第12話:ブライト・オリジンの輝き
第12話:ブライト・オリジンの輝き
【ログ:Subject 12 / Purity 98% / Sync 0.5%】
真新しいポリマー繊維の匂いが、狭い控室の空気を占領していた。
壁面に埋め込まれた蛍光灯の白い光が、ハンガーに吊るされた特注の戦闘スーツの表面で鈍く反射している。漆黒のベース生地に、白と銀の装甲プレートが組み合わされたその衣服は、人間の肉体を覆う鎧というよりも、洗練された工業製品のフォルムを持っていた。
天道誠は、支給されたばかりのインナースーツの上に腕を通した。
関節を曲げるたび、極薄のカーボン繊維がキュ、と小さな摩擦音を立てる。驚くほど軽い。だが、確かな密度と硬度が、皮膚の表面を隙間なく覆い尽くしていく。
昨夜、医務室で噛み砕いた赤いカプセルの余韻が、まだ舌の付け根に微かにへばりついていた。
人工的なベリーの甘みと、それに混ざる冷たい金属の風味。唾液を飲み込んでも、その気配は完全に消えることはない。だが、そのおかげで誠の頭蓋の内側は、異常なほどに澄み切っていた。
筋肉の軋みも、先日の高負荷訓練で焼き切れる寸前だった神経の熱も、嘘のように消え去っている。ただ、無尽蔵のエネルギーが足の裏から頭頂部へと絶え間なく循環し続けていた。
自動ドアが滑るように開き、リナが部屋に入ってきた。
彼女の白いコートの裾が、歩調に合わせて小さく揺れる。室内の空調が空気を吸い込む低いハミングに、彼女の靴音が重なった。
「サイズは問題なさそうね」
リナは誠の前に立ち、タブレットを小脇に抱えたまま、彼の胸元へと手を伸ばした。
細く、氷のように冷たい指先が、誠の首元にある銀色のラッチに触れる。カチリ、と硬質な金属音が鳴り、装甲のロックが完璧に固定された。
「うん。すごく動きやすいよ。これなら、昨日の『神速天撃』も、もっと速く撃てそうだ」
誠は腕を回しながら、白い歯を見せて笑った。
リナの顔が、わずかに誠の顔へと近づく。彼女から漂う薄い香水の香りが、新品のポリマーの匂いを一瞬だけかき消した。彼女の黒い瞳のレンズが、誠の胸の装甲の隅に小さく印字された『PROV-12』というロットナンバーを正確に捉えている。
「このスーツは、あなたの生体電流と直接リンクしているの。筋肉のわずかな挙動をシステムが先読みして、運動をアシストするわ。……これでもう、怪物の爪があなたの肌を傷つけることはない」
「ありがとう、リナ。君がずっと僕を調整してくれたおかげだ」
誠は、胸元に置かれたリナの手に、自分の手を重ねた。
彼女の指先の冷たさを、自分の体温で少しでも温めようとするかのように。
リナの肩が、微かにびくりと跳ねた。彼女はゆっくりと手を引き抜き、白衣の右ポケットの底へと滑り込ませた。ポケットの奥底にある、不揃いな小石。そのザラついた表面を、彼女の爪先が強く引っ掻く。
「さあ、時間よ、誠。みんなが、新しい『至高の英雄』を待っているわ」
リナは完璧なハンドラーの微笑みを浮かべ、控室の奥にある重厚な防音扉へと向き直った。
扉の横のシグナルが、赤から緑へと変わる。
分厚い金属のドアが左右に開き、その向こう側から、物理的な壁のような歓声と熱気が一気に押し寄せてきた。
プロヴィデンス第一統制エリア、中央広場。
頭上の環境シールドは完全な透明に設定され、正午の眩い太陽光が広場全体を白く飛ばすほどの光量で照らし出している。空調システムが秒速三メートルの人工的な風を生み出し、空からは膨大な量の紙吹雪が舞い散っていた。
「――出たぞ! 天道誠だ!」
「プロヴィデンスの剣! 僕たちの希望!」
沿道と広場を埋め尽くした数万の民衆が、プロヴィデンスの小旗を一斉に振っている。バサバサという均等な布の摩擦音が、地鳴りのような歓声に混ざって鼓膜を激しく叩いた。
誠はゆっくりと、特設ステージの中央へと歩み出た。
ブーツの金具が、大理石の床を叩くたびにカツンと澄んだ音を鳴らす。
『――Target Area: Safe. 視覚同調、スタンバイ――』
脳内で、システムの静かな起動音が鳴った。
誠の視界が、瞬時に薄い黄金色のフィルターでコーティングされる。
舞い散る白い紙吹雪が、彼の網膜では規則的なデジタルの雪として情報処理され、視界を遮らないように自動で透明化されていく。
群衆に視線を向ける。
何万という人々の頭上に、一斉に緑色のマーカーが点灯した。
【Citizen / Threat: 0%】
【Citizen / Threat: 0%】
どこまでも均質で、安全で、守るべき対象たちの記号。
誠の胸の奥で、心臓が大きく脈打つ。赤いカプセルの成分が血流に乗って脳髄へと運ばれ、無限の万能感が彼の視界をさらに眩く発光させた。
(僕が、この景色を守るんだ。一生かけても)
誠は広場の最前列に、あの少女の姿を見つけた。
艶やかな黒髪を二つに結ったカエデが、両手で小さな旗を振りちぎらんばかりに掲げている。彼女の満面の笑みが、誠の金色の視界の中で鮮明にズームアップされた。
カエデの肩から斜め掛けにされた、赤い鳥の刺繍のポシェット。
その粗い麻の質感が網膜に映り込んだ瞬間、誠の脳梁の奥底で、昨日閉ざされたはずの記憶の箱が、かすかにカタッと音を立てた。
(……あ、れは)
引き裂かれた泥だらけの衣服。
くぐもった人間の叫び声。
だが、そのノイズが形を成すよりも早く、脳内に大量のドーパミンが強制的に分泌された。
『Tranquility-4』の圧倒的な処理能力が、不純な思考をコンマ一秒で真っ白な霧へと溶かし込む。頭痛さえ起こらない。ただ、どこまでも透明で、無機質で、幸福な空白だけが思考の隙間を埋め尽くした。
誠は口角を上げ、大きく手を振り返した。
カエデが、そして群衆全体が、狂喜の声を上げてうねる。
「素晴らしい出力データだわ、誠」
耳元のインカムから、リナの静かな声が響いた。
ステージ袖の暗がりから、彼女がタブレットを見つめたままこちらを見ている。彼女の瞳には、誠のドーパミン分泌量と自我の摩耗率を示す二つのグラフが、冷酷な右肩上がりの軌跡を描いているのが映っていた。
「みんなの笑顔は、僕が絶対に守り抜くから」
誠はインカム越しにそう答え、ステージの中心で、支給された長剣を高く天へと掲げた。
太陽の光を反射して、刃が鋭い閃光を放つ。
割れんばかりの歓声が、空調の風に乗って空へと昇っていく。
誰もが、新しい英雄の誕生を心の底から祝福していた。
金色の視界の中で、誠はただ無垢に笑い続けている。自分が今、完璧に調整された十二番目の部品として、システムの歯車に完全に組み込まれたことなど、知る由もないまま。
群衆の熱気とは対照的に、リナのコートのポケットの中の小石だけが、ひどく冷たかった。
[Subject 12: Heroic Unveiling - Completed]
[Purity Core Index: 98%]
[Sync Rate: 0.5% (Phase 2 Initiated)]
【進捗率:16.6%】
【次回:異物混入、揺らぎの予兆】




