第10話:称賛という麻薬
第10話:称賛という麻薬
【ログ:Subject 12 / Purity 96% / Sync 0.3%】
静まり返った地下演習場に、拍手の音が不規則に響いた。
三十メートル四方の空間を取り囲むように設置された防弾ガラスの向こう側。そこには、プロヴィデンスの最高幹部たちがずらりと並んで立っている。仕立てのいい黒いスーツ、無機質な銀色の徽章。彼らの目は、まるで新型の工業製品の最終プレゼンテーションを見極めるかのように、冷たく、そして貪欲に光っていた。
「見事な出力だ。まさに『至高の英雄』の名にふさわしい」
「前モデルの11号と比較しても、コマンド入力から実行までのラグが20パーセントは短縮されている。実に美しい」
マイク越しに漏れ聞こえてくる幹部たちの声は、どれも均質で、血の気が通っていない。
天道誠は、演習場の中央で深く息を吐き出した。
彼の足元には、先ほどまで「最上級の脅威」として設定されていたはずの重装甲の模擬標的が、六つ、全て原形を留めないほどに細切れになって転がっている。金属の焼ける匂いと、微かなオゾンの匂いが、閉鎖された空間の空気を重くしていた。
「誠。素晴らしい結果よ」
インカムから、リナの声が直接、耳の奥へと届けられる。
その声の響きは、幹部たちのそれとは違い、かすかに体温を含んでいるように誠には感じられた。
「リナ。僕、やれたよ」
誠は手にした模擬剣を下げ、ガラスの向こうの幹部たち、そしてその端に立つリナに向かって深く一礼した。
顔を上げた彼の額には、大量の汗が滲んでいた。しかし、疲労感はない。それどころか、背髄の底から沸き上がるような、底なしの万能感が全身を支配していた。
(もっとだ。もっと、みんなに僕の力を見てもらいたい)
誠の脳内で、システムが構築した報酬回路が静かに作動していた。
幹部たちの「称賛」の言葉が耳に入るたび、パッチ『Tranquility-4』の作用によって、神経伝達物質が異常な速度で分泌される。それは、筋肉の限界や骨の軋みを完全に麻痺させ、「世界を救う力」を振るうことへの極端な依存性を彼の中に植え付けていく。
ガラスの向こうで、ハルキが手元のタブレットを操作した。
「さあて、幹部様方のお墨付きも出た。12号ちゃん、仕上げにもう一丁、派手なやつを頼むぜ。標的、レベル5で再セット」
床のハッチが開き、先ほどの倍近い質量を持つ巨大な模擬標的が、鈍い駆動音とともにせり上がってきた。赤い警告のホログラムが、その装甲の表面に浮かび上がる。
『――Target Dummy / Load: 200%――』
「誠、無理はしないで。システム同期率が――」
リナの制止の声がインカムから聞こえたが、誠の耳には届いていなかった。
すでに彼の視界は、輝くような金色に支配されている。
(みんなが、僕を信じてくれている。僕が、この世界の希望なんだ)
誠は剣を中段に構え、重心を落とした。
頭の奥で、小さな、しかし鋭い痛みが一瞬だけ閃く。まるで、脳細胞のいくつかが焼き切れたかのような感触。だが、その痛みすらも、直後に溢れ出すドーパミンの波に飲まれ、強烈な快感へと反転していく。
「神速天撃……ッ!」
誠の身体が、再び視覚的な残像を置き去りにして消失した。
巨大な標的の装甲を、金色の軌道が十字に切り裂く。金属がへこみ、千切れる凄まじい轟音が演習場を揺らした。
ガガァンッ!
二撃、三撃。
誠の動きは止まらない。すでに標的は破壊判定を満たしているにも関わらず、彼は剣を振り下ろし続けた。
金色の視界の中で、標的の赤い【HP: 0%】の文字が、彼にこう囁いているように見えたからだ。
『もっと完璧に。悪を、完全に消し去れ』と。
「……っ、ハァッ!」
最後の一撃が、標的のコアを粉砕した。
破片が飛び散り、パラパラと硬い音を立てて床に落ちる。
誠は荒い息を吐きながら、ゆっくりと剣を下ろした。
再び、ガラスの向こうから拍手が沸き起こる。
今度は、先ほどよりも一回り大きな、熱を帯びた拍手だった。
幹部たちが満足そうに頷き合い、プロヴィデンスの次なる「最高傑作」の誕生を祝っている。
「……あはは」
誠の口から、乾いた笑い声が漏れた。
彼の目には、自分を称賛する幹部たちの姿が、救世主を讃える善良な人々の姿と重なって見えていた。
(僕は、正しい。僕の力は、絶対的な正義なんだ)
その確信が、彼の中で絶対の真実として固定化されていく。
彼には気づけなかった。自分が今、ただの「兵器としての性能」を評価されているに過ぎないということに。自分が、より効率的に、より無感情に命を奪えるようになったことを、褒め称えられているという事実に。
観測エリアの隅で、リナはただ一人、拍手をしなかった。
彼女の視界の端で、誠のバイタルデータが静かに更新される。
【Subject 12: Reward Circuit - Fully Active】
【Sync Rate: 0.3%】
リナの指先が、白衣のポケットの中で震えた。
小石の冷たい感触だけが、彼女をかろうじて現実へと繋ぎ止めている。
「……よくやったわ、誠」
リナはインカムのスイッチを切り、誰にも聞こえない声で、そっと呟いた。
彼女の目から、一滴の涙が零れ落ちそうになるのを、彼女は唇を噛み締めて必死に堪えた。
演習場の床には、誠の汗と、微かな血の匂いが落ちている。
誰も悪くない。誰もが、ただ純粋な「正しさ」を求めていた。
だが、その純粋さが交差するたびに、誠という人間は、確実に、そして美しく、削り取られていくのだった。
[Purity Core Index: 96% (Ego Substitution Progressing)]
【進捗率:13.8%】
【次回:最初の楔】




