Case 3A-2 止まった時間、戒めの日々
「——妻のことなんです」
ビールを少し口にした後、男の人はグラスへ触れたまま小さく息を吐いた。
「一年前に亡くなったんです。心臓に持病があって」
「……そういえば、忘れていました。僕は貝取 |航と言います。『お客様』は?」
「私は藤宮 智樹と言います」
「藤宮、さんですか……」
航くんはそこで少し言葉を止めた後、
「ありがとうございます」
そう言って、話を続けた。
「それで、願いは奥さんについてですか?」
「はい、と言うべきか微妙ですが……まあ、妻に関わる事ではあります」
藤宮さんは何かを思い出すように目線を下げ、そしてふぅ、と息を漏らして再び航くんの方を向いた。
「妻に——謝りたいんです」
「……とりあえず、伺ってもいいですか?」
「ええ、よろしくお願いします」
航くんは藤宮さんの話を聞くことにしたらしい。
生き返らせて欲しいとか、もう一度会いたいとか。
そんな事を言われたら航くんは即断るつもりだったみたいだけど。
『謝りたい』
藤宮さんの出した言葉はそんな感じじゃなくて。
だから航くんは『お客さん』の続く言葉が気になったんだと思う。
「——妻が亡くなった日の朝、少し言い合いをしてしまいまして」
航くんに促された藤宮さんは、ぽつぽつと奥さんの話を始めた。
「妻は病気を持っていましたが、とても明るくて活発で……特に働くのが大好きな人でした」
奥さんの事を話し始めた藤宮さんの声は、少し弾んで聞こえる。
きっと生前の姿を思い浮かべながら話をしてるんだろうな。
「……好き過ぎるくらいで。あまりに張り切って仕事をするもんだから、私は心配になって良く無理しないように言っていました」
あの頃を思い出して、少し微笑む。
そして、少し目が潤む。
大切な思い出に包まれている——そんな感じは、私はよく分かる。
本当に大切な人だったと、まだ話し始めなのに伝わってくるようだった。
「その日の朝は妻の顔色が悪くて、思わず強く言ってしまったんです。『無理するくらいなら辞めろ!』って。そしたら向こうも『私がやりたいんだから、やらせてよ!』って怒っちゃって」
航くんは黙ったまま真剣な表情で話を聞いている。
私と違って場の空気を和ませるような事はしない。
ただ、真剣に『お客さん』の話を聞くのが、航くんのスタイル。
「雰囲気を悪くしたくなかったので普通に挨拶をして送り出したんですが、やはりいつもとは違う感じになってしまって……」
藤宮さんは少しだけ泡の減ったビールに口を付けた。
「——昼過ぎ頃、倒れたって連絡が来ました。急いで向かったのですが、病院に私が着いた頃にはもう既に意識がなくて……そのまま」
「そうですか……大変でしたね」
背中越しに航くんの少しだけ辛そうな声が聞こえた。
その声を聞いて思わず、私もテーブルを拭きながら俯いてしまう。
「……少し、聞かせていただいても構いませんか?」
「ええ、何でしょうか?」
「謝りたい、という事ですが……藤宮さんの様子を見ると、この一年の間たくさん奥さんに謝ってきたと思うんです」
「それは……はい、もちろん」
「でしたら、何故?」
「……確かに、私はあの日から妻——晴夏には数えきれない程謝ってきました」
藤宮さんがゴソゴソと動いた後、カウンターにコトッと何かを置いた音が聞こえた。
「墓前で、仏壇の前で、待受を見て——貝取さんの言う通り、妻に謝っていない日はないと思います」
その言葉を聞いた瞬間、私は思わずポロっと涙がこぼれた。
航くんが話を聞いてくれて良かった。
私はこういう『お客さん』とはまだ、上手く話す自信がないから。
「でも、謝る度に妻が——私の想像の妻ですけど——『じゃあ、何であんな事言ったの?』って言ってくるんです。『気持ちよく送り出してくれたら、もしかしたら死ななかったかもしれないのに』って」
謝り続けて、それでも藤宮さんは全然納得出来なくて。
それでも時間だけは過ぎていって。
変えなくちゃ、進まなくちゃって思う度に心の中のモヤが大きくなっているんだろう。
藤宮さんはそんな日々から一歩踏み出したくて、ここを頼ってきたんだって分かった。
そして航くんも、『お客さん』がどうしたいのか気付いたんだと思う。
「——終わらせたいんですか?」
「え?」
「このままでいるよりも……お二人の為には、いいと思います」
「えっと、何の事ですか?そんな、終わらせるだなんて……」
「……すいません。藤宮さんは『自分が伝え続けている気持ちを、奥様がどう受け取っているか』を知りたいんですよね?」
「あ……そう、そうです!」
「奥さんの気持ちを知って、気持ちの整理を付けて前を向く——その区切りの事を『終わらせる』と表現してしまいました。申し訳ありません」
航くんは頭を下げるとカウンターの冊子を取り出し、藤宮さんの前に差し出した。
「これは……?」
「願い、受け取りました。こちらをどうぞ」
そう言って渡された冊子を見て藤宮さんは、
「——『くるり』?」
不思議なものを見たような声で、そう呟いた。




