Case 1-3 さみしい、と、会いたい
『お母さん――私が呼んであげる』
私は芽吹ちゃんの言葉を頭の中で繰り返した。
それでも、私はその言葉を理解する事が出来なかった。
そうしているうちに私達は短いトンネルを抜け、大きな建物がある場所へと辿り着いた。
ホテルに近い大きさだったけど、何となく違うような建物に見える。
「ここ、役場だったんだよ!」
「役場って、市役所のこと?」
「そそ!町役場だったんだけど、市町村合併のあたりで閉めちゃったんだー」
芽吹ちゃんはそう言いながら、左の方にある隠れた石の階段に手を繋いだまま私を誘導する。
「咲ちゃん、こっちこっち」
芽吹ちゃんについて階段を登っていくと、登り切った先にお店があった。
小さなお店。
手前には二つの、イスともテーブルともいえるような赤い敷物が引いてある台が置いてある。
大きなビーチパラソルに似た和風の傘が立てられていて、そこに吊り下げられた風鈴がチリンと可愛い音を鳴らしていた。
「すごい……なんか、時代劇みたい」
「あはは!確かにそうかも!」
芽吹ちゃんは笑いながら赤い敷物の台に座る。
どうやらイスで合っているらしい。
それを確認した私も、芽吹ちゃんの隣に座った。
「ここが芽吹ちゃんの言ってた、行きたい所?」
「そう!めっちゃ雰囲気が良くてさ。いっつも来ちゃうんだ!」
芽吹ちゃんがそう言っていると、店の奥から店員のおばちゃんが私達の方に来た。
「あら、芽吹ちゃん!」
「おばちゃん、ただいま!」
店員さんと気さくに会話をする芽吹ちゃん。
本当にここによく来ていて、そして――私がただの『観光客』なんだと、何となくそう思った。
「今日は何にする?」
「んー、じゃあ――白玉ソフトぜんざい!この子にも同じもの!」
「はいはい、ちょっと待っててね」
注文を取り終えたおばちゃんは店の奥へと戻っていった。
「咲ちゃん、ちょっとスマホ貸してくれん?」
「うん、いいよ!」
私からスマホを借りた芽吹ちゃんは、手慣れた様子で番号を打ち込んでいく。
そんな芽吹ちゃんを見て、
――ああ、本当によく迷子になるんだな……
そう思った時、私の中で一つの疑問が浮かんだ。
「芽吹ちゃ――」
「あ、もしもし。航くん?」
私の疑問は繋がった電話によって遮られた。
まあ、いっか。
多分電話が終わった後でも大丈夫だろう。
「ん?この電話?咲ちゃんっていう迷子の子が貸してくれたんよ!」
相手はさっき言ってた『こうくん』っていう人。
そういえば芽吹ちゃん全然焦ってなかったけど、最初からこうやって私にスマホを借りるつもりだったのかな。
「え……いや、だってさ……うん……ごめん」
まあなんにしても、合流出来るようになって良かった。
本当に、良かった。
――もう、おしまいかぁ
私はそんな勝手な事を思って、ギュッと胸を押さえた。
「とにかく!役場の上のいつものところ!待ってるからね!」
そんな事を思っていると、芽吹ちゃんの電話が終わる。
「咲ちゃん、ありがとうね――」
そして、芽吹ちゃんがこっちを向いた。
涙がポロッとこぼれた、嫌なタイミングで。
「ううん……良かったね、芽吹ちゃん。これで、お兄さんと――」
合流出来るね。
そう言い終わる前に、私は芽吹ちゃんに抱きしめられていた。
「あっ――」
そして、その芽吹ちゃんの行動が。
私の涙を止めていたダムを壊してしまった。
「ぅ……ぅあ……」
「いいんだよ、咲ちゃん。我慢しないで」
「う、ぁ……ぁあ……っ」
「よく、今まで頑張ったね」
「うっ……うわぁぁぁぁんっ!!」
止められない。
涙なんて滅多に流さないから。
私は芽吹ちゃんの服をぎゅっと掴んだまま、抑えられなくなった涙を流し続けた。
――数分の間だけ。
「……ありがと」
「いや、立ち直りはやっ!ホントにもういいの?」
「うん……すっきりした」
「そっかぁ……すごいなぁ」
芽吹ちゃんは何も言わずに、ただ泣き続ける私を抱きしめてくれた。
それが嬉しくて。
私の泣きたい気持ちを塗り潰してくれたから、すぐに涙は止まった。
そして――
くるるる……
安心した私のお腹が、申し訳なさそうに小さく音を立てた。
それが何だか妙におかしくって、
「……ぷっ……あははっ!!」
私は泣いていたことも忘れて、大きな声で笑った。
「なに今の音、可愛い!あはは!」
芽吹ちゃんも私と一緒に笑ってくれた。
私達がひとしきり笑い終わった頃、二つの器をお盆に乗せたおばちゃんが後ろから声をかけてきた。
「二人とも、お待たせ」
「ううん、ジャストタイミング!ありがとね!」
そして赤いイスに置かれた器を見て、私は目を輝かせた。
「すごーい!美味しそう!」
「ね!そう思うよね!」
器の中には黒く輝くぜんざいが敷き詰められている。
その上にキラキラの白玉と、ソフトクリーム。
多分特別なものは何もないのだろう。
でも、今の私には何よりのご馳走に見えた。
お盆に置かれたフォーク状のスプーンを手に取った私と芽吹ちゃんは、二人して手を合わせて、
「いただきまーす!」
そう言って、白玉ソフトぜんざいを食べ始めた。
「あまぁい……うまぁい……」
「最高だね、芽吹ちゃん……」
「じゃろー?分かる口じゃね、咲ちゃん!」
「うん!――あ、そういえば」
ソフトクリーム、ぜんざい、白玉と、一通り食べて身体が満足してきた私は、さっきの電話の前に芽吹ちゃんに言おうとした事を思い出した。
「ん?どした?」
「芽吹ちゃんさ、確かスマホも財布もないって言ってなかったっけ?」
「……」
「でも、流れるように注文したよね?しかも、私の分も」
「……あはは」
「この白玉ソフトぜんざい、もしかして……」
私がそこまで言ったところで、芽吹ちゃんは私にパン!と両手を合わせた。
「ごめん、咲ちゃん!奢って!」
「ええ……」
あまりに迷いない注文だったから、もしかしたらお金は持っているのかと思った。
思わぬ出費が発生した私は、慌てて財布を取り出す。
ジャラジャラとなる小銭を数えると千二百円くらいになった。
看板に書いてある白玉ソフトぜんざいの値段は一つで六百円。
何とか払える金額だ。
「もしかして……足りんかった?」
「いや、ピッタリくらいかな」
「ごめんよ、咲ちゃん……」
「どこかで買い物してたら危なかったよ……」
「ホントにごめん……」
「ううん、いっぱい宮島の事話してくれたから。ありがとう代!」
本当にしょうがないお姉さん。
でも、私に『本当はちゃんと寂しいんだよ』って教えてくれた。
今までお母さんとはぐれた時に感じてた、ザラザラしたものが何だったのか教えてくれた。
そんな芽吹ちゃんにこうしてお返しが出来るんなら、私はそれで嬉しかった。
「……実は食べ始めた時に気付いてたんだ。もう内心、汗ダラダラ」
「ホントにもう、おっちょこちょいだね――」
私がそう言ってぜんざいを食べようと前を向いた時。
目の前に一頭の鹿が立っていた。
「あ、鹿だ」
「アシカ?」
「……芽吹ちゃん。それ、気に入ったでしょ」
私達が呑気に話しているうちに鹿は私達の目と鼻の先までやってきた。
目線の先には――私達の食べている器。
「ヤバッ、食べられちゃう!ほら咲ちゃん、たわんようにして!」
「えっ、たわんって何……」
「届かんようにしてってこと!早く!」
「う、うん!分かった!」
ようやく『たわん』の意味が分かった私は、慌てて器を持ち上げると、
「あっ――」
膝の上に置いていたスマホがポロっと地面に落ちた。
鹿は届かなくなった獲物から目を離して今度はスマホに顔を近付け始める。
「ちょっ……!」
私は慌てて取り返そうとするも、
「――ダニ……くっ……!」
さっき芽吹ちゃんから言われた『あの言葉』が頭をよぎって、思わず伸ばしかけた手を引っ込めた。
そうしているうちに鹿はスマホから顔を離した。
私達が食べ物をくれる人じゃないと分かったのだろうか。
鹿はそのまま街の方へトコトコと消えていった。
「いやー、災難だったねえ」
「ホントに……ん?」
ようやく去った災難にホッとした私は、ぜんざいの器を置いてスマホに手を伸ばした。
そして、
「あっ――」
何故か『その上』に置かれていた、見覚えのあるものに思わず声をあげた。
「――これ、お母さんの……」
間違いない。
お母さんの誕生日に、私が選んだものだから。
大きな輪っかの中に入った、月の形をした青い石。
間違いなくお母さんが今日付けていたイヤリングだ。
「でも、何で――」
何でこんなところに?
さっきの鹿が?
たまたま、私のところに?
なんで――
「――待って待って待ってぇー!!」
その声は、私の頭を埋め尽くしていた謎を一気に吹き飛ばした。
「大切なものだからぁ!!返してぇ!!」
その声は、山に続く道の方から聞こえてきた。
聞き覚えのある――いや、聞き覚えしかない声。
「待ってよー!!」
だんだんと声が大きくなってくる。
だんだんと、近付いてくる。
そして――見えた。
ほら、合ってた。
ちゃんと見てたから。
どんな顔で、どんな髪型で。
どういう服装で来ていて、どんなものを身につけているか。
ちゃんと言った通りでしょ?芽吹ちゃん。
だって私、本当に大好きだなんだから――お母さんの事。
「――お母さん!!」
「あっ、咲!!」
私の前まで走ってきたお母さんは、慣れない運動にゼェゼェと息を上げ始めた。
「ハァ……ハァ、咲……鹿……」
「え?鹿?」
「イヤ、リング……ハァ、ハァ……」
今にも死んでしまいそうなお母さんの途切れ途切れの言葉で、私はハッと気付く。
「お母さん、これ!」
そして、手に持っていたイヤリングをお母さんの前に出した。
「――あっ!それっ!」
「鹿さんが持ってきたよ!」
「よかったぁ……ハァ、ハァ……」
本気で走ってた。
運動嫌いのお母さんが。
『大切なもの』って、そう言いながら。
私のあげたイヤリングを追いかけて、必死に。
「それより咲、ごめんねぇ……お母さん、またやっちゃったねぇ……」
いつも私を見つけていう言葉。
でもお母さんは、いつも本当にそう思って言っている。
本当に、本気で思って言ってるから、
『もう、仕方がないなあ』
そう言って私はいつも許してしまう。
だけど、今日はそうしたくなくて。
芽吹ちゃんにもらったこの気持ちを、隠したくなくて。
「……寂しかったよ、お母さん」
そう言っちゃった。
ごめんね、お母さん。
「――それでね。一人でいる所を芽吹ちゃんが見つけてくれて、そのままお母さんを探すの手伝ってくれたんだ!」
「そうだったの……」
「ねっ、芽吹ちゃん!」
そう言って芽吹ちゃんの方を向くと、
「……咲ちゃんの、お母さん」
芽吹ちゃんは私を――お母さんを見ていた。
笑ってない。
芽吹ちゃんが、笑っていなかった。
それだけで私は、芽吹ちゃんがこれから何を言いたいかすぐに分かってしまった。
でも――芽吹ちゃんは結局、何も言う事は無かった。
「――ごめんなさいっ!!」
お母さんが芽吹ちゃんの前に立って、頭を下げて謝ったからだ。
「咲と一緒に、私達を探してくれたんですよね……?」
「……まあ、そうですけど」
「そういう人、初めてで……本当にありがとうございます!」
お母さんはそう言ってもう一回ペコッと頭を下げる。
「お母さん……」
嬉しかった。
私の事を思ってそう言ってくれるのが、とても。
おっちょこちょいで仕方ない人だけど。
それでも、私は大好き。
「芽吹ちゃん!私からも、ありがとう――」
そうだよね。
芽吹ちゃんは、そう思ってないもんね。
だけどね、芽吹ちゃん。
私は大丈夫だから。
だからそんな――泣きそうな顔、しないで。
「芽吹ちゃ――」
「良かった!お母さんと会えたね、咲ちゃん!」
「え、あ……うん」
「お母さん。咲ちゃんの事、ちゃんと見てあげてくださいね?」
「はい……すいませんでした……」
「いえ!」
やめてよ、芽吹ちゃん。
もうこれでお別れなのに。
そんな辛そうな顔のままお別れなんて、嫌だよ。
「――あ、航くん来た!それにあの手前の人、咲ちゃんの言ってたおじさん?」
そう言いながら芽吹ちゃんは山道の方を向いて手を振った。
私とお母さんがその言葉の方を向くと、おじさんと『こうくん』と思われる男の人が私達に向かって来ている所だった。
「――もー!私、必死に走ったのに!ちゃんと走って来てよー!」
お母さんはプンプンと怒りながらおじさんに近付く。
その姿を見て私は、何故か胸のあたりがザワっとした。
「咲ちゃん」
そんな私の心を読んだかのように、芽吹ちゃんが頭を撫でた。
「私からは何も言わない――ううん、言えない」
その手はとっても暖かくて、細くてちっちゃいのにとっても大きく感じた。
「だから、どうしても寂しくなった時はまた思い出して。私みたいな、おっちょこちょいの世話焼きがいるって事」
振り向いた私に、芽吹ちゃんはヘラっと笑う。
無理して笑ってくれているだけかもしれない。
でも、最後にこの笑顔が見られて良かった。
「うん、ありがとう――芽吹ちゃん!」
私、芽吹ちゃんに出会えて良かった。
この手の暖かさも。
抱きしめてくれた温もりも。
ヘラっと笑った時の可愛い顔も。
全部、忘れないよ。
「……芽吹」
「咲ちゃん……あれで、良かったんかな」
咲ちゃんは、お母さん達と商店街の方へと歩いていった。
食べかけのぜんざいをパクパクっと平らげて、嬉しそうな顔でお母さんと手を繋いだ。
お母さんは『おじさん』と腕を組んでいたけど、咲ちゃんの事もちゃんと見ていたと思う。
良かった。
そう、これで良かったんだ。
そう思うほど、ザラザラと音を立てて私の胸は苦しくなった。
「知らんよ。俺は芽吹の迷子に付き合わされて、ようやく合流した所なんじゃけ」
「いや、そうだけどさぁ……ごめんって……」
「――まあでも。芽吹の言いたい事は分かるかも」
「……何かあったん?」
あんまり他人に対して感情的にならない航くんがそんな事を言ったのが珍しくて、私は思わず聞いてしまった。
「包ヶ浦からここまで、山道の方が近いじゃろ?」
「うん」
「じゃけその道を通りよったら、あの二人がおったんよ」
「……そうなんだ」
『逆に運動はあんまり好きじゃないから、いっぱい歩く時とかはいっつも嫌だー、って言ってるかな!』
嬉しそうに喋る声が、頭の中に聞こえた。
そして、『山にある大聖院』に一人で座る咲ちゃんの寂しそうな表情も。
「キス、しよった」
「……」
「男が女の髪をかき上げた時にイヤリングでも落としたんか、通り過ぎた鹿に食われて慌てて追いかけとったわ」
知りたくなかったな。
でも仕方ないのかもしれない。
咲ちゃんが叶えた願いは、きっとそのくらい大きかったんだろうから。
「……男の方だけでも、殴っとけば良かったか?」
「ダメだよ。咲ちゃん悲しんじゃうから」
そう言って私は、食べかけのぜんざいに目を向けた。
さっきまであんなに綺麗だったソフトクリームはもうほとんど形を失って、器の中ではぜんざいとソフトクリームがまだらに溶け合っている。
「――私達は、『願いを叶える事だけ』しか出来ないんだから」
「まあ、な」
「それ以外の所は、なるべく幸せにしてあげたいなって思うじゃん」
私はそう言って、器の中から白玉を一つすくって食べた。
「ぬるく、なっちゃったな……」
まだらになってしまった、ぜんざい。
それでも変わらない弾力で押し返した白玉を、私はしっかり噛み締めながら味わった。




