Case 5-2 消してちょんまげ
「……大丈夫?あの人」
「酔っ払ってるだけだよ、大丈夫」
「それならいいんだけど……何かある前に声かけなさいよ?」
「分かってるって」
こういうお客さんが来る事も、珍しくはない。
絡んでくる人や、必要以上にスキンシップを取ろうとしてくる人は一定数いる。
航くんがいない日は、特に。
お酒を飲む場所だから、そういう人がいるのは仕方がない。
働き始めの頃はこの時点で代わってもらっていたけど、いつまでもそうしている訳にはいかないから今は出来る所までは自分で対応するようにしてる。
「芽吹はガードが緩く見えるから、気をつけ——」
「お姉さん、注文決まったよー!」
「あ、はい!かしこまりました!——じゃあ、何かあったら言うね」
「……はいはい」
——大丈夫、私だって『泡沫』の従業員なんだから
そう自分に言い聞かせて、私はお客さんの元へ向かった。
そして、三十分後。
「——ホントにさ、大っ変で最っ悪なのよ」
「そうなんですね……」
お客さんは三杯目のウイスキーを片手に、私に愚痴を溢している。
「そういうの、経験した事はあんの?」
「いえ……ここのバイトが初めてなので……」
「お姉さん若いから、そうだよねえ」
あれからお客さんは、特に何かをしてくる事はない。
あるとすれば、後から来た他のお客さんの対応の最中も、事あるごとに私を呼びつけるくらい。
「だいぶ飲んでますが、大丈夫ですか?」
「俺酒強いんだって。ヘーキヘーキ」
——そして呼びつける度に少し長い会話で引き留めるくらい。
お姉ちゃんだと軽く躱されると分かっているのか、私ばっかり呼ぶのはちょっと嫌だなって思うけど、まあ仕事だから仕方ない。
「——聞いてる?」
「あっ、はい!聞いてますよ!課長さんの話ですよね?」
「そうだよ!俺の話全然聞かん癖に、会議ではぜーんぶ俺に投げてくんだよ。ホント、何様かって話」
課長様か、ハッハ!とお客さんは笑う。
「しかもさ、わざわざ人がいる前で説教すんだよ。大きい声で」
「……大きい声で何かを言われると、嫌ですよね」
「——だろ?やっぱそう思うよな!」
お客さんはバン!とカウンターを叩いて、私を指差した。
急に鳴った音とお客さんの声に私がビクッとしたのも構わずお客さんは続ける。
「なーんでああいう奴ってさ、『自分が正しい』って思いながら喋れんのかね?」
「あはは……あ、呼ばれてるのでちょっと失礼しますね——」
——そろそろ帰ってもらわないと、ダメだよね……
気持ち良く話をしているのに、悪いとは思うけど。
さっきから入ってくるお客さんは、ほとんどお姉ちゃんが対応してくれている。
——これ以上は、お姉ちゃんにも迷惑だし……
次に呼ばれたらそれとなく帰宅を促そうと心に決めて、私はテーブルのお客さんの注文を取りに行った。
「——ねえ、おねーさん!」
私が他のお客さんの対応を終えたのを見計らって、カウンター席から声が飛んだ。
近くにいたお姉ちゃんがお客さんの元に向かったけど、
「違う違う、あっちのおねーさんだよ!俺と話してた方!」
お客さんが私の方を指さしたので、仕方なく私がお客さんの元へ向かった。
「すいません……お待たせしま——」
私が前に立つのを待たずに、お客さんは私を指さした。
「——名前」
「……えっ?」
「おねーさんだと、どっち呼んだか分かんないじゃん。教えてよ、名前」
「名前、ですか……」
「いーじゃん!減るもんでもないしさ!」
「えっと……」
正直、この人に名乗りたくはないなって思った。
でも、この状況で何て言って断ればいいか分からないし、『志築です』って言ったらお姉ちゃんと区別がつかないから、仕方なく私は、
「えっと……芽吹、です……」
そう、お客さんに伝えた。
「……ふーん」
お客さんは少し目を見開いた後——ニヤッと笑った。
——やっぱり、ちょっとまずかったかな……
「あの……だいぶ飲まれましたよね?明日も平日ですし、そろそろお帰りになった方がいいんじゃないですか?」
お客さんの笑みに若干の不快感を感じつつ、当初の予定通り私は店内にかけてある時計を見てお客さんに帰宅を促した。
「えー、今名前聞いた所じゃん」
「ですが、お時間が——」
帰宅を促した理由はそれだけじゃない。
さっきから、お姉ちゃんが私たちの方を見る頻度が増えてる。
これで粘られるようだったら、流石に——
「——『芽吹ちゃん』」
名前を呼ばれた瞬間——全身にゾワッとした悪寒が走った。
気持ち悪いものに背中を撫でられたような、不快感。
思わず出てしまった表情を見られないように、私はお客さんから顔を背けた。
「ねえ——『芽吹ちゃん』、聞いてる?」
お客さんから名前を呼ばれる度に何とも言えない気持ち悪さが全身を襲う。
それをこらえながら、私はお客さんの方を向いた。
「……はい、何でしょうか」
向き直った私にお客さんはケラケラと笑いながら、言葉を続けた。
「課長——消してよ」
「……えっ……?」
「えっ?じゃないよ、『芽吹ちゃん』。聞いてなかったの?課長、消してって言ってんの——叶えてくれる気に、なったんでしょ?」
「えっと……何の話——」
「——だからあ!」
お客さんはバン!とカウンターを叩くと、その音に驚いてしまった私に向かって、
「——『そういう店』で、『芽吹ちゃん』はその気になったんでしょ?」
苛立ったような口調で、そう言ってきた。




