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遺言どおりにふざけてください  作者: 週休七日


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2/4

借用金、一千円

「千円ならある」


 父は、まず借りる必要性に異議を唱えた。


「あるだろうな」


 叔父もうなずいた。


「だから、借りなくても」

「でも、借りろって」

「誰が」

「顔のでかい人が」


 叔父がパネルを指した。


 祖父は、たいへん気前のよさそうな顔をしていた。


 貸すのは叔父だ。


 父は財布を出しかけて、やめた。


 それから腕を組んだ。


 次に、意味もなくネクタイを締め直した。


 千円を借りるだけなのに、支店長への面談に臨むような態度になっている。


「父さん、服装の審査はないよ」

「分かってる」


 祖母が、買い物袋を畳みながら言った。


「嫌なら、やめていいって書いてあったでしょう」

「嫌なわけじゃない」

「じゃあ借りなさいよ」

「そう簡単に言うな」


 祖母は首をかしげた。


「難しい金額だったかしら」


 叔父は窓の外を向いた。


 笑いをこらえているのか、父の顔を見ないようにしているのか、僕には分からなかった。


 やがて父が、咳払いをした。


「修二」

「はい」

「千円、貸してくれ」


 叔父が、ゆっくり振り返る。


「返すのは?」

「明日だ」

「担保は?」

「直人」

「僕の同意を省略しないで」


 十三年ぶりに弟へ頼み事をした父は、ついでに息子の身柄を差し出した。


 叔父は財布から千円札を一枚抜いた。


「大事に使ってくれよ。直人のためにも」

「借りるのやめよう、父さん。僕のために」


 二人は、僕の抗議を聞かなかった。


 封筒には、ご丁寧に借用書まで入っていた。


 金額の欄には、祖父の達筆で『金壱千円』。


 父は自分の名前を記入した。


 叔父はそれを受け取ると、少し眺め、二つに折って財布へしまった。


 僕は買い物袋を持った。


「直人も行くの?」


 祖母が聞く。


「僕がいないと、キャベツ売り場で相続の話を始めそうだから」


 父と叔父が、同時に言った。


「しない」

「しねえよ」


 仲はともかく、息は合っていた。


     *


 商店街のスーパーまで、歩いて十分ほどだった。


 父と叔父の間には、ひとり分の隙間があった。


 そこに僕が入ると、三人並びで道を塞いでしまうので、少し後ろを歩くことにした。


 黒い服を着た男が二人、無言で前を歩いている。


 その後ろを、人質がついていく。


 買うものは、祖父の指定でお好み焼きの材料だった。


『ほかのものでもかまわんが、お好み焼きがよい』


 最後まで、かまわないのか、かまわないふりなのかが分からない文章だった。


 祖母は「ちょうど粉が残ってるから」と言った。


 たぶん、四通の遺言の中で、現時点でいちばん実用的な理由だった。


 スーパーに入ると、父は迷わず買い物かごを取った。


 叔父も取った。


 二人とも相手の手元を見た。


「一個でいいだろ」

「そっちこそ」


 かごを戻す。


 二人とも戻した。


 僕が取った。


「持つよ。担保物件にも、それぐらいの機能はある」


 父は返事をせず、野菜売り場へ向かった。


 キャベツを手に取り、ひっくり返す。


 叔父が別のキャベツを持ち上げる。


「こっちでよくない?」

「いや、こっちだ」

「何が違うんだよ」

「……こっちのほうがいい」


 父は、仕事の説明ならいくらでもできる。


 けれど、自分の気持ちを説明しようとすると、急に語彙がキャベツになる。


 叔父が、父の持つものと見比べた。


「確かに、そっちのほうがいい顔してるな」


 父の口元が動いた。


「顔で買うもんじゃない」

「じゃ、何で」

「……重さとか」


 叔父は何も言わず、自分のキャベツを棚へ戻した。


 肉売り場では、叔父が少し厚めの豚肉を選び、父が薄いほうへ取り替えた。


「薄いほうが焼きやすい」

「厚いほうがうまい」

「ひっくり返すときに剥がれる」

「失敗する前提で買い物するなよ」

「失敗するつもりで作るな」


 僕は二つのパックを見比べた。


「別々に焼けば?」


 二人が黙った。


 それから父は薄いほうを、叔父は厚いほうを、かごに入れた。


 なるほど。


 家族というものは、たまに、肉を二種類買うだけで解決する。


 全部そうなら、ずいぶん安上がりだったのに。


 レジで父が財布を開き、いつもの調子でカードを出しかけた。


 叔父が小声で言った。


「融資した金は?」


 父の手が止まった。


 店員さんが、顔を上げた。


 僕は静かに買い物袋を広げた。家族の事情を説明するより、袋詰めに専念したほうが世の中のためだと思った。


 父は千円札を出した。


 足りない分は、自分の財布から出した。


 支払いを終えて店を出ると、叔父が言った。


「やっぱり、借りる必要なかったな」

「最初から言ってる」

「なのに、ちゃんと借りたんだ」

「母さんが、楽しそうだったから」


 叔父は、それ以上からかわなかった。


 代わりに、僕が持っていた袋を一つ受け取った。


 帰り道、父が聞いた。


「仕事は、まだ」

「うん」

「……芝居の」

「照明」

「それで、食えてるのか」


 叔父の足が、一瞬だけ遅くなった。


「千円ぐらいは貸せるよ」


 父の横顔が硬くなる。


「そういう意味じゃない」

「じゃあ、どういう意味」


 父は答えなかった。


 信号が赤になった。


 三人で立ち止まった。


 道路の向こうでは、小さな子供が母親に何かを訴えていた。母親はしゃがみ、子供の口元へ耳を寄せた。


 信号が青になっても、あちらの親子はしばらく動かなかった。


 こちらの親子と兄弟は、すぐに歩き出した。


 僕は、十三年前のことを詳しく知らない。


 知っているのは、叔父が家を出る日の夜、大きな声がしたこと。


 祖父が怒っていたこと。


 父も怒っていたこと。


 翌朝、叔父の工具箱が作業場からなくなっていたこと。


 それから長い間、この家では、叔父の話をする前に誰かが一度、別の部屋の気配を確かめるようになったこと。


 家の手前で、父が僕の買い物袋を受け取った。


 続いて、叔父の袋を見た。


「そっち、肉と卵だろ。重くないか」

「大丈夫」

「持つぞ」

「これぐらい、自分で持てる」


 叔父は、今度は笑わなかった。


 父も、もう何も言わなかった。


 玄関を開けると、祖母が台所から声をかけた。


「おかえり」


 父が「ただいま」と答えた。


 僕も答えた。


 叔父は靴をそろえてから、袋を少し持ち上げた。


「買ってきたよ」


 祖母は、もう一度言った。


「おかえり」

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