Case 2-A 薬指の失くしもの
午後六時。
喧騒が引き、代わりに夜の匂いが街へ立ち込めてくる頃。
それに合わせて私の働く場所――バー『泡沫』も営業を開始する。
夜を迎えた『泡沫』は、まだ静かな時間を湛えている。
「――そして今日も。夜更けと共に、日の下では明かされない謎が次々とやってくるので……あった」
「デカい独り言だな、芽吹」
呆れた声を出して航くんがタバコを咥えた。
「……」
「恥ずかしいから大声出すな。下に聞こえるだろ」
「今宵は!どんな謎が!!」
「聞けよ」
私たちはあれから、市内へと移動した。
今いるのは本通の近く――バー『泡沫』があるビルの屋上。
航くんの出勤前の一服に付き合ってやってる所だ。
「未成年の前でタバコ吸って、いけないんだー」
「普段散々『ハタチ!』って言ってる奴が、今更未成年ぶるな」
「いや、ぶるとかじゃなくて普通に未成年なんだけど……」
航くんは私の言葉を無視してタバコに火をつけると、美味しそうに煙を吐き出した。
「あー、やだやだ。タバコなんて何で吸うのかなー」
「嫌なら俺の部屋にでもおりゃいいじゃろ」
「む、せっかく芽吹ちゃんが付き合ってやってるっていうのに――」
「――付き合って欲しいのは、そっちじゃろ?」
航くんはそう言って、もわっと煙を吐く。
「気持ちは分かるけど、終わった事は忘れんと」
「そうだけどさぁ……」
勝手に首を突っ込んで、思い通りの結果にならなかったらうじうじするなんて、よくない事なのは分かってる。
それでも私は、どうしても気になってしまう。
「……ちゃんと楽しめてると思う?」
「知らん」
ひど。
クールと無神経は同じじゃないんだけどな。
「――まあ、多分楽しんどると思うよ」
心の声が聞こえたのか、航くんは向こうの方を見てそう言い直した。
「……なんでそう思うの?」
「あの母親は嘘がつけるようには見えんかったし、子どもの事を本当に大事にしてた」
「それは私も思ったけど……」
「あの男か?」
「うん……あれは無いなって」
咲ちゃんが二人と合流してから私と別れるまで。
ちょっとの間だったけど、『おじさん』が咲ちゃんに話しかけようとした瞬間は無かった。
「……いくらお母さんが大事にしていても、お母さんの相手があれじゃ――」
「やめやめ。その辺にしとき」
吸い終わったタバコを灰皿に押し当てた航くんは、私の言葉を遮った。
「どうせ気軽に会いに行けるわけでもないし、考えても仕方ないじゃろ」
そして、そのままの流れでスマホを確認し始める。
完全に話を終わらせるムーブ。
「……吸い終わったら話やめたがるの、航くんの悪癖」
「うるせ、そろそろ俺はバーに行くぞ」
本当に航くんは他人にドライだなって思う。
でもまあ、航くんなりの優しさでもあるとも思ってる。
私一人だと、いつまでもうじうじしてるだろうから。
悪癖なんて言って、ごめんね。
「ありがとね、航くん」
「別に。タバコ吸っとっただけよ」
だけどね。
ちゃんと悪い癖だとは思ってるから、それはそれでいい感じに直って欲しいなとは思ってるよ。
私たち二人は、屋上の一つ下――航くんの部屋がある階に降りた。
「時間まで部屋におっていい?」
「最初からそのつもりじゃろ」
私の出勤は八時から。
それまではいつも街をブラブラしたり、家でゆっくりしたりする。
今日は航くんの部屋にいようと思ったから、早めにバーの制服に着替えた。
何となく、今日はそうしたいって思ったから。
「まあええよ、ゆっくりしとき」
そう言って航くんがバーのある二階に降りようとした時、
「――あ、心晴からだ」
航くんのスマホに着信が入った。
「もしもし?悪い悪い、すぐ行くよ」
航くんが言った心晴って人は私のお姉ちゃん。
お姉ちゃんも私たちと同じで、『泡沫』の従業員。
「え、芽吹?おるけど……うん、もう着替えとるよ」
私はバイトだけど、航くんとお姉ちゃんは社員としてオーナーの『ママ』さんに雇われてる。
普段『ママ』さんは別の店舗にいるから、『泡沫』は基本的に私たち三人で営業している。
「わかった、すぐ行くよ。ほいじゃ」
「私も呼ばれた?」
「ああ、『お客さん』らしい」
その言葉で背筋にサワッとしたものを感じた。
サワッとしたものが何かっていうと――私にも分かんない。
「もう行けるか?キツいなら対応するけど」
「ううん、もう大丈夫!」
分かんないけど――強いて言うなら、期待と不安。
頑張らなきゃだめだよ!っていう、私からの合図だと思ってる。
「悪い、心晴。お待たせ」
「ううん、こっちこそ急かしてごめんね?」
ドアベルがカラン、と音を鳴らして閉まり、私たちは『泡沫』に入った。
営業開始直後だというのに既に三人ほどお客さんがいる。
二人は常連さんで、もう一人は見慣れない女性。
おそらくその人が、『お客さん』なのだろう。
「芽吹。悪いけど、あちらの方の話を聞いてあげて」
「了解!」
カウンターから少し離れた席で、チラチラと私たちの方を見ている人。
やはりその人が『お客さん』だった。
私はその様子を見て、急いで『お客さん』の元に向かった。
「お待たせしましたっ」
「いえ、急にすいません……」
「お話、私で大丈夫ですか?」
「はい、よろしくお願いします」
今回の『お客さん』は、私より少し年上くらいのお姉さん。
表情は暗い――というか焦っている。
あまり重たいものじゃないといいな、と思いながら私はお姉さんと話を始めた。
「お願い事、でいいですか?」
「えっ、あっ……はい、そうですが……」
「どうしました?」
「いえ……噂は本当なんだなって」
手をさすってそう言ったお姉さんは、少し驚いた様子だ。
「願いを聞いてくれる店――ですか?」
「はい……相談程度と思ってましたが、本当に願い事を聞いてくれるんですね」
「まずは聞いてみないとですけどね――とりあえず何か、飲みますか?」
「えっと……ホットミルクってありますか?」
その言葉はカウンターにいるお姉ちゃんにも聞こえたらしく、私がそっちを見るとお姉ちゃんは片手で丸を作った。
「大丈夫みたいです!」
「ありがとうございます」
「じゃあ、飲み物が来るまで色々聞いてもいいですか?」
お姉さんはまだ少し表情や声が硬い。
願いがある人――『お客さん』はこんな感じの人が多い。
だから私は、出来るだけ『お客さん』の緊張をほぐしながらお願いを聞くようにしている。
「志築 芽吹です!もうすぐ二十歳です!」
まずは自己紹介。
警戒心を解くっていうのあるけど、こうして先に名乗ると、
「水瀬 奈緒――あ、いえ……佐伯 奈緒です」
それに合わせて向こうも名乗ってくれる事が多いので、私はこうする事が多い。
「佐伯 奈緒さん……じゃあ、奈緒さんって呼んでいいですか?私は、芽吹ちゃんで!」
「えっと……芽吹さんでいいですか?」
「大丈夫です!」
志築さんと呼ばれると私とお姉ちゃん、どちらを呼んでいるのか分からなくなるので、女性にはなるべく下の名前で呼んでもらうようにしている。
「ちなみに、水瀬から佐伯に変わったのって……」
「式は三ヶ月後なんですけど、入籍だけ先に」
「はー、羨ましいです!」
「……芽吹、プライベートな事の聞きすぎはダメよ」
思わず前のめりになった私をたしなめるように、ホットミルクを持って来たお姉ちゃんが私たちの間に割って入った。
「大丈夫!分かってるよ!」
「どうだか」
お姉ちゃんは、本当に分かってるのか?という顔を私に向けた後、ニコッと笑って奈緒さんの方を向いた。
「空調とか、強くないですか?」
「えっ……あ、はい。大丈夫です……」
「何かあったら、いつでもこの子に言ってくださいね?」
そう言ってお姉ちゃんはカウンターの方に戻って行った。
「あの人、お姉ちゃんなんです」
「えっ、そうなんですか?」
私の言葉を聞いて奈緒さんは、私とお姉ちゃんを順にサッと目で追った。
「お姉ちゃんは仕事中パリッとしてるから、あんまり似てないってよく言われるんですよねえ」
「あっ、いや……そういう訳じゃ――」
「芽吹ー」
呼ばれた声に反応してカウンターを向くと、お姉ちゃんが笑顔で私を見ていた。
「お客様が困るから、そういう事は言わないの」
「あっ――ごめんなさい、奈緒さん」
奈緒さんは困ったような笑顔を私に返してくれた。
緊張を解きたい。
信頼関係を作りたい。
そう思って色々話していると、つい余計な事を言ってお姉ちゃんから注意を受けてしまう。
気をつけないととは思ってる。
でも、なかなかそのあたりはまだ二人みたいに上手には出来ないのが現状。
「……じゃあそろそろ、お願いの方聞かせてもらいますね」
私がそう言った時。
お願い、という言葉で反応してお姉さんの手が動いた。
「えっと……その……」
「――指輪、無くしちゃったんですか?」
「えっ……」
「奈緒さん、何度か左手を触ってたので……それにもうすぐ結婚だっていうのに、指輪付けてないから」
奈緒さんは驚いた顔で私の方を見ている。
「……違いましたか?」
「いえ、合ってます!ただ、びっくりしちゃって……」
言いにくそうな願いの場合は、こうして私の方から質問する事もある。
推測されるのが嫌いな人もいるから、そこはなるべく注意しながらだけど。
それから奈緒さんは、願いに至った経緯を話してくれた。
「――数日前、喧嘩してしまったんです……まあ喧嘩といっても、私が一方的に色々言っただけなんですけどね」
奈緒さんは薬指に手を添えて、話を続けた。
「そのままムキになっちゃって。昨日まであまり口を聞かなかったんです」
「そうなんですか……」
「何やってるんだろうって感じですよね。昨日そう思って、仕事から帰ったら悠真くん――夫に謝ろうと考えていました」
奈緒さんはそこまで言って、ミルクを一口飲んだ。
「でも、仕事帰りの道で……夫が女の子に肩を貸してタクシーを呼んでいる所を見てしまったんです」
「うわ……」
「それで、カッとなって……近くの川に……」
「捨てちゃったんですか!?」
「芽吹、大きい声を出さないの」
「ごめんなさい……」
私たちの掛け合いにふふっ、と奈緒さんは笑った。
「奈緒さん、聞いていいですか?」
「何ですか?」
「……もうすぐ結婚するって、さっき言ってましたよね?その、旦那さんは……」
「……それが、浮気じゃなかったんです」
「あちゃー……」
「芽吹、やめなさい」
お姉ちゃんはいつの間にか私の後ろに立っていた。
常連さん達の相手を一通り終えたようだ。
「すいません、不躾な妹で」
「いえ……逆に助かってます。真面目に聞かれると沈んじゃうので」
「こう言ってくれてるけど、やりすぎはダメよ。分かった?」
「了解っ」
お姉ちゃんはそれだけ言ってカウンターの奥の方に帰っていった。
「――それで、何で分かったんですか?」
「……その後すぐ、夫から連絡があって。そのまま合流したんです」
「タクシーには乗っていなかったと……」
「たまたま目の前で酔って倒れた人をタクシーに乗せていただけだったらしくて」
奈緒さんは少し辛そうな顔をして、薬指をギュッと握った。
「私を見て今度は夫が落ち込んじゃったんです――指輪をしてなかったから」
「あー……喧嘩してたって、言ってましたもんね……」
「とにかく一刻も早く見つけたくて。会社を休んで今日一日中探していたんですが見つからなくて……」
「それで、藁にもすがる思いでって事ですか……なるほど」
奈緒さんの思いは聞いた。
辛い話だけど、奈緒さんは頑張って話してくれた。
願いが『どのくらい』か推測する事も、出来た。
「――分かりました」
私はそう言って、カウンターの方を向いた。
「お姉ちゃん、お願い――ってもういるし」
「そろそろかなって。はい、芽吹」
お姉ちゃんから『それ』を受け取ると、私は奈緒さんに真面目な声で話しかけた。
「一つ、いいですか?」
「えっ、あ……はい」
「『これ』を使えるのは、人生で一回だけです。
――今使っても、大丈夫ですか?」
「えっ……人生で?えっ、どういう事ですか?」
急な事で奈緒さんは困惑している。
私が逆の立場でもそうなるだろう。
でも、このタイミングが一番いいと私は思ってる。
「ここで使うと、もう二度と使えません。その代わり、その一回は『必ず』叶います」
「必ず、叶う……?――私の指輪、見つかるんですか!?」
「ええ、必ず見つかります」
私の言葉を聞いた奈緒さんは、イスをガタッと鳴らして立ち上がった。
「――使わせてください!お願いします!!」
「ちょっと!いきなり動いちゃダメですよ!」
私の言葉でハッとした奈緒さんは、そっとイスに座り直す。
そんな奈緒さんに私は、手に持ったものを差し出した。
「これは……?」
「願い、受け取りました。なので、こちらをどうぞ」
差し出したのは『MENU』とだけ書いてある小さな冊子。
奈緒さんは疑問に思いつつも、冊子を開いて中を見た。
「――『くるり』?」
「はい、ご注文でよろしいですか?」
「えっと……はい。お願いします」
まだ半信半疑な様子の奈緒さん。
多分、願いが叶うまでそう思い続けるだろう。
でも、大丈夫。
もう願いは受け取ったから。
後は――その道中を、目一杯楽しんでもらうだけ。
「――航くん!お願いします!」
「あいよ」
私の掛け声と共に航くんが動き出した。
柑橘と蜂蜜、シロップを入れたシェイカーを軽く振ると、淡い琥珀をカクテルグラスへ注ぐ。
炭酸で割られたそれは、グラスの中で楽しそうに弾けた。
最後に軽くミントを叩いて、完成。
「ほら」
「ありがと!」
私はそれをトレーに乗せて、奈緒さんの元に向かった。
「お待たせしました!」
私は困惑する奈緒さんの前にスッと飲み物を置いた。
「えっと、これは――航くん、これは?」
「天真爛漫」
「天真爛漫ですっ!」
「ちなみにお前の事な」
「なにおう!」
「……あの、ごめんなさい。言ってなかったんですが、私――」
「アルコールは入ってませんよ」
「えっ?」
「モクテルっていうんです。一応、冷たくなりすぎないようにはしてもらったんですが……温かいものの方が良かったですか?」
私の言葉に奈緒さんは目を丸くした。
「なんで……私、言ってないですよね?」
「ここは、そういう場所なんで!」
納得したのかしていないのかは分からないけど。
「ふふっ」
ようやくちゃんと笑ってくれた奈緒さんを見て、良かったなって思った。
「じゃあ、いただきます――あ、美味しい!」
「ですよね!大将、私にも同じの!」
「じゃあ、今日の給料引いとくわね」
「なーんてね!うそうそ!奈緒さん、ゆっくり飲んでくださいね!」
その顔にはもう緊張はないように見えた。
不安はまだあるだろうけど、それはその時が来ないと解決はしない。
だから、ここで出来るのはこのくらい。
「ご馳走様です」
「はーい、お粗末さまです!」
「それ、俺のセリフ」
「航くんの代理!」
奈緒さんは私たちを見て小さく笑うと、バッグを持って立ち上がった。
「そろそろ、夫が心配するので帰りますね」
「分かりましたっ!じゃあ、お会計しますね!」
そう言って私はパチパチとレジを打ち、メモ用紙に金額を書いて奈緒さんに渡す。
恐る恐る紙を見た奈緒さんは、今日イチの驚き顔をしてくれた。
「これ……ミルクの分しか入ってないですよ!」
『くるり』を注文した『お客さん』はみんなこんな顔をする。
値段の書かれていないメニュー『くるり』。
出てくる謎のカクテル。
値段を告げない私たち。
会計の時になって私たちはこう言う。
「『くるり』はお金で払えないんです」
最近分かった事だけど。
こうするのも少しは意味があるらしい。
「いや、でも……あのモクテルは?」
「あれも『くるり』なので!」
奈緒さんは首を傾げながらもメモに書いてある代金をトレーに置いた。
「――大丈夫。ちゃんと叶います」
「えっ……?」
「『くるり』を注文していただいたので、指輪は見つかります」
「そう、ですか……」
「……ただ、いつ見つかるかは分かりません。なので、そこまでの道は奈緒さん次第です」
これまで色んな人を見た。
軽いお願いだけど、道中で崩れた人。
逆に難しいお願いだったけど、幸せをしっかり掴んだ人。
後で話を聞くと、上手く行った人はしっかりと道中頑張った人が多かった。
「絶対、諦めないでくださいね」
「分かりました……ありがとうございます!」
だから精一杯頑張れるように、私はこうして叶えた人に声をかけるようにしている。
「あ、そうだ!」
私はバーのドアをカラン、と鳴らして開けた時、言い忘れていた事を思い出した。
「見つかったらでいいんで、お店の事紹介してください!」
「紹介……レビューとかですか?」
「はい!お友達もたくさん声かけてもらっていいですよ!悩みがある人も、無い人も!」
「それも、道中ですか?」
「はい!大切な事です!」
私が冗談っぽく言うと、
「分かりました。じゃあ見つかったら、全力で宣伝します!」
最後にそう言って奈緒さんは、『泡沫』を出て行った。
私は、奈緒さんを下まで送ってから『泡沫』に戻った。
帰ってから奈緒さんの席を片付けていると、お姉ちゃんがグラスをまとめたトレーをヒョイと持ち上げて私に話しかけてきた。
「奈緒さん、早く見つかるといいね」
「うん、本当に。結婚式には間に合って欲しいな」
「ちゃんと『調整』した?」
「うん、ここで出来る事はしたよ。あとは、奈緒さん次第」
「うん、芽吹がそう言うんならオッケー」
私の目をじっと見たお姉ちゃんは、そう言ってカウンターの向こうへ行った。
「はい、航。洗い物お願いね」
「ええ……」
お姉ちゃんや航くんは『くるり』を使った後、私へ声をかけてくれる。
私が『お客さん』の事を心配するように、二人も私の事を心配してくれる。
それが何より嬉しい。
「芽吹ちゃん。注文いいかな?」
「あ、はい!何でもどうぞ!」
私と同じように『お客さん』にも嬉しくなってもらいたいから、私も頑張れる。
誰かの願いも、誰かの日常も。
支え合っていく私たちも。
その一つ一つが『泡沫』を作っていくんだろうなって。
「――そんな事を考えましたっ!イェイ!」
「デカい独り言だな、芽吹」
「終わりっ!」




