その日、スライムは荒ぶらなかった
「・・・そろそろ、始めよっか」
パンパンと、カーラの手がやけに乾いた音を鳴らした。
予定になかった出来事に遭遇して仕事が増えても、元々あった仕事は減らせず、こなさねばならないのが世の常、人生のつらいところだ。
この部屋に備え付けの時計の針が、それほど進んでいないならなおさら。
・・・うん。進んでいないのか・・・。
自分としては、日もとっぷりと暮れており、もう解散、つづきは明日。という気分なのだが、時計が壊れているわけでもなく、午後一の輝きこそ衰えているものの、太陽もまた、まだまだ輝いている。
ふぅ。
「ま、強烈なヤツではあったな」
「ああ」
専用の用紙があるわけでもなく、部員名簿作りは枠線引きから始まった。こういった単純作業は、黙ってやっても、喋りながらやっても仕上がりに差がなく、それどころか会話をしていたほうが、成果が増える、なんてこともある。
しゃっ、しゃっ!、しゃっ !!
アンナ先輩? あれは例外だろう。
こういう準備はさんざんやっているのか、ペンにインクをつける、縦線を引く、インクが乾く前に横線を引こうとすると擦れて汚れるので、一旦別の用紙に替えてまた縦線を。何枚か繰り返し、最初の一枚のインクが乾いたら横線を引いて仕上げる。
極限まで省略された動きを繰り返すさまは───本人に聞かれたらイヤな顔をされそうだが───まるでこの作業の為に産み出された機械のようで。
カーラが、ぼーっ、と。眺めてしまうのも無理はない。
・・・いや、仕事してくれよ。
その反対に真剣ではあるが、作業が進んで|いなかったのは、リーナだ。
真面目に取り組んでいるのはわかるのだが、定規を紙から外すとインクが定規と紙の間に吸い込まれて汚れてる。乾いてない線をこすって伸ばしちゃう。縦横にかかわらず、最後の欄が狭い、もしくは広い。ようやくきちんとできた一枚に顔を輝かせ角をつまんだら、指の跡がくっきり。いつの間にか書かれていた、鼻の下の口髭は立派なのだが、そろそろ別の作業を割り振ろうかとした時、彼女の真価が現れた。
・・・透明な、フルっとした姿で。
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「スラリス! まずこれらは食べてはいけません」
フルっ。
気のせいか、なんとなく不満そうに体を揺らしたスライムに、ようやく完成した、枠線がきれいに書かれた紙と、インクがビンごとあたえられ、とぷん、と。その透明な体に取り込まれた。
「インクと紙の違いはわかりますね?」
フルっ。
「これも食べてはいけません」
追加で白紙がスライムに取り込まれる。
「インク部分の形を同じ量で同じ形につけてください」
?、?、?。
目を見張る自分ら三人の視線の先で、透明なスライムボディの中のインクビンから漂いだした黒い液体が、紙に近づくにつれ絞りこまれ、同じ太さで、寸分たがわず、そっくりな形を描き出した。
元々ラインを引くのに成功した紙の上に。
・・・うん。線が濃くなっただけだね。
「違います。書くのは何も描かれてじゃなくて、インクがついてないほうです」
今度こそ、リーナの思い通りにスラリスが動いた。
「インクから、いえ、紙に付けたインクから水分を抜いちゃってください。あ、それは飲んじゃっていいです」
一瞬、スライムの中の黒い液体が細まったが、なくなったのは目をこらさないとわからないぐらい少量の、線上に浮いた液体だけだった。
「そしたら紙を吐き出してください」
どちらの、と指示しなかったせいで二枚とも出てきてしまったが、問題ないだろう。
吐き出された紙に描かれたラインはどちらも同じ、どころか、上角二ヶ所についた、ちょっと潰れた指紋の汚れさえ見分けられない。
ひょいっと、その一枚をつまんで再度スライムに与えたリーナが、指示を出す。
「最後に吐き出すのは一枚だけ。残した用紙のインクの形を、ついてない紙につける。この動作を繰り返してください」
そこからはアンナ先輩超えだった。
瞬く間に印刷されたように、まったく同じ名簿用の紙が量産される。
そして。
スライムの快進撃は止まらない。
「まず、線に囲まれた空間、これを欄とします」
フルっ。
「この欄を名前、この欄を学年、この欄を部活動、とします」
ここは言葉で説明するのが難しかったのか、リーナが自分の使い魔に手を突っ込んで、文字通り指で指した。
「次にこの紙を名簿とします。名簿のこの欄に名前、この欄に学年、この欄に部活、それぞれの欄に付着したインクを同じように付けて、付けたインクの水分を抜いて飲んじゃってください」
フルっ。スライム動きにちょっと乗った感情は嬉しさなのか、足りないという不満なのか。
「始め!」
印刷機の替わりだけではなく、スライムにはもっと他の可能性があるのでは? という考えは実験に移された。
その目論見は外れず、テスト用に書いた入部届け(仮)の、それぞれの項目が見事名簿に書き移された。
「こりゃあ」
「すごいわね」
細かく指示をするのは手間ではあるが、それさえ一旦完了してしまえば、手書きよりもずっと早い。
面倒な作業から解放されそうで、今にも手を取り合って小躍りしそうなジョンとカーラであった、が。
「これは、・・・やっぱり、ダメですね」
アンナ先輩にはわかっていたのだろう。二枚目以降の失敗が。
その予想は残念ながら外れず、次の入部届け(仮)を取り込んだスラリスが、名前、学年、兼部というかメインの部を書き込んだ。
一枚目を写したその上に。
「ああっ!」
「そっか、欄指定」
「軸を認識させて、空欄、インクが付着していないところに、上から、でどうだろう?」
「やってみます!」
リーナがスラリスに指示を出し、見事二枚目のそれぞれの項目が、二行目に写される。
「いえ~い!」
ひたすら入部届けから名簿に書き移す作業に差をつけて置き去りにできそうな、ジョンとカーラがハイタッチをかわす、が。
順調に同じ動作を繰り返していたスラリスが、中ほどで学年の欄を一つ飛ばして下の欄に。記入にずれが生じたが、そのまま続けていく。
「ちょちょちょちょちょ! スラリス、なにやってんの ?!」
「あっ、ここ! インクが跳ねてる、ちょっとだけ!」
カーラの指差す先、飛ばされた学年の欄に、ほんのわずかな、よくよく見ないとわからないぐらい小さな、インクの点がついている。
どうやらスラリスはこれで、その欄を記入済みの欄と認識して、軸の次一個下に写したのだった。
「これ。あんたが書いたやつよね?」
「違う。オレじゃない」
さっきまであんなに仲良くしていたジョンとカーラの間の空気が険悪になった。
印=上角二ヶ所の汚れで見分けられるリーナ、というかスラリス製以外の用紙は誰が書いたかなんてわからないんだから喧嘩するだけ無駄なのに。
・・・なんとなく自分が書いた用紙のように感じるが、ここは黙っておこう。
「うーん。どうしましょう?」
まずは首をかしげているリーナが先だ。
学年の欄が一番下の段まで埋まった名簿は、完成品扱いで排出されたが、途中でずれてしまったので使えない。
「欄に異常があったら、は。ダメか」
「はい、スラリスさんには何が正常で、何が異常か判断できないでしょう」
フルフルフル。
たぶんこの震えるモンスターは、もっといろんなことを分かっていない。
ゆえに、細かい指示がいる。
「転写先の欄が埋まっていた場合、飛ばす、のは無理でしょうか?」
飛ばした欄は、ちょっと手間だが、人の手で書く。
「その指示だと、今度は横にずれる可能性が。それと、欄が欄でない、こう線が途切れている時にも不具合が発生するかと」
アンナ先輩のいう通り、人ならインクがかすれているね、で、すむちょっとした不備も、スライムにとっては想定外。たぶんくぎる線が開いている=二つの欄を一つと認識するだろう。
「いっそ、不具合があったら止まってベルでも鳴らして」
「スラリスさんには、その不具合が認識できないのですが」
「あー」
冷静なアンナ先輩の指定に頭を抱える。
凄く能力のある人材? スラ材? がいるのに使いこなせない、このもどかしさ。
だが。
「えと。こっからここまでのインクを紙から浮かせて下さい」
スライムに手と学年の欄がズレた名簿を突っ込んだリーナの指が、ずれた範囲をなぞる。
「それをこっからここまでに移動して、インクをくっつけちゃって下さい」
ズレは直った。人知れず。
いや、知らせてやれよ! とツッコミを入れる人物は。
残念ながら、この場には、まだ。
いないのだった・・・。




