故人の謝罪会見
祖父の謝罪会見は、祖父が欠席していることを除けば、おおむね順調だった。
「その件につきましては、大変申し訳ありませんでした」
父が、紙に書かれた文章を読む。
隣では、祖父が満面の笑みで親指を立てていた。
正確には、祖父の顔を実物の一・五倍ほどに拡大した写真パネルである。生身だったころより顔が大きいせいで、反省のなさまで増幅されている。
その前に置かれた看板には、こう書かれていた。
『被害者のみなさまへ』
書いたのは祖父自身だ。
看板屋として五十年以上働いてきた男の字は、腹が立つほど美しかった。
「では、次のご質問です」
司会の僕が言う。
祖母が手を挙げた。
「冬物を出しておいてと頼んだら、こたつの天板だけ出してあった件について」
父は回答用紙を見た。
「悪気はありませんでした」
「暖気もなかったわね」
叔父が噴き出した。
父は笑わなかった。ただ、回答用紙を持つ手が少し震えた。
僕はそれを、笑いをこらえたせいだと思うことにした。
*
話は四十分ほど前に戻る。
祖父の葬儀を終え、片付けを手伝ってくれた親類たちを見送ると、家には四人が残った。
祖母と、父と、父の弟である修二叔父さんと、僕。
父と叔父がまともに顔を合わせるのは、十三年ぶりだった。
葬儀では互いに「どうも」と言ったきりだ。兄弟の再会というより、たまたま同じエレベーターに乗った別会社の部長同士だった。
この家へ上がるときも、叔父は「お邪魔します」と言った。
生まれ育った家なのに。
祖母は「おかえり」と返したが、叔父は返事をせず、靴をそろえていた。
仏壇の前には、まだ花の匂いが濃く残っていた。
父が黒いネクタイを緩め、叔父が湯飲みに手を伸ばしたところで、祖母が押し入れから大きな箱を引っ張り出した。
「おじいちゃんから、これ」
蓋には、太い字で、
『もしものとき』
その下に小さく、
『もしもがなければ開けないこと』
と書いてあった。
「もしもはあったから、開けるわね」
祖母はためらわず蓋を取った。
中に入っていたのは、四通の番号付き封筒と、例の巨大な写真パネル、そして折り畳まれた看板だった。
父が眉間を押さえた。
「なんで死後に顔を増やすんだ」
祖母は一番上の紙を読んだ。
「『財産のことは、別の封筒にまとめてある。こちらは、ふざけるほうの遺言である』」
叔父が湯飲みを置いた。
「部門が分かれてるんだ」
「『嫌ならやらなくてよい。やらないことで減る財産はない』」
「よかった」
「『やって増える財産もない』」
「そこは黙ってていいよ」
僕のツッコミに、祖母は少し笑った。
葬儀の最中、祖母はずっと、誰かに頭を下げるための顔をしていた。
その顔が、ここに来て初めて緩んだ。
「一枚目だけでも、やってみない?」
父は箱の中を見下ろしていた。
叔父は、もう一口だけお茶を飲んだ。
「……母さんがやりたいなら」
父が言った。
叔父も、湯飲みを置いてうなずいた。
一通目の指示は、こうだった。
『一、わしの謝罪会見を開くこと。
司会は直人に任せる。
家族は、わしに迷惑をかけられたことを申告せよ。
回答は別紙より選ぶこと。
代読する者は、じゃんけんなどで適当に決めよ。
ただし、美談に逃げてはならない。』
「逃げ道を先に塞いできたな」
叔父がつぶやいた。
「僕が司会なのは、なんで?」
「直人は、あの人のくだらない話に一番長く付き合ってたからでしょう」
祖母はそう言って、パネルを座布団の上に立てた。
僕が付き合っていたのは、祖父の話が長く、逃げようとすると「ここから面白い」と言われるからだ。
そこから面白かったことは、あまりない。
回答用紙には、三種類の文章が書かれていた。
一、その件につきましては、大変申し訳ありませんでした。
二、悪気はありませんでした。
三、次から気をつけます。
「三番、使えるの?」
僕が聞くと、祖母は用紙をのぞき込んだ。
「使えないわね」
「死後の運用が考慮されてない」
父がため息をついた。
「さっさと終わらせよう。俺が読む」
こうして父が、故人の謝罪を代行することになった。
叔父は途中で立ち上がり、作業場から電気スタンドを持ってきた。
パネルの斜め上から光を当て、反対側に白い板を置く。
祖父の顔が、妙に生き生きした。
「そこまでしなくていいだろ」
父が言った。
「暗い顔で謝るよりいいかと思って」
「顔は元から明るすぎる」
叔父は、芝居の照明に関わる仕事をしている。
祖母からはそう聞いていたが、実際に手を動かしているところを見るのは初めてだった。白い板の角度を少し変えただけで、祖父の鼻の下にあった影が消えた。
残念ながら、非は消えなかった。
最初に申し立てられた被害は、祖母の冬物事件だった。
次は僕が挙手した。
「夏休みの自由研究を手伝うと言って、ほぼ全部自分で作り、先生から『大人の人に頼んだでしょう』と言われた件について」
父が答える。
「悪気はありませんでした」
「僕は先生に謝りました」
「その件につきましては、大変申し訳ありませんでした」
祖母が首を振った。
「あれ、帰ってきてからも『先生はどこが気に入らんのだ』って言ってたものね」
「技術の話じゃないんだよ」
叔父が手を挙げた。
「『整理整頓』の看板が邪魔で、作業場の引き出しが開かなかった件について」
父が、わずかにうつむいた。
やがて、肩が一度だけ揺れた。
「あったな、あれ」
「しかも取ろうとしたら怒るんだよ。そこに物を置くなって」
「置いたのおまえだろってな」
二人の声が、初めて自然につながった。
父は、顔を上げるとすぐ回答用紙へ目を戻した。
「その件につきましては、大変申し訳ありませんでした」
僕は、調子に乗って言った。
「では、ご本人からも何か」
「ご本人じゃない」
「同じ型なので」
「型で親子を説明するな」
祖母が笑った。
叔父も笑った。
父も、今度は隠し切れなかった。
写真の祖父だけは最初からずっと笑っていて、それがまた腹立たしかった。
祖母の申告は、まだ終わらなかった。
「あと、『あれ取って』の、あれが分からなかった件」
「それは日常だろ」
「煮物かと思ったら脚立だったのよ」
父が回答用紙を一度置いた。
「それは俺にも分からん」
会見は、用意された回答では対応できない段階に入った。
僕は、思っていた。
祖父らしい。
葬式まで終わったというのに、まだ家族を集め、こんなことに付き合わせている。僕たちはまた「ここから面白い」に引っかかったのだ。
叔父が、パネルを見たまま言った。
「でも、本当に謝らない人だったよな」
その声だけが、それまでと少し違っていた。
父の手が止まる。
「ふざけたことは山ほどするくせに、人には『ふざけてないで、まともにやれ』ってさ」
叔父の指が、湯飲みの縁をなぞった。
僕は回答用紙を見た。
こういうときのために、一番があるのだろうか。
父も、同じ場所を見ていた。
けれど、読まなかった。
「……そうだな」
それだけ言った。
祖母が、次の封筒を手に取った。
「続ける?」
「次は何」
父が聞いた。
祖母は紙を広げた。
「『二、隆一は修二に千円を借り、その金を夕飯の材料に使うこと。修二も買い物につきあうこと。返済期限は、明日とする』」
父が、今度こそ真正面から祖父をにらんだ。
この日、祖父がいちばん生きているように見えた瞬間だった。




