二人の王と、もう一人
金色の麦の穂がざわざわと風に流れている。
「麦がこんなに早く育つなんて」
鎌を持つワティ母さんが嬉しげに腰を伸ばした。側で麦の束を抱えるニーラが
「母さん、まだあまり無理しちゃだめよ。もう休んだら?」
「大丈夫よ」母さんは腰を回しながら
「ずっと畑仕事なんてやってなかったから楽しいの」
そう言い麦刈りを再開する母さんをニーラが苦笑して見つめる。それを少し離れた所から、麦の束を抱えたラルンとシュグが眺める。
「よかったな…ワティさん元気になって」
「うん…ありがとう」
「おいおいお二人さん、手が止まってるぜ」
後ろで麦を刈るブロンが言う。
「そうですよルジェ。王宮に帰ったらまだ仕事が残ってるんですから」
麦のなかからサガラも言う。ジンが顔を出し
「いつまでもドレドたちの身代わりが通用すると思うな。あれが通用するのはお人好しのゲェルツァプ老師だけだ」
「分かってるよ! 全く…あ、そうだラルンも手伝ってくれよ。お前もルジェだろ?」
「無理」
「ケチ」
「僕はいままでどおりラルンのままでいいって言ってくれたのはシュグだろ?」
「…冗談だよ」
二人のやり取りをワティ母さんとニーラが笑いながら聞いている。
ラルンがテジン・ルチェというクティン・ラパの兄弟の転生者だと知ったとき、二人は当然ひどく驚いたが、ラルンはいままでどおりのラルンだと聞いてすぐに安心した。母さんとニーラに秘密を抱えなくてすんだことで、ラルンも同様に安心した。
「けどすみません、サガラさんたちにまで麦刈りを手伝ってもらって」
頭を下げるラルンにサガラたちは
「いえいえ、いつも不肖のルジェがお世話になっている、そのお礼です」
「不肖? 誰? 俺?」
「俺もクスマが世話になってる、その礼だ」
「そういえば…クスマは?」
「さあ? さっきまで『私は絶対に村には帰らない』とか騒いでたのにな」
「俺も…その、世話になってるからな。ワティさんや…」
「ニーラのためだろ! はっきり言えよ!」
ブロンがぎょっとし、全員がそちらを見る。
麦のなかからひょこんとクスマが顔を出した。
「でかい図体でもじもじするなよブロン、気色悪いぜ」
ブロンとニーラがそろって赤くなる。
「わ、私…お茶淹れてくる」
「ニーラ!」
逃げるように家へと駆けてゆくニーラの後を、ブロンが追ってゆく。
「あらあら」
微笑む母さんにラルンとシュグはそろって首を傾げる。
「相変わらずだなお前ら二人は。人間の機微ってものが二百年経っても分かんないみたいだな」
そう言って麦の茎を咥えるクスマに、シュグがどさりと麦の束を取り落とした。
「シュグ?」
「そ、その咥える癖…お前まさかっ」
ごくりと唾をのみ、シュグが恐る恐る言う。
「まさか…ネチェリか?」
「え…ええええええっ!?」
「ネチェリ…」サガラがクスマを見て
「あの、クティン・ラパの時代の有名な神託僧のネチェリですか?」
神託僧とは神の声を聞き、それによって未来やあらゆることを知る力を持った僧のことだ。
「そう。有能で有名な神託僧のネチェリ。お前らようやく気づいたのかよ相変わらず鈍いな」
「だって…ネチェリは男の子でクスマは女の子で…」
「そうだっまさか女に転生してるとは思わないだろ!」
「女じゃいけないって決まりもないだろ?」
「クスマがネチェリ…ネチェリがクスマ…」
鎌を握ったままジンが呆然と呟く。
深呼吸したシュグが、重々しく言った。
「お前…やっぱり村に帰れ」
「やだ」
「これは国王の命令だぞ! 帰れ!」
「あれえ、そんなこと言っちゃっていいのかなあ?」
麦を咥えたクスマがニヤリと笑い
「二百年前、お前たち兄弟が遊んでて壊した国宝級のお宝の数々…それに王宮の僧たちにしかけたいたずらの数々…これぜーんぶバラしちゃったらどおなるかなー?」
シュグとラルンが後退る。
「あ、ついでにあのことやこんなことも言っちゃおうかなー。王の威信も何もあったもんじゃないよなあー」
「全部子供の頃の話だろ! だからこいつが転生するのイヤだったんだよ!」
「ひょっとして…僕たち脅されてる?」
「俺の妹…最強?」
「喜ぶところじゃないですから」
ワティ母さんが微笑み
「何だかにぎやかになりそうね。…あら?」
見ると丘をナムダとラモの姉弟が登ってくる。
「よかった、やっぱり皆さんこちらだったんですね。村に帰る前にご挨拶をと思いまして。本当にお世話になりました」
ナムダにつられてラモも頭を下げる。
サムディン摂政にかけられた暗示でしばらくぼんやりしていたラモも、いまではすっかり元気になった。
「道中、どうかお気をつけて」
「ご両親によろしくね」
サガラやワティ母さんの言葉に「はい」と頷くナムダの傍らで、ラモがじっとシュグとラルンを見ている。
「…何だよ」
「…怒ってる?僕のこと…」
「そんな、ラモは操られていただけだもの。怒ってなんかいないよ」
それでもラモは、二人を見ながらもじもじする。シュグとラルンは顔を見合わせ
「そうだな。お前は兄弟じゃなかったけど、友達にならなれるな」
ラモはぱっと顔を明るくして
「姉さん、僕ルジェ様と友達になった!」
「ラモ、失礼よ」
「ううん、僕ら友達だよ。だからまたカシャに来て」
ラモは大きく頷いた。
青空の下を、ナムダとラモが手を振りながら遠ざかってゆく。手を振り返しながらラルンは街を見渡した。幾重にも吊るされた経文の旗が家々の屋根で風にはためいている。
「シュグ…僕守りたい。この国を…この国の人たちを…全部」
「ああ」隣でシュグも頷く。
「守れるさ。俺たちなら」
「そうそう。このネチェリ様がいれば大丈夫」
麦の茎を噛むクスマをシュグは横目で
「お前の神託はいまいちあてにならないんだよ」
「クスマは…ネチェリは僕に会ったときから全部分かってたんだ」
「当然。だから消極的なクティンにかわって、お前にテジンの記憶を取り戻させるためにどうしたらいいか頭を悩ませたわけ」
そこでクスマは眉をしかめた。
「もっとも…あのおっさんも全部分かってたみたいだけどな」
青空をハゲタカが円を描いている。
ハゲタカはやがてゆっくりと高度を下げ、地面へと下りた。
「ああ」
顔を上げたラムデは道の先に立つルガルを見やり
「どうやら…片が付いたようだな。いろいろと」
「キエエッ」とルガルが鳴く。ラムデは微笑み
「そうか。お前の好きな王様も記憶を取り戻したか」
それから道の脇に広がる深く広い谷に目をやった。その他には遠くカシャへと続いている。
「クティン・ラパとテジン・ルチェ…そして神託僧ネチェリ。三人もの神の子が再びこの地上に現れたということは…この国に何か重大なことが起こる前触れかもしれん」
ルガルが不思議そうに首を傾げる。
「だが…あの子たちなら大丈夫だろう。きっとな」
そうルガルに微笑みかけ、ラムデは道を進んでゆく。その背中からは、小さな歌声が流れてくる。
偉大なるナーマ(太陽)
気高きルジェ(王)
尊きダクパ神
我らがクティン・ラパ
静かなるナーラ(月)
優しきルジェ(王)
清きダクパ神
我らがテジン・ルチェ
深きガーラ(海)
導きのリンポチェ(宝)
正しきダクパ神
我らがネチェリ
ルガルは羽を広げ、再び青空へと舞い上がった。




