距離感
ミレイアが転移したのは、魔塔にあるアゼルの研究室の奥にある――ベッドが置かれた居室だった。
「アゼル、おはよう」
ミレイアはカーテンを開け、暗い部屋に朝の光を流し込む。
アゼルはベッドに横になったまま、寝ぼけまなこでミレイアを見上げた。
「ミレイア……。どうしたの?急に」
「アゼルに聞いてほしい話があって……この時間ならまだ寝てるかなって思って、連絡せずにきちゃった。ダメだった?」
ミレイアがベッドの側にしゃがみ込み、視線を合わせる。
「ダメじゃないけど。突然のミレイアは、ちょっと胸にくるね」
アゼルはミレイアの耳元に近づいて、囁くように呟く。
「僕が欲しているのを知っているはずなのに……ひとりで寝室へ入ってくるなんて、君は危機感がなさすぎるな」
そして、そのまま耳にかぷりと甘噛みした。
「な……!」
ミレイアの顔が真っ赤になったのを見て、アゼルは口角を上げる。
それから、ゆっくりとベッドから降り立つと、彼女の手を引いてベッドそばのソファに座らせた。
「それで?話って何かな」
アゼルは手をつないだまま、自然に隣へ腰掛ける。
ミレイアは、他人から見れば恋人同士にしか見えないその距離感を、普通に受け入れていた。
治療のためと言って普段からスキンシップを取るアゼルに慣れてしまい、どこか感覚がおかしくなっているのかもしれない。
「あのね、わたし……アゼルの父親が誰なのか、わかってしまったかもしれない」
ミレイアは握られた手を両手で包み返しながら、慎重に伝える。
アゼルは一瞬だけ目を泳がせたが、すぐに真剣な顔になった。
「どうしてわかったのか、教えてくれる?」
「実はね、アルスおじさまが仕掛けた瞬間記録機の映像の中に……王妃様が何度も鞭で打たれている場面が映っていたの。王妃様は、その男に逆らえないみたいだった。映像ではフードを被った後ろ姿しか見えなかったけれど……声に聞き覚えがあったの。最初は信じられなかった。でも――あの人が精神魔法を操るすべての元凶だと考えれば、今まで起きていたことのつじつまが合うの……」
「それって……」
目を見開くアゼルに、ミレイアはそっと耳打ちする。名前を聞いた彼は、しばらく沈黙したのちに口を開いた。
「確かに……あの人なら王宮にも自由に出入りできるし、神殿にも強い影響力を持っている。セラフィス神官長とも繋がりがあったと思う。でも……目的がわからない」
アゼルが眉をよせる。
「王宮の人たちを操っていたことも、ミレイアの命を狙ったことも、マーサを襲って妊娠させたことも……それに、僕の存在に気づいていながら接触してこないことも……」
「うん。わたしたち、まだ知らないことがたくさんあるんだと思う」
ミレイアは胸に手を当てる。
「十五年前、両親が殺されたことと、生き残ったわたしの命を狙った理由は……きっと血筋か能力に関係があるはず。マーサさんを妊娠させたのだって、ただの快楽や嫌がらせだけじゃない気がして……」
「……話をしに行くしかないか」
「マーサさんには辛いことを思い出させてしまうと思うけど……アゼルのために、真実を知りたい。それに、大おばあさまにも聞かないといけないことがあるの。……聖女の歴史と、わたしの“神の意志を視る”能力について……」
「神の意志……?」
「まだよくわからないんだけど、初代聖女と同じ能力を、わたしは生まれつき持っているって……大おばあさまが」
「それは……興味深い話だな。できるだけ早く行きたいけれど……今日中に片付けないといけない要請がいくつも来ていてね。転移魔法を使えるのは僕と魔塔主だけだから、他の魔術師に任せられない。急いで片付けてくるから、待っててくれる?」
「うん。それなら、終わったら連絡して。わたしは作りたい魔道具があるし……ベルトランにも会いに行きたいから」
「ベルトラン・イグニッツ?いつの間に、ミレイアから会いに行くほど仲良くなったの?」
「友人になったの。アゼルと一緒だよ」
「……一緒にされるのは嫌だな。僕は……今でもミレイアのこと、女性として好きなんだけど」
アゼルは切ない表情で、握ったままのミレイアの手に頬を寄せた。
ミレイアは複雑な表情を浮かべ、そっと手を引く。
「わたしにはレオンがいるから……ね」
「だったら思わせぶりな態度はやめろよ……。いや、僕に言う資格はないか。治療を言い訳にして近づいていたんだから……」
「アゼル……」
「ごめんね、困らせて。でも……ミレイアへの気持ちは、簡単には消えそうにない。たとえ僕のものにならなくても、君を命に代えても守りたいと思ってしまう……」
「わたしこそ、ごめんなさい。アゼルをちゃんと拒否できなくて……一緒にいるのが当たり前になってしまってる。あなたが大切なの……ずるいよね」
ミレイアは、胸に顔をうずめるようにアゼルに抱きついた。
「……これは浮気じゃないよ。アゼルが悲しい顔をしてたから……ただの治療……」
胸元のペンダントが淡く光る。
アゼルは強く抱き寄せ、優しい魔力を流し込む。
「……これは治療だから」
少しして、二人は何事もなかったように離れ、お互いに背を向けた。
「それじゃあ、また」
「後でね」




