第2話 極寒の密室
『まずは最初のゲームだ! リビングの奥にある二つの扉から、チームごとに別室へ移動しろ!』
狐面の指示に従い、伊織と芽依は右の扉へ、琉生と美月は左の扉へと足を踏み入れた。バタン、と背後で重厚な扉が閉まり、鈍いロック音が響く。
「えっ……さ、さむ……っ」
別室に入った途端、芽依が両腕をさすりながら身震いした。異常なほどの冷気が芽依の肌を撫でる。空調がうなりを上げ、部屋の温度を下げているのだ。吐く息が白くなるほどの『極寒の密室』。殺風景な部屋の真ん中にはポツンと、一枚のもこもことした厚手の毛布だけが置かれている。しかしそれは、どう見ても一人用のサイズだ。二人で使うには、肩が触れ合うほど密着しなければならない。
あ、あ、あああ……っ!! ありがとうございます、主催者様!!
伊織は状況を理解した瞬間、内心で見えない狐面に向かって五体投地で感謝を捧げていた。デスゲーム開始数分で訪れた、愛する人と毛布に包まるという圧倒的ご褒美イベント。伊織の脳内は歓喜のサンバを踊り狂っていたが、表向きは『頼れる人気アイドル』の仮面を完璧に貼り付けていた。
一方の芽依は、部屋の中央にある毛布と伊織を交互に見比べ、サァッと顔面を蒼白にさせていた。
嘘でしょ……この毛布に、院瀬見さんと一緒に入らなきゃいけないの……?!
ただでさえ彼へのトラウマがある上に、ここは正体不明の人物が主催するデスゲームの会場だ。当然、部屋のどこかに監視カメラが仕掛けられているはずである。もし、院瀬見伊織と二人で一つの毛布に密着している映像が世に出回りでもしたら――。
今度こそ、完全に私のアイドル生命が終わる……っ!!
恐怖と寒さでガタガタと激しく震え出す芽依。そんな彼女の絶望的な心中など露知らず、伊織は甘く優しい、しかし有無を言わさぬ人気アイドルの笑みを浮かべて歩み寄ってきた。
「花村さん、このままだと凍えてしまうよ。……少し狭いけれど、これを被ろう。僕が風除けになるから」
「け、結構ですっ!私は大丈夫ですから……!院瀬見さんだけで使ってください……っ!」
「そんなわけにはいかないよ。女の子にこんな場所で寒い思いをさせるなんて、アイドルとして……いや、男として失格だからね」
「でもっ……!」
「それに、君が倒れたらゲームが進行できなくなるかもしれない。ほら、おいで」
ブンブンと首を横に振って後ずさる芽依の肩をそっと抱き寄せ、伊織は半ば強引に、しかし極めて紳士的な手つきで毛布の中へと彼女を迎え入れた。
「ひぃっ……!」
近っ! 近い近い近い! 誰か助けて……!
厚手の毛布の中で、必然的に二人の身体はぴったりと密着する。完全に全身を強張らせ、息を詰める芽依。彼女の緊張を解そうと、そしてこの至福の時間を少しでも引き延ばそうと、伊織は極めて自然なトーンで会話を試みた。
「それにしても、随分と冷え込むね。この毛布があって助かったよ」
「そ、そうですね……っ。あ、あの、私、もう十分に温まりましたから、少し離れても……」
芽依は引きつった笑顔を浮かべながら、毛布の中でジリジリと距離を取ろうと後ずさる。しかし、一人用のサイズの毛布では逃げ場などたかが知れている。ほんの少し身を捩っただけで、背中から冷たい空気が入り込んできた。
「ほら、隙間風が入ってきているよ。君が風邪を引いたら、ファンのみんなが悲しむからね。もう少しこっちにおいで」
「い、いえっ、本当に大丈夫で――ひゃっ!?」
逃げようとする芽依の肩を伊織の腕がふわりと、しかし逃げられない程の力強さで引き寄せた。再び、肩と肩が触れ合うほどのゼロ距離へと逆戻りする。
ひぃぃ!逃げられない……っ!
伊織の腕は筋肉質で、とても逞しい。自分の力では振り解くことの出来ない、圧倒的な力の差。記者が写真を撮ったあの時も、芽依は伊織の誘いを断ることが出来なかった。力の差だけでなく、アイドルとしての実力と人気の差が二人にはあった。彼女はトラウマを刺激されパニックに陥り、さらに身体を強張らせる。けれど口角を上げ、情けなく笑うのは彼女の持つなけなしの生存本能であった。
そのすぐ隣で、伊織は芽依の髪からふわりと漂う甘いシャンプーの香りに包まれ、今度こそ嬉しさのあまり気を失いそうになるのを必死の思いで耐えていた。
……ん?この少し甘酸っぱいピーチとフローラルの香りは……。いつものハーブ系のものじゃない。最近シャンプーを変えたのか……!?どこの銘柄だろう。気付けなかったなんて僕としたことが、一生の不覚……っ!!
密着した状態で密かに深呼吸を繰り返し、伊織はすぐさま脳内の『花村芽依データベース』の更新タスクを立ち上げる。
でも、この新しい香りも芽依ちゃんにすごく似合っていて最高だ……!ここから無事に出られたら、香りの特徴から絶対に特定して、僕も今日から同じものを使おう。同じ香りを纏うことで僕たちは見えない糸で結ばれ、実質一つに……!!
「寒くない? 大丈夫?」
表向きは優しく気遣う完璧なイケメンフェイスを保ちながら、引き寄せる腕は芽依を抱き寄せて離さない。
「あ……は、はいっ、大丈夫、です……」
「良かった。寒かったら、もっとくっ付いていいからね」
芽依は抗うのを止めて、力なく笑った。伊織は彼女の返答に笑顔で返す。脳内では彼女の香りで満たされた幸福感により、完全なショートを起こしていた。
一方通行の重すぎる愛と、生存本能からくる恐怖。
一枚の毛布にすっぽりと包まり密着しながらも、二人の心は宇宙の果てほど離れていたのだった。
一方、もう一つの極寒の密室では。
「……おい、なんだあの毛布は。罠か?」
琉生は眉間に皺を刻み、床に落ちている毛布を睨みつけた。
「そんなこと言ってる場合!?寒くて死んじゃうよ!早く入って!」
警戒心を露わにする琉生。だが、美月は一切の躊躇なく毛布を引っ被ると、強引に琉生の腕を引いて毛布の中へ引きずり込んだ。
「うわっ、引っ張るな!」
「文句言わないの。……あー、でもなんか、これ懐かしいね」
密着状態という、傍から見れば胸を高鳴らせるのシチュエーションにも関わらず、美月と琉生の顔に照れは一切ない。
「懐かしい?」
「ほら、子供の頃。真冬に二人で、こたつの布団に潜り込んで秘密基地作ってたじゃない。あの時の感じにそっくり」
美月が無邪気に笑うと、琉生の険しかった顔も、ふっと和らいだ。
「ああ……あったな。あの時、お前が寝相悪くて布団全部持っていくから、俺いっつも風邪引いてたんだぞ」
「えー、そうだっけ? 琉生が毛布譲ってくれたんだと思ってた」
「図々しいやつだな、昔から」
極限状態の密室のはずが、完全に『実家のような安心感』を醸し出す二人。彼らは幼稚園からの付き合いで、所謂幼馴染である。そのせいか、恋愛の気配など微塵もなかった。
その様子を二分割のモニターで監視していた紬希は、モニタールームの特注チェアの上で足をバタバタとさせて悶絶していた。
伊織くんと芽依ちゃんペアは最高……っ!寒さに震える芽依ちゃんを抱きしめて温めてあげるなんて……!密着度120点満点!!そして琉生くんと美月ちゃん!すぐにラブラブドギマギ展開とはいかなかったのはちょっとだけ残念だけど……なにその幼馴染のほっこり裏話!?公式から急に供給された激レアな過去エピソード、尊すぎるでしょ……っ!!
デスゲームという名の特等席で、推したちの新たな一面を余すところなく摂取できるこの状況。おせっかい令嬢は自らの完璧なプロデュース能力と、彼らから生み出される極上の『供給』に、ただただ至福の時を噛み締めていたのだった。
つづく




