内は、どよめきと不思議な充足感に包まれていた。




