Case 5-4 願いの代償
「一つ、よろしいですか?」
お姉ちゃんはそう言って、金額が書かれているであろうメモをお客さんの前に差し出した。
「先に今までのお代を頂きたいのですが」
「……何でだよ」
あからさまに不服そうなお客さん。
「俺は願いが叶うって話だから飲んでやっただけだろ」
「そういう認識だったのなら、申し訳ありません」
「だったら俺が払う必要は——っ!」
お客さんはそこまで言って言葉を詰まらせる。
お姉ちゃんが突然髪留めを解いたからだ。
「あの子との間の事は、一旦清算しておきたいからです」
「そっ、それは……どういう——」
「——私に集中してくださいって事ですよ」
そして少し離れたカウンターの端に両手で頬杖をついて、お客さんを見上げながら言葉を続けた。
「もし叶えられなくても——私、頑張りますので」
「……分かったよ」
お客さんはそれを聞いて、財布を出し始めた。
私はお客さんから離れた、奥のテーブル席のあたりに立ってそれを見ている。
「……話が終わるまで、奥に隠れときなって」
私が謝罪してまわったお客さんは口を揃えてそう言ってくれた。
だから、こうしているのは私のわがまま。
『くるり』のせいで起こった事だから——私はここで見ていたいと思った。
「じゃあ、俺の願い——叶えてもらおうじゃんか」
「ええ、もちろん」
お姉ちゃんに近づくために。
お客さんはカウンターに肘をついてズイっと身体を寄せた。
——気持ち悪いなあ……
お客さんにこう思うのは申し訳ないけど。
側から見たその姿は欲が透けて見えて、すごくみっともなく見えてしまった。
「お名前、どう呼んだらよろしいですか?」
「遥輝でいいぜ」
「では私は心晴とお呼びください」
その言葉で鼻息を荒くしたお客さんは、私に話した内容をお姉ちゃんにも話し始めた。
私たちにも聞こえるくらいの大声で。
たまに自分の自慢も混ぜながら。
「——なるほど。それで、課長がいなくなれば……と?」
「ああ、そういうこと。話が早くて助かるわ」
お姉ちゃんに話した内容は、ひどいものだった。
課長さんにされた事についてはほとんど私に話したものと同じ。
でも願いについては、とても聞いていられないようなものになっていた。
「アイツ、一丁前に家族がいやがるらしいからよ。離婚するのもいいな。そんでもって会社はクビ!奥さんからも会社からも捨てられて、どっか知らない場所で——」
聞くに耐えないお客さんの願いを、お姉ちゃんは頬杖をついて見上げたまま静かに聞いていた。
「——まあ、そんな感じでいいわ。出来るか?」
お客さんが話し終えたのを見てお姉ちゃんはパッとカウンターから離れる。
「そうですね……」
そして少し考え込むような素振りをした後、お客さんに向き直り困ったような笑顔を見せた。
「残念ながら……私もその願いは、叶えられそうにありません——ご期待に添えず、申し訳ありません」
その言葉を待ってましたと言わんばかりに、お客さんはニヤッとした笑みを浮かべる。
「言ったな?——約束、忘れてねえよな?」
「ええ、もちろん」
「じゃあ、どうしてくれんだ?」
「出口でお待ちください。すぐに参りますので」
そう言ってお姉ちゃんはレジの方へと向かった。
「やっぱ出来る女は話が早くて助かるわー」
お客さんはお姉ちゃんの後ろ姿を目で追いながら立ち上がり、
「どっかの誰かと違ってな」
私の方にチラッと目線を投げたあと、横に置いたカバンを持って出口の方へと向かっていった。
「……お姉ちゃん、本当に大丈夫なの?」
私はお姉ちゃんの後に続いてカウンターからレジ裏に入った。
下がっていなさいと言われたけど。
いくら鈍い私でも、あの様子を見たらすぐに分かる。
お客さんはもう、当初の願いなんてどうでも良くなってるんだろう。
『もし叶えられなくても——私、頑張りますよ?』
あの言葉でお客さんは、叶えられない願いよりお姉ちゃんを取った。
願いを叶えられなかったお姉ちゃんをこれからどうしようとしているのか、正直考えたくもない。
「絶対にマズイって、あの人お姉ちゃんを——」
「どうなっちゃうのかしらね、私」
お姉ちゃんはふふっ、と笑ってお客さんのスーツをハンガーから下ろす。
「私があの人なら、酒で酔わせてどっかに連れ込んじゃうかなー」
「ちょっと!じゃあそんな呑気にしてる場合じゃないでしょ!」
「もー、分かってるって」
そう言って振り向いたお姉ちゃんのしていた表情に、私は驚いた。
「大丈夫——ちゃんと、お帰りいただくから」
普段お店で見せることのないその表情を私に見せた後、お姉ちゃんはレジ横から出口へと向かった。
「随分遅かったじゃねえか」
「申し訳ありません。少々話をしておりまして」
先のお姉ちゃんとの会話ですっかり気分の良くなっているお客さんは、浮かんだニヤけ顔を隠さずに私の方を見る。
「なんだよ、心配なのかよ」
「いえ、そういうわけでは……」
「いいって、隠さなくても。俺はそういうの分かっちゃうからさー」
困っちゃうなー、と呟いたお客さん。
「今日は心晴ちゃんとだから、じゃあまた今度来るからその時にな?『芽吹ちゃん』」
自信満々なのは羨ましいけど。
やっぱりちょっと気持ち悪いなって思う。
「お客様、こちらを」
そうしているうちにお姉ちゃんがスーツをお客さんの前に広げる。
それを見たお客さんは、
「おっ、サンキュー」
嬉しそうにスーツの袖に腕を通した。
「それにしても、いいものを着ていらっしゃいますね」
「あー、まあこのくらい当然っしょ」
「いえ、なかなか買えるものではございません。それに——よくお似合いですよ」
「そっ、そうだよな……うん、そうだよな!」
お姉ちゃんの顔を間近で見たお客さんは、鼻の下を伸ばした顔でスーツの襟を正した。
「さあ、参りましょうか」
お姉ちゃんはお客さんの様子を見て、少し微笑んだ後ドアに手をかけた。
「あれ、心晴ちゃんはその格好でいいの?」
「ええ、大丈夫ですよ」
「いやでも、流石にその格好はちょっとヤバすぎでしょ」
そう言ってお客さんは舐め回すような視線でお姉ちゃんの全身を見た。
「まっ、俺は別に良いんだけどさ」
「ふふっ、お気遣いありがとうございます」
そう言ってお姉ちゃんは手をかけたドアを引いた。
少しずつ見えてくる『泡沫』の外の世界。
「でも、本当に心配いらないんです——」
完全に開け放たれたドア。
「私の出番は、ここまでですので」
——その向こうにはビシッと姿勢を正した、黒服の男性が立っていた。




