Note 4-2 ふわふわのご褒美
「——芽吹、そろそろ上がっていいわよ」
日付を跨ぐちょっと前。
退勤時間をもうすぐ迎える私はお姉ちゃんに声をかけられた。
「もういいの?まだ少し時間あるけど」
「うん、お客さんもだいぶ落ち着いたし。今日は忙しかったから」
「りょーかい!じゃあお先ですっ!」
お姉ちゃんは『ママ』に手腕を買われて『泡沫』の実質的なトップとして働いている。
今日みたいな忙しかった日にまかないの時間分だけ早く上げてもらったり、逆に人が少ない時に早上がりを提案したり、割と自由にやらせてもらっているみたい。
私は制服を着替えるために調理場の奥にある休憩室へと向かった。
「航くん、お先です!」
「お、芽吹上がりか。まかないいるか?」
「うん、欲しい!」
「オッケー。作っとくけえ着替えてきんさい」
今日のまかないは何だろうな。
ご飯とダシがあるって言ってたから、木崎さんに出した出汁茶漬け?
それともシンプルにだし巻き卵?
うーん、どれも悩ましい。
私はそんな事を考えてウキウキしながら、着替えを始めた。
「航くん、今日のまかないは」
私が着替え終わって調理場に戻った時、ちょうど航くんは温めたフライパンに『それ』を入れる所だった。
ジュワァ!という音を立てて黄金色の液体がフライパンの上で踊る。
航くんはその踊りを操るかのように、軽快にフライパンを揺らしながら火加減を調整し始めた。
「それってまさか、さっきのオムレツ!?」
「調理場であんま喋んな」
シッシッとされたので私は休憩室の扉の所まで下がる。
「それって、さっきのオムレツ?」
ここなら喋っても大丈夫だろうと航くんに声をかけると、航くんは私の方を見て苦い顔をしながら火を止めた。
軽く揺すってオムレツをフライパンの端に寄せると——皿の上に盛り付けられたご飯にそっと置いた。
優しく置かれたはずのオムレツは、ご飯の上でプルンプルンと揺れている。
「オムレツの下に、ご飯ッ……オムレツご飯!?」
「オムライスって知ってるか?」
航くんは私の前に皿を置くと、スッとオムレツに包丁を入れる。
形を保てなくなった卵が切れ目から次々と溢れて、すぐにお皿の上はトロトロの海となった。
「チーズは無くなったけえ、店で出してたもんとは違うけどな。まあ良く言えば完全新作だ」
「航くん最高!ありがとう!」
今日は食べられないと思っていた。
それがまさかオムライスになって私の前に現れるとは。
「へいへい、上で食ってっていいぞ」
「うん!いつも通り洗って置いとくね!」
なんだかんだ言って私のために色々してくれるから優しいなって思う。
「じゃあ、お疲れ様でした!」
私は出来立てのオムライスをこぼれないようにそっと持って、二人とお客さんに挨拶をし『泡沫』を出た。
午前三時。
『泡沫』の営業が終わる時間。
「お疲れ、航」
「おう」
今日は次の日が平日という事もあって、日付を跨ぐ頃からはほとんど客が来なかった。
なので俺たちは三時きっかりに店を閉めて退勤した。
ガチャッ、と音が立てて『泡沫』の扉を心晴が閉めた瞬間。
「んうー……」
心晴の『シンデレラタイム』は終わりを迎える。
「疲れた……眠い……」
「俺の部屋で寝てくか?」
「んー……行くう……」
俺や芽吹と違ってオンとオフがハッキリしている心晴は、仕事が終わるとその雰囲気をガラッと変える。
「クッションの方で寝てくれよ、寝直すのがめんどいけえ」
「えー、どうしよっかなー」
そんな事を言いながら、俺たちは三階の俺の部屋に向かった。
「……あれ、鍵開いとる」
鍵を開ける手応えが無かったのでまさかと思ったが、扉を開けるとその予感は的中していた。
「……くぅ……」
「マジか……」
帰ったと思っていた芽吹が、心晴を寝かそうと思っていたビーズクッションに埋まって眠っていた。
食べ終わった皿はしっかりと洗ったようで、ピカピカになった皿が水切りかごに置かれている。
「はぁ……」
俺は思わず顔に手を当てた。
このまま心晴までここで寝るとまずい。
「心晴、芽吹が寝とるしお前は家に——」
「いつまでそこで突っ立ってんの?早く入りんさいよー」
振り返って後ろに立っている心晴を部屋から追い出そうとしたが、時すでに遅し。
心晴は俺のベッドに上がって、布団に包まりモゾモゾとし始めていた。
「……おい、俺のベッド」
「えー、なーに?聞こえなーい」
そう言って心晴は、履いていた靴下と蝶ネクタイを布団の隙間からポトっと床に落とした。
「俺の寝る場所……」
「困ったねー、大変だねー」
今度はゴソゴソと大きく動き、着ていたシャツとズボンをポイっと床に落とす。
「普通そこは譲るじゃろ!」
「じゃあ、無理矢理どかせたら?」
そう言うと心晴は被っていた布団を少し下げ、肩のあたりまで見せて俺を見てニヤリと笑った。
「私——別に抵抗しないけど?」
「……はあ」
俺より二つ年上の心晴は、長い付き合いの中で俺をいじりがいのある弟のように認識してしまった。
こうして大人になって関係が変わっても、それは変わらない。
「……くそ」
「残念ねー、芽吹がいて」
「……しゃーない、床で寝るわ」
しかし、ベッドで寝たいからって、脱ぐか?普通。
——いや、コイツなら脱ぐか……
俺は自問自答をしてはあ、とため息をつく。
「せっかく大きいクッションなんだから、芽吹の隣で寝たら?」
「出来ればお前がそうして欲しかったわ」
「えー、仕方ないなあ」
「それはやめろ、ホントに」
俺のその言葉で心晴は布団を持ち上げようとしたので、全力で布団を押さえて止めた。
「ふふっ、じゃあおやすみー」
「……おやすみ」
芽吹は明日も大学があるから、早く起きるだろう。
そのタイミングで俺はクッションと入れ替わって——。
「ふぁ……ねむ……」
俺は襲いくる睡魔に勝てず、思考を途中で放棄し床に転がって寝た。
「ん……あれ……?」
目を覚ますと、航くんの部屋で寝ていることに気付いた。
「……あー……やっちゃった」
床で寝ている航くんを見て思わず私はそう呟いた。
ベッドを見ると掛け布団やら毛布やらを全部ひったくったお姉ちゃんが、みのむしになって寝ていた。
「てか、また脱ぎ散らかしとるし……」
家で半裸で寝てるのはいつものことだから何も言わないけど。
流石に付き合いが長いとはいえ、航くんの部屋でそれをやるのはどうかと思う。
そんな事を考えながら身体を起こした私は、ある事に気付く。
「あれ、私……タオルケットかけて寝たっけ?」
かけた覚えのないタオルケット。
また少し季節には早いから押し入れにしまっていたものだ。
私は少し考えた後に、航くんを見て微笑んだ。
「ホントに優しいよね——昔から」
そう言って私は、私にかけてくれたタオルケットをそっと航くんにかけた。
「ん……」
その拍子に航くんが寝返りを打って私の方を向く。
無防備な顔。
仕事中ともプライベートな時に見せる顔とも違う、ふわふわとした寝顔。
「……ふふっ」
私は思わず笑ってしまう。
私とお姉ちゃんだけが知っている、航くんの一面。
「ん……芽吹、起きたか?」
「ごめんね、航くん。私もう帰るから、クッション使って」
「ああ、そうさせてもらうよ……いてて」
そう言いながら立ち上がって見送ろうとする航くん。
「ここでいいよ、ありがとね、航くん」
それに気付いた私は、早く寝ていいよ、と言って玄関に向かう。
「おう。もう朝だけど、気をつけて帰れよ」
「はーい」
そのまま靴を履いて、私は部屋を出た。
「相変わらず優しいね、航くんは」
部屋の中に聞こえないくらいの声でボソッと呟く。
——さ、今日も大学だし家に帰ってシャワーでも浴びよっと
下へと降りる階段の途中。
思わず溢れた笑みに私は少し頬を掻いた。




