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恵みの雨



(熱い…)

 息苦しさに耐えながら懸命に目を開き、ラルンはシュグを捜す。

(シュグ…)

 炎のなかのはずなのに辺りは真っ暗で、焼けるような熱だけが満ちている。

 ふと、闇の奥からあの夢のなかの泣き声が聞こえてきた。

(シュグ?)

 泣き声は夢のなかよりもはっきりと、さらに悲しげに響いてくる。

(泣かないで…)

 闇の奥に青い光が見えた。

(泣かないで…)

 ラルンは光に向かって手を伸ばす。



 どん、というすさまじい衝撃にクスマたちは倒れ込んだ。

「な、何だこりゃ…」

 顔を上げたブロンが目を見開く。寺の屋根を貫き、風にくるまれた炎が巨大な渦巻きとなって天高く昇ってゆく。うねりながら空を目指すその姿はまるで、

「竜だ…」

 どんどん周囲に黒い雲を集めてゆく火柱を見上げ、ジンがぽつりと呟いた。




 うとうとしていたニーラがはっと目を開けると、寝台で体を起こした母さんが窓の外を見つめている。

「大丈夫母さん…」

「ねえニーラ」

 外を見つめたまま母さんが言った。

「外へ出てみたいの…手伝ってくれる?」

「え…でも」

「お願い」

 ニーラの肩につかまりながら、母さんはゆっくりと外へ出た。

「ああ」

 空は灰色の雲に覆われ、空気はじっとりと湿っている。ニーラの頬にぽつりと滴があたった。

「母さん、降ってきたわ。入りましょう?」

「いいのよ」

 落ちてくる滴を愛おしげに手の平で受けとめながら、母さんはそっと微笑んだ。

「優しい雨…」

 



「見ろよテジン! 湖のなかのあれ、きっと竜の骨だぜ!生きてたら俺が退治してやったのになあ」

(うん…)

「なあテジン、いくら俺たちが雨を降らせても、カシャはすぐ水不足になる…だからいっそ水を引いて河を造ったほうが、後から生まれてくる者たちのためにもいいと思うんだ」

(うん…)

「おいテジン、ルクンマの軍隊が攻めてくるってネチェリが言ってる。どうやらパミシュ家が裏で糸を引いているらしい…。けど、お前は心配しなくていいんだぞ。俺が何とかするから」

(うん…)

「テジン…どうして分かってもらえないんだろうな。俺はオルク国を守るためなら何でもするのに…この国の人間に反対されるのが一番辛いのに…」

(うん…大丈夫だよ…大丈夫だよクティン。きっと…大丈夫だから)



 細かい乾ききった地面をしっとりと濡らしてゆく。巨大な火柱は巨大な雨雲となって消え、後に残った寺の黒い残骸が雨に打たれ白い煙を上げている。

「相変わらず派手だなあ」

 顔で雨を受けながら、クスマが笑う。

「おい、これ…」

 ブロンの声に倒れている摂政たちに目をやると、焼けただれていたその肌が雨に洗われるように元に戻ってゆく。

 「慈悲の雨…これが…」

 空を振り仰ぐジンとブロンにつられ、ナムダとラモも空を見上げる。さっと雲が割れ、わずかに覗いた夕日に雨が金色に染まった。

「ほんと…」

 クスマがサガラの側で横たわっている二人を見る。

「世話のやけるやつらだ」

 雨を受けて眠るシュグとラルンの手は、強く握り合っていた。




「テジン…お前の言う通り、ルクンマに和議を申し入れようと思うんだ。俺、こういう性格だからうまくいくか分からないけど…

 俺も誰の命も奪いたくないし奪われたくない。だから…何とかやってみる。見ててくれ、テジン」





 青空でハゲタカが円を描いている。

「摂政様…」

 呼びかけられサムディン摂政が視線を戻す。

 傍らでホンホンの小さな目が、じっとこち    らを見つめている。

「よろしかったのですか…やはり国に戻って赦しを乞うのが…」

 何も言わず摂政は再び歩き出す。その後をホンホンと黒ずくめの男たちが従う。どの服も焼け焦げてボロボロになっている。

 摂政はふと、自分の手を眺めた。火傷のあとなど一つもない。しかし、あの火に包まれたときの皮をはがれるような痛みは、確かに残っている。

「私とて…いまさら赦しを乞うほど恥知らずではない」

「は…?」

 聞き返すホンホンを無視し、摂政は岩だらけの道をルクンマへと向かい進んでゆく。その頭上でハゲタカが一声だけ高く鳴いた。





「実は…ずっとルジェに口止めされていたんです」

 サガラが申し訳なさそうに言う。

「ラルン君が自分で思い出せるまで…それまで何も言うなと。けれど、ラルン君を騙していたようで…本当にすみません」

「そんな」頭を下げるサガラにラルンは慌てて首を振る。

「僕のほうこそすみません…僕のせいでシュグやサガラさんや…皆に迷惑かけちゃって」

「ラルン君は悪くありません!」

 力を込めて言うサガラにラルンは微笑み、それからからっぽの玉座に目を向ける。

「…シュグにも謝らなきゃ」

「え…けど」

「大丈夫です」

 ラルンが立ち上がりサガラを見る。

「居場所はたぶん…分かります」

 そう言い、王の部屋を出てゆくラルンをサガラは黙って見つめていたが、やがて壁のダクパ神に向かい深々と頭を下げた。



 木漏れ日がちらちらと足元を照らしてくれる。


——いいか、ラルン。クティン・ラパというのはとても優れた、偉大な王様だったんだ。

 

 前に来たときよりも緑が濃く、草木の匂いも強く香っている。


——たった一人で、この国の人たちが幸せになれるようにいろんなことをしてくれたんだ。


 ラルンは唇を噛む。


——たった一人で…


 顔を上げると、湖は以前と同じ姿でそこにあった。

 いや、周囲の鮮やかな木々の色は同じだが、その青い水がだいぶ減り、水の下になっていた寺院の白い壁が露わになっている。

 湖の岸辺にシュグが立ち、じっと竜の骨を見つめていた。

 ふと、俄かに吹き出した風に水面が波立ち、ざわざわと沸き立ったかと思うと竜の骨の周りで渦が生まれ、渦はぐるぐると骨に巻き付いてゆく。骨を包んで伸び上がったその姿は、まるで水の竜だった。

 目を見張るシュグに、鎌首をもたげた竜がかっと口を開き襲いかかった。

 頭から竜に呑み込まれ、びしょ濡れになったシュグの背後で笑い声が上がる。

「やっぱり、僕のほうがうまいだろう?」

 水を滴らせたままシュグは振り向かない。

「シュグ…?」

「…思い出したのか…全部」

「…うん」

 ラルンは隣に立ち、湖を見渡す。その手にはテジン・ルチェの青い数珠が握られている。

「思い出したよ。二百年前…僕たちは兄弟で…双子だった」

 黙ってうつむいているシュグに、ラルンが言った。

「ありがとうクティン…僕をここに葬ってくれて」

「俺には…」シュグは声を絞り出しながら

「俺には…これくらいしかできなかった…テジンが安らかに眠れるように守ってやることしか…だから誰にも知られないように…誰にも思い出させないように…俺だけが知っていられるように…」

「でも」とシュグは歯を食いしばる。

「守れなかった…結局」

「大丈夫だよクティン」

 ラルンが湖のなかの寺院を見つめ

「僕はもうあそこにはいない。だから…もういいんだ」

「違うんだ!」

 悲鳴のような声が湖に響き渡った。シュグは足元に向かって怒鳴るように

「あのとき…お前が俺の身代わりにルクンマとの話し合いに行って、殺されたとき…俺は、ルクンマの使者を焼き殺した。そしてルクンマとオルクは戦争になって…俺はお前の死を無駄にしたんだ!戦争を起こしたくないって…犠牲を出したくないってお前の気持ちを…」

 うつむくシュグから滴るのは水だけではなかった。

「俺…ずっと怖がってたんだ。ラルンに昔のことを思い出してほしかったけど…思い出したら…昔のこと全部知ったら…ラルンもテジンも俺のこと嫌いになるって…だから…ラルンの母さんが苦しんでるのに…」

 震えるシュグの拳をラルンはそっと握った。

「小さい頃…よく父さんが話してくれたんだ。クティン・ラパは偉大な王様で…国の人たちのためにいろんなことをたった一人でやったんだって…」

 ラルンが手に力を込める。

「数珠を取り替えたのは…力を封印するためだろ?」

 シュグが小さく頷く。

「ごめんクティン…本当はネチェリに聞いて、ルクンマの使者がクティンを襲うことを知ってたんだ。だからかってに身代わりになったりして…僕のせいでクティン一人に苦しい思いをさせて」

「お前は…悪くない…」

 かろうじてシュグが言う。

「ありがとう…立派に国を治めてくれて」

 シュグが首を振る。

「ありがとう…僕のお墓をずっと守ってくれて…」

 シュグがまた首を振る。

「ありがとう…あのとき…僕を見つけてくれて。ごめん…すぐに思い出せなくて」

 シュグの肩が大きく震え出す。手からお互いの温もりが流れてくる。

「もうクティン一人に辛い思いはさせない。だって、そのために僕らは二人いるんだもの」

 小さな泣き声を湖を渡る風がさらい、朱く染まる空へと運んでゆく。

「僕たち…また出会えてよかったね」




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