第六話 今夜の寝床
「はい。確かに返してもらった」
ネリさんは、足元の巻き上げ具を一度動かした。
小さな歯車が、ちりちりと鳴る。鉤を外し、担いできた棒と一緒に木箱へ収めると、ようやく顔を上げた。
「助かりました。俺たちだけじゃ、鎖を外せなかった」
「あたしもちゃんと送り届けてもらったからね。ありがとうよ」
道具を運ぶのを手伝ってくれた、赤い頭巾の船員にも礼を言う。
その男は鼻の頭を指で擦り、油の汚れをかえって広げてしまった。
「もう一回運べって言われたら、次は船長を呼ぶ」
「俺もそうする」
二人で笑って、空になった手を振った。
腕が軽い。少し痛い。
俺たちが立っているのは、水売りの船の乗り口だった。
その左側へ、コハク号の船首を寄せてある。両方の船が脚を曲げ、同じ高さで止まっているので、間に掛けた板はほとんど水平だ。
板を渡れば、コハク号へ戻れる。
リゼはコハク号の操舵室の窓から、こっちを見ていた。
俺が手を上げると、彼女も片手を上げた。
その向こうで、鐘が鳴った。
見上げると、巨船から人を逃がしていた二隻の救難船が、砂地へ出てきていた。細い橋は船の脇へ引き上げられ、もう巨船とは繋がっていない。
巨船から離れたところまで来ると、救難船は長い脚を曲げ始めた。
屋根のない甲板が、座った人々ごとゆっくり低くなる。
「降りる人がいるね」
ネリさんが木箱の蓋を閉めた。
「あの人たち、この後はどうするんですか」
「ここで別の船へ移るか、あいつらの回収場まで乗っていくか。自分の船を取られた人は、帰る足がない」
コハク号の向こうにも、何隻かの船が停まっている。
皆、無事に逃げられた船だ。窓に灯りがあり、戸を開ければ家族や寝床がある。
救難船の人たちが持っているのは、抱えて逃げてきた荷物だけだった。
「様子を見てくる。オルドにも伝えといて」
ネリさんは自分の船の舵取りへ声を掛けてから、俺たちと一緒にコハク号へ渡った。
*
船長が掛け直した渡し板を下りると、靴の下で乾いた砂が鳴った。
ここは港のくぼ地の外側で、砂の下に硬い地面があるらしい。昼間の岩場で見た、流れ続ける砂とは違う。足が深く沈むことはなかった。
ネリさんはもう、ほかの船長らしい人たちへ声を掛けていた。
何人なら泊められるか。水はあるか。朝にはどこへ出るか。
休む場所を探す話が、あちこちで始まっている。
俺は、その少し先で足を止めた。
救難船から下ろされた板を、小さな男の子が歩いていた。
女の人の手を両手で掴み、一歩ずつ下りてくる。栗色の短い髪と、丸い頬。膝の出る紺色のズボンは、片側だけ砂で白くなっていた。
女の人は三十歳くらいだろうか。茶色の髪を低い位置でまとめ、砂色の上着の前を開けたまま、子供の足元を見ている。日に焼けた細い顔に、ひどく疲れた表情が浮かんでいた。
赤い帆の船で、窓から手を振ってくれた子だ。
水を届けた時、あの人が桶を受け取ってくれた。
「あの、水を運んだ――」
俺が言い終える前に、男の子が顔を上げた。
「お水のお兄ちゃん」
女の人も俺に気づいた。
けれど、笑顔にはならなかった。
「無事だったんですね」
「はい。お二人も、怪我は」
「ありません。この子も」
彼女は子供の肩を抱いた。
脇に挟んだ布袋から、片方の靴下がはみ出している。
「船は、どうなったんですか」
答える前に、彼女の目が俺の後ろへ動いた。
巨船の上に、赤い帆が見えた。
畳んで縛ったままの帆が、ほかの船の屋根の間から突き出している。
「鎖を外してほしいと頼んだんです。でも、先にお金を払えって。私一人では外せなくて、早くこの子を降ろさないと……」
途中で声が詰まった。
男の子が彼女の上着を引く。
「おうち、帰れないの?」
「今はね。今日は、ほかのところで寝よう」
彼女はそう答えてから、周りの船を見た。
まだ、泊まる場所が決まっていないのだと分かった。
六本の脚で砂を踏んで逃げた時の音を、思い出した。
あの坂で間に合わなかったら、俺たちもここにいた。
リゼも、自分の家を見上げていたはずだ。
「少しだけ、待っててもらえますか」
「え?」
「泊まれるか、聞いてきます。あの六本脚の船です」
コハク号を指した。
男の子が見上げる。その横で、女の人は何か言いかけて、唇を閉じた。
「まだ、お礼を払えるか分からなくて」
「まず、空いてるか聞いてきます」
走りかけ、足を止めた。
受け入れてもらえるかも分からないのに、待っている間ずっと子供を立たせておくのは変だ。
そばで避難した人の名を聞いていた船員へ声を掛けた。顎の尖った中年の男で、胸元に笛を下げている。
「すみません。この二人、船が決まるまで板の脇に座ってても大丈夫ですか」
「そっちなら通りを塞がん。出る時は、どの船へ行くか教えてくれ。後で身内が探しに来ることがある」
「分かりました」
俺は女の人へ頷いて、コハク号へ戻った。
*
「船長。今夜、俺に貸してくれる寝台があるって言ってましたよね」
船首の台で、オルド船長がこちらを向いた。
手には渡し板の綱を持っている。
「ああ」
「赤い帆の船にいた母親と小さい子が、泊まるところを探してます。俺の分を、二人に使ってもらえませんか」
船長の視線が、俺の背後へ動いた。
親子は救難船の板の脇に座っていた。男の子は袋を抱え、母親の膝に頭を寄せている。
「お前はどこで寝る」
「操舵室の腰掛けで。昼間も、あそこで寝ましたし」
すぐ横の窓が、がたんと開いた。
「あそこじゃ、脚を伸ばせないよ」
リゼだった。
帽子の下から眉を寄せ、俺を見ている。
「さっき、横になったらすぐ寝そうだって言ってたのに」
「二人が座ったままよりはいいだろ」
「カイも休まないと。手、まだ痛いんでしょ」
握り直していた右手を、見られた。
俺は指を開いた。
「寝る場所は、俺が決める」
船長が言った。
声を荒らげたわけではなかったが、俺たちは口を閉じた。
「まず二人を連れてこい。母親に行き先を聞く。水も寝具も、二人分ならある」
「いいんですか」
「俺の部屋に予備の寝台がある。お前はそっちを使え」
太い眉が少し下がった。
「二人を泊めたからって、お前が休めなくなるんじゃ困る」
思わず、息が漏れた。
頭を下げてから、振り向く。
「リゼ、あの子、水を運んだ船の――」
「見えた。分かってる。毛布、持っていくね」
彼女は窓を閉めた。
操縦桿から手を離していいか、船長へ確かめる声が聞こえた。
俺が親子のところへ戻ると、男の子はまだ起きていた。
母親の指を握ったまま、こちらを見ている。
「来てもらえますか。船長が、泊まっていいって」
「……二人とも?」
「はい」
女の人の口が、少し開いた。
それから子供を抱き寄せた。顔を髪へ押しつけて、しばらく動かなかった。
男の子は、よく分かっていない顔で母親の肩を叩いた。
「お母さん、もう眠い」
「うん。ごめんね。行こうね」
彼女が立ち上がろうとして、よろけた。
俺は布袋へ手を伸ばす。
「それ、持ちます。お子さんの手をお願いします」
袋は軽かった。
家ごと動く船から持ってこられた荷物が、俺の片手で持てるだけしかなかった。
船員にコハク号へ行くと伝え、親子を案内した。
前では、リゼが毛布を抱えて待っていた。
男の子は、渡し板の下で立ち止まった。
「このお船も、急に動く?」
リゼがしゃがんだ。
抱えていた毛布を片腕へ移し、空いた手で板の縁を叩く。
「この船は、私が運転するんだ。出る前にちゃんと知らせるよ。今は乗って大丈夫」
「揺れない?」
「少しは揺れる。でも、ここを持って歩けば平気」
板の脇に張った綱を示すと、男の子はそっと握った。
リゼは立ち上がり、彼の歩く速さで先へ進んだ。途中で急がせず、こちらを振り返って待つ。
帽子の後ろから垂れた三つ編みが、毛布の上で揺れていた。
乗り口で、母親が船長へ頭を下げた。
「フラナといいます。息子のテオです。六つです」
「オルドだ。行き先はあるか」
「東の補給港に、知り合いがいます。そこまで行ければ」
「うちも明朝そっちへ出る。乗っていきな」
「船賃は、港に着いてからでも――」
「そこまでは要らん。まず子供を寝かせろ」
フラナさんがまた頭を下げた。
その背中越しに、地面の灯りが見えた。
ほかの船でも、人が板を上がり始めている。
荷物を受け取る手が伸びる。毛布を取りに戻る人がいる。救難船の船員は、誰がどの船へ移ったかを紙へ書きつけていた。
低い音が、砂の下を通った。
皆が、一斉に巨船を見た。
黒くそびえた船体の下で、家より大きな鉄の脚が動いている。
足が砂へ下りた。
その一歩の遅れてくる震えを、コハク号の床越しに感じた。
巨船が、歩き始めていた。
上に並んだ小さな窓が、いっせいに横へ動く。
赤い帆も、その中にあった。
フラナさんはテオの背へ手を置いたまま、ずっと見ていた。
船長が、彼女のそばへ寄った。
「船の名前を教えてくれ」
「ツバメ号です。あの、赤い帆の」
「俺も覚えた。ほかの持ち主とも、何があったか書き残す。港で一緒に届け出よう」
「それで、返してもらえますか」
船長は少し黙った。
「すぐ取り戻せるとは言えん。ただ、あいつの船だということにはさせん。お前が売ったわけでも、譲ったわけでもないんだからな」
フラナさんは袖で目元を押さえた。
頷いてから、テオの肩を抱き直す。
「私は、売ってません」
船長はもう一度、頷いた。
俺には、言えることが見つからなかった。
手の中の布袋を持ち直し、リゼの後へついていった。
*
操舵室の横を過ぎると、船上の通りへ出た。
家々の扉はもう閉まっているが、窓の隙間から灯りが漏れている。さっきまで鳴っていた戸棚も、今は静かだった。
リゼが左手の一軒目で止まり、戸を開けた。
「今夜はここを使ってください」
小さな部屋だった。
奥に広めの寝台が一つ、壁際に背の低い棚。窓の下には木の椅子があり、寝台の端へ手を伸ばせば届く。
リゼは毛布を広げ、枕の位置を直した。
フラナさんがテオの靴を脱がせる。
片方を抜いたところで、子供の頭がかくりと下がった。母親の肩へ額を預け、そのまま目を閉じてしまう。
「よっぽど眠かったんですね」
俺が小声で言うと、フラナさんは頷いた。
残りの靴を、起こさないよう少しずつ抜く。
リゼが寝台の端に膝をつき、テオの足を受けた。
二人で寝かせると、彼は毛布を頬まで引き寄せた。小さく息を吐き、その後は動かなくなった。
俺は布袋を椅子へ置いた。
「荷物、ここに置きます」
「ありがとうございます。あの、お名前を」
「カイです」
「私たちのために、部屋を……」
「俺の寝るところもあるそうなんで、大丈夫です。ゆっくり休んでください」
フラナさんが何度も礼を言おうとするので、俺はもう一度頭を下げて、部屋を出た。
リゼも続いてきた。
戸を閉める時だけ、取っ手を回したまま押し、かちりという音を立てなかった。
「寝られてよかったね」
彼女が小さな声で言った。
「ああ」
「カイが見つけてくれて、よかった」
リゼの手には、小さな靴下があった。
「それ、袋から出てたやつだ」
「板のところに落ちてた。後でお母さんに渡すね。今、やっと寝たところだから」
彼女は靴下を丁寧に丸め、上着のポケットへ入れた。
前のほうから、船長に呼ばれた。
*
乗降台には、ネリさんと、見覚えのない年配の男がいた。
長い鼻の脇に深い皺があり、首には青い布を巻いている。逃げた船の一隻を動かしている船長だと、オルド船長が紹介した。
平たい箱を台にして、その上で紙を広げていた。
ネリさんが筆を走らせている。
俺は紙を覗き込み、読めないことに気づいた。
数字らしいものはある。けれど、その横に連なる文字は、日本語でも、見覚えのある外国語でもなかった。
「何を書いてるんですか」
「上に残った船の名前と、持ち主。人はどの船へ移ったか。バラバラになったら、後で困るからね」
ネリさんは書き終えた紙を一枚、年配の船長へ渡した。
「これをそっちにも残しといて。明日の港で照らし合わせる」
「分かった。もう一隻にも声を掛けてくる」
男は紙を折り、自分の船へ戻っていった。
ネリさんが俺を見る。
「セヴランが何を言ったか、あんたも聞いてたね」
「船と荷物の値段の半分を払えって。払えなければ売って、その半分を取るって」
「その話を、港でもしておくれ。あいつに頼んで運んでもらったことにされちゃ困る」
俺は頷いた。
あの時、セヴランが俺たちの船をどうしようとしたかなら、説明できる。
「文字は……すみません。俺、ここの字は読めないです」
「話してくれればいい。書くのはあたしがやる」
ネリさんは顔色を変えず、紙へ目を戻した。
「書けたら、読んでもらえますか。間違いがないか確かめたいので」
「ああ。ちょっと待ってな」
筆が止まると、ネリさんは俺の話を書いたところを読み上げてくれた。俺は聞き終えて、間違いないと答えた。
話が通じるのが当たり前になっていたけれど、文字まで読めるわけじゃない。買い物をするにも、人に尋ねることになりそうだ。
巨船の足音が、また響いた。
さっきより、少し遠かった。
紙をしまうと、ネリさんも自分の船へ戻っていった。
*
船長が使っている家は、通りの左側、三軒目だった。
扉を開けると、机の上に地図と紙が積まれ、壁には外套が二枚掛かっている。奥の寝台には、畳んだ毛布と大きな枕。
向かいの壁に、縦長の板が二本の留め具で固定されていた。
船長が留め具を外す。
板を手前へ倒すと、その裏から短い脚が出た。脚を床へ下ろし、上に巻いてあった敷物を広げる。
寝台になった。
「たまに、人を泊める時に使う。俺はいびきをかくが、それは勘弁しろ」
「こんなにちゃんとしたところで寝られるなら、いくらでも」
「言ったな」
船長が笑った。
リゼは戸口で口元を押さえていた。
「ほんとに大きいよ。隣の家まで聞こえる時がある」
「疲れてる時だけだ」
「今日、疲れてないの?」
船長は返事をせず、もう一枚の毛布を棚から出した。
俺も笑った。
笑ってから、自分がどれほど眠いかを思い出した。目の奥がじんとする。
それでも、寝る前に聞いておきたかった。
「船長。次の港まで、俺を雇ってもらえませんか」
毛布を置こうとした船長の手が止まった。
「荷運びとか、掃除とか。教えてもらえれば、買い出しもできます。船の機械は、まだ何も分かりませんけど」
「次の港で降りるつもりか」
「日本に帰る手掛かりを探したいんです。そのために、いろんな人に話を聞きたい。でも、ずっとただで乗せてもらうわけにもいかないので」
ここへ来る前の部屋が、ふと浮かんだ。
机の上のパソコン。飲みかけの茶。帰ったら遊ぶつもりだったゲーム。
明日の仕事へ行くために、充電器へ差すはずだったスマホは、今、壊れてポケットに入っている。
帰り方は、まだ分からない。
それでも、明日食べる分くらいは、自分で働きたかった。
「まずは、次の港まででお願いします。その先は、また相談させてください」
船長は毛布を寝台へ置いた。
「一航海の見習いだ。明日の朝から。飯と寝床、それに一日銅貨六枚」
「六枚」
「重い荷を一人で無理に持つな。機械は勝手に触るな。分からなきゃ聞け。買い出しは、初めは誰かと一緒だ」
「はい」
「休めと言ったら休め。そこまで仕事だ」
返事をしてから、俺は一つだけ確かめた。
「港で、日本を知ってる人を探す時間は、もらえますか」
「仕事の段取りをつけてからならな。俺も知り合いに聞く。見つかるとは約束できんが」
俺は背筋を伸ばした。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
差し出された船長の手を握る。
太い指に包まれ、掌の擦れたところが少し痛んだ。
船長はすぐに力を緩めた。
「今夜の仕事はもう終わりだ。その手、洗って寝ろ」
船長は、ほかの船の持ち主たちとまだ話があると言って、乗り口へ戻った。
俺はリゼに連れられ、通りの奥へ向かった。
*
顔を洗う場所は、家々の並ぶ通りのいちばん奥にあった。
屋根の下に水の桶と、小さな手桶。壁には浅い鉢が二つ掛かっている。
リゼが鉢を一つ下ろし、手桶で水を入れた。
「このくらいで、手と顔を洗える。使った水は、下の桶へ。床の掃除に使うから」
「分かった」
屈んで手をすすぎ、両手で水をすくって顔へ当てる。
冷たかった。
まぶたを閉じて二度、三度と洗うと、砂が鉢の底へ落ちた。
濡れた指で短い黒髪をかき上げ、息を吐く。
砂を落としただけで、頭が少し軽くなった。
「拭くもの、持ってないよね」
顔を上げると、リゼが布を差し出していた。
「これ、船で使ってるやつ。洗ったものだから」
「ありがとう。そうだ。借りたハンカチも洗わないと」
ポケットから出すと、リゼが俺の手元を覗き込んだ。
「それは明日でいいよ。今は手、しみるでしょ」
「少し」
「じゃあ、擦らないで。もう働くって決まったんだから、明日使えるようにしといて」
言い方が、ちょっと船長に似ていた。
俺が笑うと、彼女は首を傾げた。
「何?」
「いや。分かった。大事にする」
ハンカチをズボンのポケットへ戻し、受け取った布で顔を拭く。
使った水を教わった桶へ捨てた。
洗う前に袖をまくったら、裂けたところがまた少し開いていた。
通りを戻り、乗り口から数えて右側の二軒目まで来ると、窓が開いた。
「カイ。上着を貸しな」
エダさんが、小さな灯りのそばに座っていた。
銀髪は結び直され、首の巻き尺は外して机へ置かれている。
「その袖、朝までに直しておくよ」
「今からですか。もう遅いですよ」
「ここまでほつれたら、寝返りで広がるよ。預けときな」
エダさんが窓から手を差し出した。
俺はシャツのボタンを外した。下に着ていた薄いシャツまで脱がずに済むのが、ありがたかった。
財布とスマホもズボンのポケットにあるのを確かめてから、紺色のシャツを窓越しに渡す。
「お願いします」
「朝、取りにおいで」
エダさんの指が、裂けた布の縁を合わせた。
糸を引くと、小さく、しゅっと音がした。
船長の家まで戻ると、リゼは戸口で止まった。
「朝ご飯ができたら、呼びに来るね」
「頼む。いびきで寝られなくても、寝坊したら起こしてくれ」
「その時は船長も起こす」
彼女は笑って、軽く手を振った。
「おやすみ、カイ」
「おやすみ」
戸が閉まった。
船長はまだ戻っていなかった。
俺は借りた布を椅子の背へ掛け、靴を脱いで寝台へ横になった。
足を伸ばしても、つま先がはみ出さない。
枕へ頭を置くと、首から力が抜けた。
明日の朝から、コハク号で働く。
寝坊だけはしないようにと思いながら、俺は毛布を肩まで引き上げた。




