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遺言どおりにふざけてください  作者: 週休七日


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3/4

代読できない言葉

 居間には、古いホットプレートが出ていた。


 子供のころ、祖父はよく、家族全員の分を一枚で焼こうとした。


 大きければ喜ばれると思っていたのだろう。


 実際、焼き始めるまでは盛り上がった。


 問題は、ひっくり返すときだった。


 祖父は、誰かが手を貸そうとすると「わしがやる」と言った。


 そして毎回、真ん中あたりで折り畳まれた、キャベツの入った何かを作り上げた。


 失敗ではない、と祖父は言った。


 食えば同じだ、とも言った。


 祖母はそれを、黙って四角く切り分けた。


 僕は長いこと、お好み焼きというものは四角い食べ物だと思っていた。


 父がキャベツを刻み、叔父が食器を並べた。


 二人とも手際はいい。


 ただ、相手の動く場所を避けすぎて、ときどき妙に大回りをした。


 祖母は粉の袋を置くと、三通目の封筒を開けた。


「先に、これを読みましょう」


 父と叔父と祖母に宛てた、三つの手紙が入っていた。


 父は自分宛ての便箋を受け取った。


 叔父も、受け取った。


 祖母が、一緒に入っていた小さな紙を読む。


「『三、ここからは、わしが謝ります。これは代読ではなく、わしの返事です』」


 電気スタンドに照らされた祖父は、まだ親指を立てていた。


 どう見ても、これから謝る顔ではなかった。


 父が、便箋を開いた。


 祖父の字は、最初の遺言より小さかった。


 書き直した線が、何本も残っていた。


 父の隣にいた僕には、冒頭だけが見えた。


『隆一へ。


 店を継いでくれて、助かった。

 この一言を、先に言わなければいけなかった。』


 父はしばらく、そこから目を動かさなかった。


 それから便箋を持ち直し、続きを小さな声で読んだ。


「『お前なら大丈夫だと思っていた。それで、大丈夫かどうかを聞かんようになった』」


 父は息を吐いた。


「『わしが決めたことを、お前が望んだことにしていたことも、あったと思う。全部とは言わん。だが、なかったとは言えん』」


 台所の時計が、かちりと鳴った。


「『ありがとうと、すまんを言います。今ごろではあるが、言わんでよかったことにもならんので、書きます』」


 父は、残りを声に出さずに読んだ。


 読み終わっても、すぐには畳まなかった。


 叔父は、便箋の同じ場所を何度も見ていた。


 やがて、口の端を少し上げた。


「俺のは、最初に取り消しがある」


 叔父が見せた便箋の一行目には、『あのときは、お前も』とあった。


 その一行を、太い線が横切っていた。


 叔父は続けた。


「『違う。先に、お前のせいにする癖を直します』」


 祖母が、鼻から短く息を出した。


「紙の上では、できたのね」


 叔父もうなずいた。


 しばらくして、続きを読む。


「『お前が好きだと言った仕事を、わしは笑った。わしが知らん仕事だというだけで、まともな仕事ではないと言った。悪かった』」


 叔父の手の中で、便箋の端が少し曲がった。


「『いま、どんなことをしているのか、わしはちゃんと知らん。文子に聞けばよかった。お前に聞けば、もっとよかった』」


 僕は、スーパーの帰り道を思い出していた。


 父は窓のほうを見ていた。


 叔父が読む。


「『ちゃんと飯は食えているか。それを聞きたかった。だが、わしの口から言ったら、ほら見ろ、に聞こえると思った』」


 そこだけ、叔父の声が小さくなった。


「『別の言い方を考えているうちに、十三年たった。言い方だけの問題ではなかった。許さんと言われるのが怖かった。怒っているふりのほうが、楽だった』」


 父は、まだ窓を見ていた。


 夕方の光が、襟の折り目に細く当たっていた。


「『これを読んでいるなら、結局、生きているうちには言えんかったのだと思う。最後まで、卑怯です。すまん』」


 叔父はそこで便箋を置いた。


「……遅いよ」


 祖父の返事はなかった。


 回答用紙なら、僕の膝の上にあった。


 一、その件につきましては、大変申し訳ありませんでした。


 さっきまでは、あんなに便利だったのに。


 僕は、紙を裏返した。


 祖母が、自分宛ての便箋を読んでいた。


「何て?」


 僕が聞く。


「『あとは頼む』って」

「また頼み事?」

「消してある」


 祖母は、少しだけ笑った。


「『そう書きそうになった。いつもそうやって、お前に後始末を頼んでいた。あとは、好きにしてくれ』ですって」


 祖母の指が、便箋の下のほうへ動く。


「『それから、お前がずっと捜していた裁ちばさみは、作業台の下の引き出しにある。あれも、わしです』」


 僕は吹き出した。


 叔父が顔を伏せた。


 笑ったのか、違うものがこぼれたのか、見えなかった。


 祖母は、便箋を二つに折った。


「生きてるうちに言えばよかったのにね」


 それは怒っている声でも、許す声でもなかった。


 五十年以上、同じ人の忘れ物を捜してきた人の声だった。


 誰も、祖父をかばわなかった。


 少なくとも、そのときは。


 しばらくして、父が口を開いた。


「……あのとき、帰ってくるなって言ったのは、俺だ」


 叔父の指が止まった。


 僕は、何か軽いことを言いかけた。


 また謝罪会見だね、とか。


 故人の隣席にも説明責任が、とか。


 いつもなら、そういう言葉で空気の重さを少し薄めようとする。


 けれど父は、祖父の回答用紙を見ていなかった。


 僕も、黙った。


「言えば、考え直すと思ってた」


 父が言う。


 叔父は、便箋に目を落としたまま答えた。


「考え直したよ」

「……そうか」

「帰ろうかなって思うたびに、考え直した」


 父の口が、少し開いた。


 何も出てこなかった。


 台所の時計が、また鳴った。


 僕は、父が言葉に詰まっているところを、こんなに長く見たことがなかった。


 仕事なら、もっと早かった。


 寸法を測り、必要な材料を選び、どこをどう直せばいいか言った。


 でも叔父は、壊れた看板ではなかった。


 父は一度、口元へ手をやった。


 それから手を下ろし、叔父を見た。


「帰ってくるなって言って、悪かった」


 ようやく、そう言った。


「おまえが選んだ仕事を、逃げだって言ったのも」


 叔父は、唇を結んでいた。


 父は続けなかった。


 謝ったから、とも、家族だから、とも言わなかった。


 叔父が、ゆっくりうなずいた。


「……うん」


 便箋の角を、指で押さえる。


「すぐ、何もなかったみたいにはできないよ」


「うん」


 父もうなずいた。


 叔父はそれを見てから、また手元に目を戻した。


 しばらくして、言った。


「俺も、言いっぱなしにしてたことがある」


 父が顔を上げる。


「好きで残ったくせに、偉そうにするなって、言っただろ」

「ああ」

「あれ。兄貴がどんなつもりだったか、知らないのに言った。悪かった」


 父は、指先で自分の便箋の折り目をなぞった。


「好きではあったよ。今も、看板を作るのは好きだ」


 叔父は黙って聞いていた。


「でも、好きでやってるんだから大変じゃないだろって言われると……違うんだよな」


「うん」


「たまに、おまえがうらやましかった」


 父は、そこで少しだけ困った顔をした。


「それを、おまえに怒ってた」


 叔父は手の甲で鼻の下をこすった。


「俺も、兄貴は迷わないんだと思ってたよ」

「迷う」

「だよな」

「キャベツも」

「あれは、もっと迷わず買ってよかった」


 父が笑った。


 笑い方が祖父に似ていた。


 さっきまでは、叔父が嫌な顔をしないか気になったと思う。


 今は、叔父も少し笑っていた。


 祖母が立ち上がる。


「そろそろ、食べましょう」


 見ると、粉もキャベツも卵も、まだ別々のままだった。


 泣いたり謝ったりしたところで、夕飯は勝手にできない。


 祖母はボウルを引き寄せた。


「十三年分は、今日一日じゃ終わらないわよ。続きは、何か食べてからにして」


 父が、ホットプレートの電源を入れた。


 叔父が、卵を割った。


 僕は袋からソースを出した。


 祖母は、お好み焼きの生地を混ぜながら、祖父のパネルをちらりと見た。


「はさみの件は、まだ許してませんからね」


 今度は叔父の笑った顔が、ちゃんと見えた。

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