Case 3B-1 罪と罰。後悔と、怒り
その日も、いつもと変わらない朝だった。
淹れたての珈琲の香りで目が覚めるのも、トースターがチン!という音を鳴らしてパンを焼き終わるのもいつも通りだった。
情報番組のワンコーナーで、東京のナントカとかいうスイーツの店が特集されていたのが、少し違った所だろうか。
「こんなん広島で流しても、意味ないよねー」
「地方都市なのに流行の最後尾感ヤバいよねー」
俺はそういうのに全く興味がないが、晴夏と栞はテレビに映るスイーツに二人して文句を言っていた。
本当に何でもない、いつもの朝のひと時だった。
「なあ、晴夏」
「なあに?」
「昨日、また家で遅くまで仕事しとったじゃろ」
俺がそう言うと晴夏はパンを咥えたまま、あーと気の抜けた返事をした。
「ナハハ……」
「ナハハ、じゃないじゃろ」
「キリのいいとこまでやりたくてさ」
そう言って晴夏は紅茶を飲んだ。
「今日は一段と顔色悪いぞ」
「うそ!?栞、私顔色悪い?」
「んー、ちょっとだけ?」
晴夏の体調が優れないのは別にその日に限った事じゃなかった。
その日だって仕事とは関係なく体調が良くなかっただけかもしれない。
だから俺も、言うべきじゃなかったんだとずっと後悔している。
「仕事なんて、無理してまでやるもんじゃないだろ」
「……何それ」
顔にはあまり出していなかったが、その日晴夏は特に体調が悪かったんだろう。
いつもなら軽く流す俺の小言に、晴夏は真剣な表情で答えた。
「私、やりたくてやってるだけなんじゃけど」
「体調管理をちゃんとしてくれって言っとるんよ」
いつもはない受け答えに、俺はどこかで『晴夏は元気だ』と安心したんだと思う。
だから、つい言い過ぎてしまった。
「しとるよ、ちゃんと」
「その顔でか?とにかく、無理せず今日は休めよ」
「っ……そんなの、あなたが決めないでよ!」
それが俺の『罪』。
そしてこれは、晴夏の気持ちを蔑ろにした『罰』なんだと思う。
「……心配だから言っとるんじゃろ!そんな無理するくらいなら——」
『辞めろ』
ギリギリの所で言い切らなかったのは、普段楽しそうに仕事をしている晴夏を見ていたから。
だが、ほとんど吐き出し切った言葉の前で、そんな制止は意味を持たなかった。
「……へえ、そんな事言うんだ」
晴夏は静かにそう言って、食べ終えた食器をシンクに運んだ。
その足で冷蔵庫の水を取り出し、朝の分の薬を流し込む。
「……栞、ごめんけど洗い物お願いね」
「あ、うん……わかった」
晴夏はそれだけ言って、イスの縁にかけていたカバンを肩に担いで玄関へと向かった。
「晴夏!」
「今日忙しいから。また帰ってからゆっくり話そ」
晴夏は俺の方をチラッと見た後、リビングのドアを閉めて出て行った。
「……お父さん、流石に言い過ぎ」
栞はそう言いながら俺と自分の食べ終えた食器を運び、洗い物を始めた。
「心配じゃけえ仕方ないじゃろ」
「それでもだよ。お母さん、体弱いんだから」
俺もちゃんと晴夏の事を見ていた。
でも俺より栞の方が、晴夏の事をちゃんと見ていたのかもしれない。
仏壇の前で手を合わせる度、そんな事を考える。
今更遅い、そんな事を。
その日の昼過ぎ、仕事中に携帯が鳴った。
『病院』
携帯に表示されたその文字を見た瞬間。
いつも通りだったその日は、突然色を失い崩れ去った。
——それから一年。
「いただきます」
「……いただきます」
残された俺たち二人は、色を失ったまま生活をしている。
四人掛けのテーブルに斜めに向かい合って座る俺達。
晴夏が座っていた俺の向かいの席は、ぽっかりと空いたままになっている。
「今日、遅くなる」
「学校の用事か?」
「……うん」
晴夏がいなくなった家からは、色も――熱も無くなった。
元々あまり快活な方ではなかった栞は、晴夏の死後その口数を急速に減らしていった。
今では、家の中での会話は事務連絡のようなものだけになっている。
「行ってきます」
「ああ、気をつけてな」
栞が学校に行くのを見送った後俺も仕事の準備を整え、いつも通り仏壇に立てられた晴夏に向かって手を合わせた。
『ごめんな、ひどい事言って』
写真の向こうにいる晴夏は笑顔で俺を見る。
だが頭の中に聞こえてくるのは、いつも同じ言葉。
『あんな事言わなきゃ、私ももっと生きられたのに』
晴夏はそんな事は言わない。
俺の頭が勝手にそう言わせているだけだ。
そう、そんな事分かっているのに。
それでも頭の中の声はこの一年、変わらず俺にそう言い続けた。
「……行ってくるよ、晴夏」
俺はいつも最後にリビングの棚に飾られた写真に声をかける。
昔旅行先で撮った、家族写真の一つだ。
『たくさん撮らないと!ほら、栞も笑って!ピースっ!』
三人がまだ笑顔だった頃の写真。
晴夏も栞も、俺も。
満面の笑みを浮かべている。
『いってらっしゃい、あなた』
この写真の晴夏だけは俺に、そう言ってくれている気がするから——俺は、毎日この写真に最後に声をかけて家を出る。
「——願いの叶う、バー?」
その話を聞いたのは、偶然だった。
たまたま社内の自販機に飲み物を買いに行った時聞こえた、社員同士の会話でその存在を知った。
「何それ?オカルトとかじゃなくて?」
「それがさ、本当に叶うらしいんだよ」
——そんな話、あるわけないじゃろ
それだけなら多分、聞き流して終わりだったと思う。
だが、続く会話に気になる言葉があった。
「例えば?」
「探し物が見つかったとか、気になってた人と付き合えたとか……」
「何それ!全部たまたまじゃん!」
「あ!あと、『死んだ人と夢で話が出来た』とか!」
——え……?
「別に全部、バー関係ないじゃん」
「言って思ったけど、確かにそうだな……」
その二人はその後、興味を無くしたように別の会話を始めたが俺は、
——死んだ人と夢で話が出来たとか!
その日の仕事中ずっと、その言葉が頭にこびりついて離れなかった。




