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Note 4 ふわふわのご褒美



「いゃあ、うまいい!」



 午後八時半。

『泡沫』に私の声が響いた。


「やっぱり航くんの作る卵料理は、一味違いますよお!」

 


 航くんの新メニューの発表会。

 一口だけ試作をもらったけど、今回も絶品だ。


 カウンターに座ってごくりと生唾を飲んだ常連さん――井出さんが、私に尋ねる。


「どう美味いんだ?芽吹ちゃん」

「井出さんも見ましたよね、あのトロトロの卵!あれが口に入った時……どうなったと思います?」

「ど、どうなったんだ……?」


 

「溶けたんです、香りだけ残して――まるで最初からそこに何も無かったかのように」



「――ッ!」


 私のその言葉は、さながらスタートの発砲音のように井出さんを突き動かした。

 

 

「――航くん!俺にっ……俺にそれ、食わしてくれ!」

「かしこまりました」


 そして、テーブル席の方に座っていた常連さん――佐々木さんにもそれは伝播する。

 

「美味そうじゃん。俺にも頼むわ」

「私にもっ!一口じゃ足りない!」

 

「分かりました。二人前、お作りしますね」

「私にもっ!ねえ、私にもっ!」



 航くんは常連さんにペコッと会釈すると、調理場の方へ足を向ける。


「芽吹、今のうちに井出様に飲み物を聞いてあげて」


 そして、そのまま調理場へ消えて行った。

 


「……ケチ」

「何か言ったか?」


 私の独り言を聞いて航くんが、ヌッと調理場から顔を出す。

 

「ケチ!」

「聞こえてんだよ」

 

「あほたれ!すかぽんたん!」

「ここぞとばかりに威力上げんな」



 やれやれ、という顔をして航くんはスッと顔を引っ込める。

 その様子を見ていたお姉ちゃんが、お客さんの飲み物を作りながらチョイチョイと私に手を振った。

 


「芽吹、残念だったわね」

「一口だけは流石にひどいよ!生殺しだよ!」


「そうよねえ……じゃあ、私からいいものあげる」

「えっ!なになに!?」

「手、出して」

 


 ウキウキで出した私の手に、ポンと飲み物が置かれる。

 お姉ちゃんの特製、スモークチップで燻したウイスキーのハイボール。

 


「はいこれ――佐々木さんのご注文ね」


「……まあそんなこったろうと思っとったよ、私は」


 私はがっくりと肩を落とし、手に持ったグラスをトレイに乗せて佐々木さんの席へ向かった。



 お姉ちゃんは、割とイタズラ好きだ。

 普段バーで働いてる姿しか見ていない人には分からないだろうけど。

 


「佐々木さん、お待たせしましたっ!」

「おお、待ってました!どれどれ、今日の心晴ちゃんの燻製具合はっと――」

「あはは……ごゆっくり!」

 


 何というか……何がとは言わないけど、お姉ちゃんの常連さんには『絶妙』な人が多い。

 

 今の燻製ハイボールだってそう。

 ある日、お姉ちゃんが佐々木さんに囁くようなポーズで、


「ご注文のハイボール、良ければ――『私の燻製』でお楽しみになりませんか?」


 そう言った途端、一躍『お姉ちゃんの燻製』はお姉ちゃんの常連さんの間で人気メニューとなってしまった。


「心晴ちゃん、今日も最高だよ!」

「ありがとうございます。いつでもお作りしますので、お声かけくださいね」


 今日の『燻製具合』に上機嫌な佐々木さんがお姉ちゃんに声をかけると、お姉ちゃんは得意の営業スマイルを浮かべて軽く返事をした。

 



 まあ、気持ちは分からんでもない。

 大人びた顔に、出るところは出て引っ込むところはしっかり引っ込んだ体型。

『スカートは恥ずかしいから』と選んだパンツスタイルの制服が、逆にそれらを引き立たせている。

 

 腰のあたりまである髪を一つにまとめてカウンターに立つその姿は、少し薄暗いバーの雰囲気も相まってまさに『妖艶』といった感じだろう。


 羨ましいのう。

 六つ離れてるとはいえ、姉妹だってのに。

 


「――ありがとね、芽吹」

「ん、何が?」


「佐々木さん、熱心に注文してくれるのはありがたいんだけど……ちょっと、ね」

「嫌なら嫌って言わないと……」


 そんなお姉ちゃんに引き寄せられた人は、さしずめ沼にハマってしまった人。

 ダメだとは言ったものの、きっと常連さんの方が抜けられないんだろうな。


「……いい売り上げになるから、やめたくはないんだよね」

「お姉ちゃんらしいね……」


 常連さんも『出すところに出す』状態になっちゃってるから。

 かわいそうに。



「――お待たせしました」

 

 そんな事を思っていると、二つの器を持った航くんが調理場から出てきた。


 航くんは佐々木さんのテーブルにその皿を置く。


「おっ、あんがとさん」


「井出さんも、お待たせしました」

「待ってました!いただきますっ!」


 続いてカウンターの井出さんの前にコトッと皿を置いた航くんは、一歩後ろへ下がった。


「お客様に出すのは初めてですが、味は間違いありません――冷めないうちに、どうぞ」


 そう言ってカウンターへと戻る航くん。

 


「――ッ!……これは……!!」


 その後ろでは、

 

 


「――なんだこの料理ッ……うま、美味すぎる……ッ!!」

「うっめぇ〜っ!やっぱり航くんの料理は絶ッ品だな!」


 たった今『航くんの沼』にはまった二人の、熱い食レポが始まっていた。


 

「完全に洋風のオムレツなのに……和風のダシ!?主張し過ぎず、だがしっかりと香って酒ともベストマッチだ!それに何と言っても――この切った断面にとろけて纏わりつくチーズ!……ブツブツ……ブツブツ……」

 

「肝心の卵はトロットロのフワッフワ!つついたら崩れちまうかと思いきや、絶妙な焼き加減でしっかりと調節してやがる!奇跡的なバランスだぜ……ブツブツ……ブツブツ……」

 

 


 前言撤回。

 航くんの常連さんも、違う意味で『なかなか』な人が多いんだった。


「航くん。一応聞くけど、変なものは……入ってないよね?」

「まさか、家よりもちょっと贅沢なだけのただのオムレツだよ」



 航くんの料理に惚れすぎて、家族を連れて食事に来るほどの井出さんはともかく。

 お姉ちゃん一筋の佐々木さんを、ただの料理だけであそこまで唸らせるとは。


 航くんの料理、おそるべし。

 そして早く私にも作るべし。


「……作らんぞ。勤務中だし」

「分かってますよーだ!」

 



 なーんて思っていたけれど。 

 それからはもうとにかく大変で、それどころじゃなかった。

 

 

「……すいません!今のオムレツ、僕も頼んでいいですか?」

「いいですよ、少々お待ちください」


「芽吹ちゃん、こいつの旨みに酒が全然追いつかんわ!ビールちょうだい!」

「はいっ、ただいま!」


「心晴さんの燻製と、彼のオムレツのハーモニーッ……!くっ……許し難い。許し難い、がッ……受け入れざるを、得ないッ!!」

「……今日はペースが早いですね、佐々木さん。もう一杯、ご用意しておきますね」

「ああ、よろしく頼むッ!」


「こんばんはー!――わあ、いい匂い!」

「いらっしゃいませ!こちらへどうぞー!」

 


 航くんは調理場とカウンターを行ったり来たり。

 お姉ちゃんはカウンターで店内全体を把握しながら、タイミング良くドリンク提供や声掛けをする。


 私は、航くんとお姉ちゃんから渡される料理や飲み物をひたすらお客さんの元へ運んで、空いた食器を片付けるので精一杯だった。

 



 そして、その時は訪れた。



 



「――すいません……材料切れで、もうオムレツは作れないんです」

 

 


 爆発的なオムレツブームの波が冷めやらぬ、午後十一時前。


 航くんの常連さんの女性――木崎さんが匂いにつられて注文した時、その事実は発覚した。

 

 

「ありゃ、残念」

「申し訳ありません」


「なんか他に作れるー?」

「代わりと言ってはなんですが……使用していたダシが余っているので、ご飯と合わせて出汁茶漬けはどうでしょう?」


「神〜!それにする!」

 


 私は退店した佐々木さんのテーブルをバッシングしながらその話を小耳に挟んだ。


「あちゃー、無くなっちゃったか……」

 

 新作はバイト上がりにまかないとして食べさせてもらう事が多いから、密かに楽しみにしていたのに。

 

「まあ、いつにも増して大人気だったもんなあ……」


 目の前に積まれたオムレツ用の皿を手に取って私は呟いた。


 

 まあ、無くなってしまったものは仕方がない。

 

 切り替え切り替え。

 多分今後も航くんは作るだろうし、またどこかで食べられたらそれでいいや。


 そんな事を考えながらバッシングした後の食器たちに手を突っ込み、私は洗い物を始めた。


 



「――芽吹、そろそろ上がっていいわよ」


 日付を跨ぐちょっと前。

 退勤時間をもうすぐ迎える私はお姉ちゃんに声をかけられた。


「もういいの?まだ少し時間あるけど」

「うん、お客さんもだいぶ落ち着いたし。今日は忙しかったから」


「りょーかい!じゃあお先ですっ!」


 

 お姉ちゃんは『ママ』に手腕を買われて『泡沫』の実質的なトップとして働いている。

 今日みたいな忙しかった日にまかないの時間分だけ早く上げてもらったり、逆に人が少ない時に早上がりを提案したり、割と自由にやらせてもらっているみたい。

 


 私は制服を着替えるために調理場の奥にある休憩室へと向かった。

 

「航くん、お先です!」

「お、芽吹上がりか。まかないいるか?」

「うん、欲しい!」


「オッケー。作っとくけえ着替えてきんさい」

 


 今日のまかないは何だろうな。

 

 ご飯とダシがあるって言ってたから、木崎さんに出した出汁茶漬け?

 それともシンプルにだし巻き卵?

 うーん、どれも悩ましい。


 私はそんな事を考えてウキウキしながら、着替えを始めた。

 



「航くん、今日のまかないは――」



 私が着替え終わって調理場に戻った時、ちょうど航くんは温めたフライパンに『それ』を入れる所だった。


 ジュワァ!という音を立てて黄金色の液体がフライパンの上で踊る。

 航くんはその踊りを操るかのように軽快にフライパンを揺らしながら火加減を調整し始めた。


「それって――まさか、さっきのオムレツ!?」

「調理場であんま喋んな」


 シッシッとされたので私は休憩室の扉の所まで下がる。


「それって、さっきのオムレツ?」


 ここなら喋っても大丈夫だろうと航くんに声をかけると、航くんは私の方を見て苦い顔をしながら火を止めた。


 軽く揺すってオムレツをフライパンの端に寄せると――皿の上に盛り付けられたご飯にそっと置いた。

 優しく置かれたはずのオムレツは、ご飯の上でプルンプルンと揺れている。


「オムレツの下に、ご飯ッ……オムレツご飯!?」

「オムライス、って知ってるか?」


 航くんは私の前に皿を置くと、スッとオムレツに包丁を入れる。

 形を保てなくなった卵が切れ目から次々と溢れて、すぐにお皿の上はトロトロの海となった。


「チーズは無くなったけえ、店で出してたもんとは違うけどな。まあ良く言えば完全新作だ」

「航くん最高!ありがとう!」


 今日は食べられないと思っていた。

 それがまさかオムライスになって私の前に現れるとは。


「へいへい、上で食ってっていいぞ」

「うん!いつも通り洗って置いとくね!」


 なんだかんだ言って私のために色々してくれるから優しいなって思う。


 私は出来立てのオムライスをこぼれないようにそっと持って、


「じゃあ、お疲れ様でした!」


 二人とお客さんに挨拶をして『泡沫』を出た。






 

 

 


 午前三時。

『泡沫』の営業が終わる時間。


「お疲れ、航」

「おう」


 今日は次の日が平日という事もあって、日付を跨ぐ頃からはほとんど客が来なかった。

 なので俺たちは三時きっかりに店を閉めて退勤した。



 ガチャッ、と音が立てて『泡沫』の扉を心晴が閉めた瞬間。


「んうー……」

 

 心晴の『シンデレラタイム』は終わりを迎える。


「疲れた……眠い……」

「俺の部屋で寝てくか?」


「んー……行くう……」


 俺や芽吹と違ってオンとオフがハッキリしている心晴は、仕事が終わるとその雰囲気をガラッと変える。

 


「クッションの方で寝てくれよ、寝直すのがめんどいけえ」

「えー、どうしよっかなー」


 そんな事を言いながら、俺たちは三階の俺の部屋に向かった。


 


「……あれ、鍵開いとる」


 鍵を開ける手応えが無かったのでまさかと思ったが、扉を開けるとその予感は的中していた。

 

「……くぅ……」

「マジか……」

 

 帰ったと思っていた芽吹が、心晴を寝かそうと思っていたビーズクッションに埋まって眠っていた。

 食べ終わった皿はしっかりと洗ったようで、ピカピカになった皿が水切りかごに置かれている。



「はぁ……」


 俺は思わず顔に手を当てた。

 このまま心晴までここで寝るとまずい。

 

「心晴、芽吹が寝とるしお前は家に――」


 俺は振り返って後ろに立っている心晴を部屋から追い出そうとしたが、


 

「いつまでそこで突っ立ってんの?早く入りんさいよー」


 時すでに遅し。

 心晴は俺のベッドに上がって、布団に包まりモゾモゾとし始めていた。


 

「……おい、俺のベッド」

「えー、なーに?聞こえなーい」


 そう言って心晴は、履いていた靴下と蝶ネクタイを布団の隙間からポトっと床に落とした。


「俺の寝る場所……」

「困ったねー、大変だねー」


 今度はゴソゴソと大きく動き、着ていたシャツとズボンをポイっと床に落とす。


「普通そこは譲るじゃろ!」

「じゃあ、無理矢理どかせたら?」


 そう言うと心晴は被っていた布団を少し下げ、肩のあたりまで見せて俺を見てニヤリと笑った。


 

「私――別に抵抗しないけど?」




「……はあ」


 俺より二つ年上の心晴は、長い付き合いの中で俺をいじりがいのある弟のように認識してしまった。

 こうして大人になって関係が変わっても、それは変わらない。


「……くそ」

「残念ねー、芽吹がいて」


「……しゃーない、床で寝るわ」



 しかし、ベッドで寝たいからって、脱ぐか?普通。


 ――いや、コイツなら脱ぐか……


 俺は自問自答をしてはあ、とため息をつく。

 


「せっかく大きいクッションなんだから、芽吹の隣で寝たら?」

「出来ればお前がそうしてて欲しかったわ」


「えー、仕方ないなあ――」


 俺のその言葉で心晴は布団を持ち上げようとしたので、


「それはやめろ、ホントに」


 全力で布団を押さえて止めた。


「ふふっ、じゃあおやすみー」

「……おやすみ」



 芽吹は明日も大学があるから、早く起きるだろう。

 そのタイミングで俺はクッションと入れ替わって――。


「ふぁ……ねむ……」


 俺は襲いくる睡魔に勝てず、思考を途中で放棄し床に転がって寝た。








 


「ん……あれ……?」


 目を覚ますと、航くんの部屋で寝ていることに気付いた。


「……あー……やっちゃった」


 床で寝ている航くんを見て思わず私はそう呟いた。

 ベッドを見ると掛け布団やら毛布やらを全部ひったくったお姉ちゃんが、みのむしになって寝ていた。


「てか、また脱ぎ散らかしとるし……」


 家で半裸で寝てるのはいつものことだから何も言わないけど。

 流石に付き合いが長いとはいえ、航くんの部屋でそれをやるのはどうかと思う。

 


 そんな事を考えながら身体を起こした私は、ある事に気付く。


「あれ、私……タオルケットかけて寝たっけ?」

 


 かけた覚えのないタオルケット。

 また少し季節には早いから押し入れにしまっていたものだ。


 私は少し考えた後に、航くんを見て微笑んだ。

 


「ホントに優しいよね――昔から」


 そう言って私は、私にかけてくれたタオルケットをそっと航くんにかけた。


「ん……」


 その拍子に航くんが寝返りを打って私の方を向く。


 無防備な顔。

 仕事中ともプライベートな時に見せる顔とも違う、ふわふわとした寝顔。

 


「……ふふっ」


 私は思わず笑ってしまう。

 私とお姉ちゃんだけが知っている、航くんの一面。


 

「ん……芽吹、起きたか?」

「ごめんね、航くん。私もう帰るから、クッション使って」


「ああ、そうさせてもらうよ……いてて」


 そう言いながら立ち上がる航くん。

 家を出る私を見送ってくれようとしているのに気付いた私は、


「ここでいいよ、ありがとね、航くん」


 早く寝なよ、と言って玄関に向かう。

 

「おう。もう朝だけど、気をつけて帰れよ」

「はーい」


 そのまま靴を履いて、私は部屋を出た。



「相変わらず優しいね、航くんは」


 部屋の中に聞こえないくらいの声でボソッと呟く。

 


 さ、明日も大学だし。

 家でもう一眠りしてシャワー浴びよ。


 そんな事を考えながら、私は下へと降りていった。

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