Case 3B-2 今更、遅いよ
午後八時過ぎ。
仕事を終えた俺はすぐに例のバーについて調べた。
どうやらそこそこ話題になっているらしく、ネット情報に疎い俺でもその場所は簡単に調べる事が出来た。
「バー『泡沫』……場所は、本通の方か」
場所を確認した俺は、栞に連絡を入れる。
『遅くなる』
『先にご飯食べておいて』
連絡が返ってくる事はあまりないけど、読んでいる事がわかるだけで十分だ。
しばらくして『既読』の文字が出た事を確認して、俺はバーに向かった。
胡散臭いものだというのは、重々承知していた。
こんな与太話、信じる方が馬鹿だとも。
だが、それでも。
多分、俺は限界だったんだ。
晴夏から罵声を浴びるこの日々に、俺は疲れ切っていたんだと思う。
そして、『泡沫』を出た俺は——今、何とも言えない気持ちになっている。
急に十万用意しろとか。
いきなり飲み物や食べ物を出されて、その分を請求されるとか。
とにかくめちゃくちゃなバーだった。
でも——
『こんな胡散臭い店に頼るくらいなら、私に相談しなさい!』
『私に相談出来ないなら、栞に相談して。あの子は、強い子だから』
俺はあの店員に栞の事は言っていない。
だから、晴夏があのバーに行ったのは間違いないのだろう。
晴夏の言う通り、もう二度と行くつもりはないけれど。
行った価値くらいはあったかなと、そう思った。
「……おかえり」
家に帰ると、既に帰っていた栞がリビングでテレビを見ながらスマホを触っていた。
「ただいま、遅くなってごめんな」
「別に。仕事でしょ?」
「ああ、まあ——」
『私に相談出来ないなら、栞に相談して。あの子は、強い子だから』
別に言っても仕方ないと、言葉を濁そうとした時。
晴夏の言葉と共に、俺はそれが間違いだという事に気付いた。
「……いや、違う。今日、少し寄り道して帰ったんだ」
言い直した言葉を聞いて、スマホを触る手を止めた栞が俺の方を向いた。
「寄り道?」
「ああ、栞は『願いが叶うバー』って知ってるか?」
「……何それ、知らない」
思えば——晴夏がいなくなってから初めて、ちゃんと『何でもない』会話をした気がする。
晴夏がいなくなってすぐは、お互いそれどころじゃなかった。
しばらく経った頃には、俺は栞とどう話していいか分からなくなっていた。
晴夏がいなくなってしまったから。
俺は『晴夏と話す栞』と話す事に慣れすぎて、自分で言葉を探す事を忘れていたんだと思う。
「……お母さんが帰ってくるように、とか?」
「まさか。そんな事出来るわけないよ」
だから、気付かなかった。
「晴夏に、あの日の事ちゃんと謝りたいなって思って」
そう言った俺を見てテレビを消し、自分の部屋に帰っていった栞が。
「——今更、遅いよ」
——今まで何を思っていたのかを。




