Story-3 『TRIP』
その男は、乗り込んでくるなりこう言った。
「始まりの地、という説明で大丈夫でしょうか?」
「ええ、結構です」
「すみません、そこに連れて行ってください」
「その前にお客様、当運送業の決まりはご存じでしょうか?」
「はい。過去に行くことは可能だが、過去から未来には帰ってくることはできない」
「そのとおりです。それを知った上でその目的地に向かうということでよろしいんですね?」
「はい、もちろんです」
運転手は承諾すると、帽子を目深にかぶり直し、タイマーをセットした。
タイムタクシー、それが運転手の仕事だ。普通のタクシーとは違い、過ぎ去った過去へも運送することができるのだ。
ここしばらくは普通の業務をしていただけに、過去に戻る仕事は随分と久しぶりだった。
とはいえ、やることは日常の業務とほとんど変わらない。
お客に指定された年代にタイマーを回し、後は人気のないところに車を移動させ、頃合を見計らい異次元空間に飛び込むだけだ。
ただ一つ違うとすれば、それは乗り込んできたお客である。時間に関する要求をしてくるお客には、必ず一つの共通点があるのだ。
それは、心に何かしらの『不平』があること。
このお客もきっとそうだ。乗り込んできた空気で分かる。普通のお客とは違った、木枯らしを身に纏ったような異質の空気。この男はきっと、何かしらの未練を過去に残してきてしまったのだろう。
客の雰囲気を垣間見ることで、それが何となく分かってくるのだ。長年の勘、というのが一番当てはまるだろう。
とは言うものの、それはあくまで何となくの話だ。運転手の単なる想像に過ぎない可能性もある。
「それにしても、始まりの地だなんて、そんな過去まで戻って一体何をするおつもりですか?」
運転手は、目的地に向かう道すがら聞いてみることにした。
「ちょっと、ある人に頼みたいことがあるんです」
「頼みたいこと?」
「はい、今の時代ではできないことです」
「はあ。――少々揺れますのでご注意ください」
人気のないことを確認し、運転手は異次元に飛び込んだ。
時代を徐々に遡っていく。窓の横にはいくつもの時代の流れが物凄いスピードで次々と過ぎていた。
「始まりの地は遠いので、少々時間を要しますが、よろしいですか?」
「ええ、問題ありません」
なかなか寡黙な客である。聞かれたらそれに答える、必要最低限のマナーはわきまえてはいるが……。
まあ、とは言っても二人は運転手と客、運転手が客を降ろせば、その時点で二人には何の接点もなくなる。赤の他人と化すのだ。
それに、この客が望んだ目的地は途方もない過去。二度と会うことは不可能と言っていい。
気にする必要はないんだ。「いつも通り」の勤務であれば。
「大層な事情があるようですね? お客さん」
「……やはり、分かりますか?」
「この仕事は結構長いですから、今まで色々なお客も乗せてきましたからね」
「さすが、ですね」
「正直に言ってしまうとお客さん、自分で思ってる以上に難しい顔をしてらっしゃるんですよ。バックミラー見てみてください」
「……本当ですね」
表情はそのままで、男はバックミラーを一瞥し、また運転手の後ろに身を戻した。声を聞く限り、どうやら運転手よりも若いようだ。
「一体、何があったんですか? 言ってみてください。心が軽くなるかもしれません」
これが、この仕事をする際のルールだ。
過去への輸送を所望した乗客には真摯な対応を心がける。先にも言ったとおり、過去を所望した者の心には、何かしらの「不平」がある。それだけ衝撃的な現実が本人の前で起こってしまったのだ。
過去に戻って現実を変えたいと思うほどに。その憔悴してしまった心を癒してあげること、それがこの仕事をする上で大事なことなのだ。もちろん、全ての客が運転手の心配りに素直になるわけではない。
知られるわけにはいかない事情というものもある。中には一言もしゃべらない客もいる。そんな客と無理に会話する必要はない。
そういう時には、自分の思うところを素直に話す。何も語らずとも、運転手の声は聞こえているはず。そういった小さな気配りが、客の心を奮い立たせるきっかけにも成り得る。
「……聞いてもおもしろくはないですよ? あなたに迷惑をかけるわけにはいきません」
「迷惑かどうかは、話を聞いてみないと分かりませんよ」
「…………」
しばしの沈黙を置いて、男は口を開いた。
「信じてもらえるか分かりませんが、私は不死の力を持っているんです」
「なるほど」
「……随分あっさりと信じるんですね」
時間を遡ることができるのだ。不死があっても全くおかしくはないだろう。運転手の中では、非現実が現実であるようなものだ。それを男に伝えると、男はまた話を続ける。
「私には双子の兄がいたんです。馬術が上手く、とても器用な人でした。そんな兄を、私はとても慕っていました。ずっと二人で楽しく暮らしたい、そう思っていました。だけど、兄は私と違うところがあったんです。そう……兄には不死の力が備わってなかったんです」
「…………」
「不死の力がある私は、矢で急所を打たれても死ぬことはありません。しかし、不死の力を持たない兄は……気付くことができませんでした。兄も私と同じものだと思い込んでいました」
死んで初めて不死ではないと分かる、何とも不憫な話だ。
「時が経てば自然と忘れるだろうと思いました。しかし、それは全く逆でした。時が経てば経つほど、昔のことが思い出されて……もう同じような毎日を送るのに疲れてしまいました。だから――過去に戻って、兄に不死の力を授けたいんです」
「それはつまり、あなたの力を兄に渡そうということですか?」
「はい。私は、未来に興味はありません。それなら、若くして亡くなってしまった兄に、未来をプレゼントしたいのです」
なるほど、兄想いの素敵な弟だ。自分の命を捧げてまで兄を優先する、生半可な気持ちではできないことだ。運転手は素直に感服した。
「でもですね、お客さん。それは正直、無理だと思いますよ」
「……何故ですか?」
時間を遡り、違う人生を歩むことは間違いではないかもしれない。しかし、自らの力を兄に授ける、というのは話が違う。
どんなに過去を遡り、自分が生まれる前に戻れたとしても、生まれた時に授けられた天性の力は付与することはできない。
非現実の中に存在する非現実。もちろん男は納得できない顔をしている。
「まだ分からないじゃないですか? 始まりの地には神様がいるんです。神様に頼めばきっと――」
「その神様があなたたちの運命を紡いだとしたら、どうですか?」
「…………」
客は言葉をつなげるのをやめた。
まだ言いたいことはあったのだろうが、運転手に当たったところで解決はしないと考えたんだろう。
それに、運転手の言うことが本当なら、結局は前と同じ生活を送ることになってしまう。それでは意味がないのだ。未来を変えるために過去に来たというのに、同じ未来を歩んではしょうがない。
「まだ目的地までは時間があります。少し考えてみてはどうですか?」
「……そうですね。すいません、運転手さんには関係のないことなのに」
「いいんです、これが仕事ですから。あなたの兄を思う気持ちは、私にも十分伝わってきてますよ」
蓋を開けてみれば、根はしっかりしているお客だ。きっと考えすぎてしゃべっている暇などなかったのだろう。
「さっき私が述べたことは決して真実とは限りませんから、頭に止めておく程度にしておいてください」
「はい」
「あ、迷惑かもしれませんがもう一つ――あなたの兄も、あなたと一緒にいることを望んでいたと思います。だから、もし未来をあげることができたとしても、喜ぶとは限らないでしょう」
「…………」
それからしばらく沈黙が続いた。男は腕を組み、必死で何かを考えていて、その様子を運転手はそっと見守っていた。
「さあ、着きましたよ」
運転手はブレーキを引き、ドアを開いた。
窓の外に広がっているのはたくさんの石造りの建物と広大な大地。その光景は、正に始まりの地というに相応しい。
「ここで大丈夫ですか?」
「はい、ありがとうございます」
「考えはお決まりですか?」
「一応は。私の出来得る限りの主張をしてきます」
「そうですか。何もすることはできませんが、成功を祈っています」
「重ね重ね、ありがとうございます」
「いえいえ。――ご乗車ありがとうございました、そして、行ってらっしゃい」
「はい、行ってきます」
男は凛とした表情を運転手に見せて、威風堂々と歩いていった。目的地は、大地の真ん中に聳え立つ大きな神殿。足並みに迷いが見えないあたり、彼は本当にこの時代を生きた人間だったんだろう。運転手は男の姿が見えなくなるまで見守った。
これで仕事は終了、後は元の時代に帰るだけだ。運転手はエンジンを掛け直し、タイマーをセットする。
「ん?」
ふと、運転手の目にある文字が飛び込んできた。どうやら古代文字のようで、かなり独特な形をしている。
Zευφ、と書かれているようだ。
ローマ字でいうところの『Zeus』のようだが……。ゼウスと言えば、ギリシャ神話によく登場する神様のことだ。
さすがは始まりの地、本の中だけに存在するものと思っていたが、どうやら実在していたらしい。
……………………。
「――あ、そういうことか」
運転手はあることに気付いた。それは、今さっき降りていった乗客の正体だ。ゼウスと、そして双子の弟――なるほど、それなら確かに現代でのんびりしている場合ではなかっただろう。きっとあの兄弟は二人で一つ、運命共同体だったんだ。
運転手は軽い笑みを浮かべて、タイマーをオンにした。
今回も、なかなかに大仕事だった。
運転手はタクシーから降りてタバコに火を付けた。
あれから1時間程たっただろうか。運転手の頭の中は、さっきの出来事でいっぱいだった。ここまでお客に対して感情移入したのは久しぶりかもしれない。それだけ、彼の思いが切実だったということだろう。
理由は分からないが、運転手は彼の申し入れが通ることを確信していた。
そしてその予想は見事に的中した。
何故か、それは空を仰ぎ見れば分かる。
寄り添うようにして光輝く、二つの煌びやかな星。
これからもあの星たちは、流麗な輝きを保ちながら、この世界の人たちの心に残っていくだろう。
――ふたご座。彼らほど、お互いに信頼を寄せている兄弟はいないかもしれない。
「おめでとうございます」
運転手は空に向かってそっと呟いた。
END
パラレルワールド……
何かいいですよね――(゜-゜)