第11話:最初の楔
第11話:最初の楔
【ログ:Subject 12 / Purity 95% / Sync 0.4%】
深夜の医務室は、昼間とは違う種類の静寂に支配されている。
天井の蛍光灯は半分に減光され、青白い薄明かりがステンレス製の医療器具の縁を冷たく照らしていた。
部屋の隅で大型の空気清浄機が、ファサ、ファサと一定のリズムで空気を吸い込み、消毒用エタノールの匂いを循環させている。
「はい、お疲れさん。今日のメニューはこれで全部終わりだ」
検査ベッドの横で、ハルキが電子カルテの画面を指先で弾いた。
天道誠は、上半身にいくつものセンサーを貼り付けられたまま、ゆっくりと上体を起こした。頭の奥で、まだジリジリとした微かな耳鳴りが続いている。
先ほどの演習で『神速天撃』を連続使用した反動だった。だが、不思議と不快感はない。
むしろ、酷使した筋肉の気怠さすらも、自分がヒーローとして成長した証拠に思えた。
「ありがとうございます、ハルキさん。僕、どこか異常ありましたか?」
「異常? 冗談だろ」
ハルキは白衣のポケットから電子タバコを取り出し、口に咥えたまま鼻で笑った。
「むしろ異常なくらい正常だ。幹部連中の前で限界突破したっていうのに、神経回路の焼き切れ一つ見当たらない。お前の脳味噌は、まるでこのシステムに繋がれるために生まれてきたみたいだぜ」
ハルキの指先が、タブレットの画面を力強くタップする。
ピッと短い電子音が鳴り、モニターの隅に【適合性:優良(Excellent)】の緑色のスタンプが押された。
「おめでとう、12号ちゃん。これで晴れて、お前はプロヴィデンスの正式な最高戦力だ。明日からは特注のスーツも支給される。もうただの訓練生じゃない」
「本当ですか……!」
誠の顔が、パッと明るく輝いた。
センサーを固定していた粘着パッドを剥がすのももどかしく、ベッドの端から身を乗り出す。
「リナ、聞いた? 僕、合格したよ!」
部屋の入り口付近に立っていたリナが、ゆっくりと歩み寄ってきた。
彼女の白いコートは、照明を吸い込んで青白く発光しているように見える。
その表情は、いつものように穏やかで、一分の隙もなかった。
「ええ、聞いたわ。おめでとう、誠」
リナは誠の横に立ち、彼の手から剥がれかけたセンサーのコードを受け取った。
彼女の指先が、誠の熱を持った肌に触れる。相変わらず、彼女の手は氷のように冷たかった。
「これで、もっとたくさんの人を守れる。もう、カエデちゃんみたいな子たちを、危険な目に遭わせないで済むんだ」
誠は拳を握りしめ、力強く頷いた。
自分の決意が、純粋な善意だけから成り立っていると信じて疑わない。
その真っ直ぐな視線を前にして、リナはただ黙ってセンサーのコードを巻き取っていた。
彼女の網膜には、ハルキが先ほど押した『優良』のスタンプの裏側にある、隠されたデータが投影されている。
【Ego Erosion Level: 14%】
【Estimated Lifespan: Decreased by 42 days】
「ほら、ご褒美だ。新しいやつを配合しておいた」
ハルキが、小さなプラスチックケースを誠に向かって放り投げた。
誠はそれを両手で受け止める。中には、以前よりも一回り大きく、真っ赤に色づけされたカプセルが入っていた。
「赤、ですか。今までは黄色とか青だったのに」
「負荷が上がった分、補給する燃料もリッチにしなきゃな。一粒で二日は戦い続けられる特製品だ。味わって飲めよ」
誠はケースを開け、赤いカプセルを一つ口に入れた。
カリッ。
硬いゼラチンの膜が破れ、中からドロリとした甘い液体が舌の上に流れ出す。今までのサプリメントのような薬臭さはない。不自然なほど濃厚なベリーの甘味が、喉の奥へと滑り落ちていく。
直後、頭の奥で鳴っていた微かな耳鳴りが、ピタリと止んだ。
「すごい……一瞬で、頭がクリアになりました」
「そりゃどうも。じゃあな、明日の式典、遅れるなよ」
ハルキは電子タバコを吹かしながら、手をひらひらと振って医務室を後に出た。
自動ドアが閉まり、部屋には誠とリナの二人だけが残される。
誠は新しいサプリメントのケースを大事そうにポケットにしまい、ベッドから立ち上がった。
足元は驚くほど軽い。
すぐにでも境界壁へ向かって走り出せそうなほど、力がみなぎっている。
「リナ。僕、絶対に君の期待を裏切らないよ。明日から、本当の『ブライト・オリジン』として、世界を平和にしてみせる」
誠はリナに向かって、満面の笑みを向けた。
リナは少しだけ視線を下げ、誠の顔から、彼の胸元へと目を移した。
そこには、センサーを剥がした後に残った、丸い赤い斑点がいくつか浮き出ている。それはまるで、彼に打ち込まれた目に見えない楔の痕のようだった。
「……ええ。あなたは、私の自慢のヒーローよ」
リナの言葉は、完璧な抑揚で発せられた。
彼女は白衣の右ポケットの中で、あの不格好な小石を握る。
尖った角が皮膚に食い込み、鈍い痛みが走る。その痛みだけが、彼女の存在をかろうじて繋ぎ止めている。
誠は、彼女のポケットの中の冷たい葛藤を知る由もない。
彼はただ、支給されるはずの新しいスーツに思いを馳せ、自分の未来が光り輝く栄光に満ちていると信じたまま、医務室の出口へと歩き出した。
[Subject 12: Final Inspection - Approved]
[Purity Core Index: 95% (Erosion Stable)]
[Sync Rate: 0.4%]
【進捗率:15.2%】
【次回:ブライト・オリジンの輝き】




