その日 本は一冊も手にとれなかった 3
「おいおい。不気味だとはいえ、ここは迷宮じゃ・・・!!」
そう言いつつも、ジョンの警告に歩みを止めた自分の思い込みは、彼の指差した先によって粉砕された。
まさに百聞は一見に如かず、だ。
薄暗い空間の薄汚れた床板に溶け込んではいるが、そこには確かにテンション=張力=引っ張る力が加わった糸が左右の壁と直角に低く張られており、無秩序な無用の長物が溢れているこの場で、そこだけ異質な雰囲気を放っていた。
「トリップワイヤー、だと?!」
「ああ」
普段とは逆に、自分の疑問に、目を細めたジョンが返事を返した。
トリップワイヤートラップ=主に足を引っ掻けたり、そのせいで張られた糸が切れたりをトリガーとして発動する罠だ。
「それも、本格的なヤツだ」
ジョンが床にたまったホコリをつまんで、見えているワイヤーの周囲に振り撒いた。
大部分の細かな汚れは元の住みかに戻ったが、運の悪い? 一部は、途中の空間に留まり、そこに一本の線を引いた。
元のラインより手前に、だ。
「「・・・!!」」
ジョンと自分の背筋の上を、正体不明のなにかが駆け上がった。
「一本はそれほど上手く隠さず、本命の二本目を隠蔽する・・・」
「ああ、そこまではよくある仕掛け方だが、まさか手前とはな」
普通二本目は一本目の後ろに仕掛けられる。二本目なのだから当たり前だが。つまりこのトラップを仕掛けた犯人? は、それを見越してわざと・・・。
いつの間にか、額を湿らせていた汗を拭う。
新学期がはじまってすぐの今は、決して暑い季節ではないのに。
「どうする? もう帰るか?」
「・・・うーん。それでもいい気がしてきた」
繰り返すがここは迷宮ではない。
・・・ほぼ、使われていないとはいえ、学園の中である。
そしてここに来た目的は、部活訪問。
肝試しとか、財宝を狙って迷宮踏破、ではないのだ・・・。
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「まあ、引っ掛かっても壁から槍とか、どこからともなく矢、とかはないだろ」
「そ、そうだな」
さすがに学園内でそれはやりすぎだろう、と。自分の推測にジョンもこくこくとうなずいた。
納得ではなく、そうだったいいなっぽいが。自分を盾にするように後ろで縮こまっているし。
「トラップの仕掛け方にも独自性があったし、もしかしたら後ろから飛んでくるかも」
とか、言ったら前に回るのかもしれないが、いや、十中八九そうなるだろうけど、かわいそうだからやらない。
いや、ついてきてくれるだけでも感謝だ。
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「たのもう!」
うん。廊下にトラップを仕掛けるような連中に礼儀は不要!
もしかしたらあのラインは、とっても凝った呼び鈴のつもりかもしれないが。
ようやくたどり着いた。出版産業研究会の部室は、おどろおどろしい廊下とは違い───心配していたタバコをふかす不良のたまり場でもなく───結構散らかってはいたが、普通の教室で。
意外にも同好会には似つかわしくない、ほとんど現役の教室で授業を受けているような数の男女が、そこにはいた。
「・・・?!」
「え・・・」
「あ?・・・」
廊下のトラップに全幅の信頼を置いていたのか、何人かの目がこちらと、壁際の小さなベルとの間を行ったり来たりしている。
「きゃーっ!」と。悲鳴。
なんだかこっちが悪いことをしたような・・・。
ドタバタ、ドタッ!
一斉に室内の全員が同じような動作を取り出した。
若干、混乱がみられるものの、それは何かを仕舞う、隠すような動きだったが。
手遅れである。
ひらりと。
机の上から落ちた紙の一部、何枚かが、こちらの足元に舞い降りた。
そこに描かれていたのは・・・。
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「すいません!」
「どうかこのことは !!」
「秘密にしてくださいっ !!!」
いまにも土下座するんじゃないかとばかりに、勢いよく頭を下げる出版産業研究会の同好会員。
Oh・・・。
そう。こちらにひらりと飛来した紙に描かれていた絵をみた感想は、おぅでも、オゥでもなくそう表現するのがふさわしい“裸”、であった。
「絵、とも違うのか? なんだこれ?」
ジョンが拾った紙に描かれていたのはやたらと細かい、ナニカだった。
「ストーリー? セリフ? ああ、この流れで・・・」
大きく面積をさかれたところに描かれた“裸” が衝撃的ではあったが、ちゃんと服を着た絵もあった。
・・・なぜか男と男、女と女が絡み合う絵もあったが。
ちなみにこの国では裸婦像はあまり歓迎されない。辛うじて神話や劇の一場面なら芸術に入るかなーぐらいであり、そういったことの直接的な表現は完全に排除対象だ。
そんなモノを描いたとバレれば教師は怒り、親は泣き、知り合いからは白い目でみられる───これには例外があるかもしれない───行為であり、彼ら=同好会というにはやたらと多い集団が、そろって真っ青になって頭を下げるのも納得だった。
「どうする?」
うん。ジョンよ。こういった重要な判断の問い掛けは、拾った紙から目を上げて、こちらを見てするものではないだろうか?
まあ、いいけど。
「えーと。一応聞くけど出版産業の研究とかは・・・」
こちらの問い掛けに、一斉に、なんだそれという顔になる集団。
・・・完全に無駄骨か。
これまでの苦労がのし掛かり、がっくりと肩から力が抜けた。
もう、何も見なかったことにして帰ろう、と決めた時、ソレは現れた。
・・・こなくていいのに。
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「やあ! ボクがきたよ!」
・・・誰だよ。と。知らないふりをしたかったが、知った顔ではある。一応。
「竹上カッッエ!」
ジョンが慌てて見ていた“裸” を背中に隠した。
賢明な判断と言えよう。アラン経由で味方と伝えられてはいるが、どうにもコイツは胡散臭い。なんかこう。やることなすこと全てに裏がある感じ。弱みや、つつかれて困るものは見せないに限る。
「そう! ボクだ!」
ジョンの悲鳴っぽい叫びを、なぜか気持ち良さそうに両手を広げて浴びるカッッエ。
・・・人の負の感情を力にかえるモンスターとか、じゃないだろうなコイツ。
そんな怪しげな男だったが、どうやら出版産業研究会にとっては救世主だったようで。
室内に、助かったという感じの空気が満ち満ちる。
うん。騙されていないことを祈るばかりだ。
「・・・そろそろ、お暇しようかジョン」
「そうだなリオン」
知り合いではあるが、関わりたくない人物ベストテン入りの人物が登場したなら、やることはひとつだ。
がしっ!
十分な距離をとってカッッエの後ろの出入口を目指したのだが、意外と力強く肩を掴まれた。
腕を伸ばさないと届かない距離だったので、本当に伸びたか───コイツならやりかねない───と一瞬想像、気持ち悪い想像をしたが、腕は通常の長さで。
どうやら音もなく近寄ってきただけのようだ。
・・・それもどうかと思うが。
「まあ、せっかくきたんだし。お話でも」
この場合、“せっかく”“来た” のは自分らなのか、コイツなのか。
どっちにしても、掴んだ肩を離すつもりはないようだ。
「・・・ああ」
そういうことになった。
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「見られたからには仲間になってもらおうか。なぁに悪い話じゃないよ。月々お金がキミの懐に入る。それだけさ!」
大袈裟な身振り手振りを交えそんなことを言ってくる。
古びた教室の型遅れな椅子も、コイツが座ると応接間のソファーのよう。
汚れ一つない制服をまとい、長い足を組み、自信満々にそう言われると内容が内容だけあって、すんなりとうなずきそうになる。
「・・・なるほど。廊下のトラップはお前の仕業か」
どうやら、出版産業研究会は竹上カッッエのいくつかあるであろう収入源の一つのようだ。
それなら保護しようと、色々画策するのも、自身が出場るのも納得だ。
「正確にはアラン達の仕事だよ。廊下全体の装飾を含めてね!」
机の上のティーカップを優雅に口に運、ぼうとして、それが無いのに気付いた、ふり。
いっけねー。とコツン! と自分の頭を小突くまでがセットであり。
・・・相変わらずコイツと話すと、内容が頭に入ってこない。わざとなら凄い技術だ。
「えーと。なんでこっちの懐がうるおうんだ?」
「共犯にして口封じするつもりだからだ。そうだろ?」
ジョンの質問には自分が答える。
カッッエに答えさせると、一々面倒なこと、この上ない。
「そうだよ! よくわかったね? せいかい、セイカイ、大正解 !! 花丸、いる?」
アゴの辺りに両拳を当てて上目遣い。
ただこちらの推論を肯定するだけでコレなのだから。
腕組みして、目を閉じてどうするか考えたいが、どうにも視覚を絶つのに不安がよぎる。かといって猫っぽい相手の目と視線を合わせるのもいやなのだから、もうどうしようもない。
結論を出すには・・・。
「その金を受け取ることで、出版産業研究会に不利益は生じるか?」
「それはない。ボクの取り分が減るだけさ!」
そう言われるが、キラキラと輝く瞳を見る限り・・・嘘くさい。限りなく。
ま、カッッエが取り扱っているブツが値上げされてたとしても、こちらは知るよしもないが。
「芋のツルはつながっているか?」
「あー。非常にからまってるね。ほどく間に切れちゃうぐらい細い部分はあるよ」
えっ? 芋? とジョンが呟いている。
「なら、条件は二つ。金は受け取るが、お前のところでプールしといてくれ」
おっ? と。わずかに驚いた表情をへて、竹上カッッエの唇がニヤリとつり上がった。
「わかった。御入り用の際は声をかけてくれよ。ボクからって絶対わからないようお渡しするから!」
これでよし。
・・・できるだけ頼まないようにしよう。
「二つ目は」と。切り出したところで、カッッエの方眉が上がった。
どうやら、こちらの次の条件を先回りしたつもりだったようだが、月旅行部と彼の関係を考えれば、直接寄付なんてのは、騒動の原因以外の何物でもない。
「俺とジョン、いや、月旅行部に所属するメンバーはモデルにするのを止めてくれ」
キョトン、と。固まったカッッエの後ろから、盗み聞きしていたのか、女生徒の「えー!」という叫びが聞こえた。
「あ、ああ。任せておきたまえ」
珍しく、素直に応じたカッッエの目が泳いでいる。
というか溺れている。
もし、同様の条件を自身に適用していなかったなら。
・・・手遅れだと思うぞ?




