第2話:ツンデレ夢魔のリベンジ大作戦
樹海都市プトラセクタの朝は、木漏れ日と小鳥たちの爽やかなさえずりで幕を開けた。
山小屋の客間としてあてがわれた柔らかなベッドの上で、ユナはガバッと跳ね起きた。
頭上の小さなツノが怒りでピクピクと痙攣している。
「……信じられない! 一生の不覚よ!」
昨夜の光景が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
獲物の胃袋を掴むはずが、逆に男エルフの作った極上シチューに屈服させられ、あまつさえ「美味しかったぁ~」と腹をさすりながら爆睡してしまったのだ。これではただの食い逃げ居候である。
「おはよー、ユナぁ。ふかふかのベッドだったねぇ。今日もご飯出るのかなぁ」
「アユミ! アンタはサキュバスとしての誇りをシチューの底に沈めてきたわけ!? 昨夜のあれはただの油断よ。朝こそ男が最も無防備になる時間帯……今日こそあのエルフの精気を根こそぎ吸い尽くして、サキュバスの恐ろしさを骨の髄まで分からせてやるわ!」
鼻息も荒く宣言したユナは、鏡の前で薄絹の勝負服を念入りに整えた。
肩口を大胆に露出させ、谷間を強調し、艶めかしい視線の練習をする。これならいくら堅物なエルフとて、理性を保てるはずがない。
リビングへと足を踏み入れると、すでにエプロン姿のレイがキッチンで忙しそうに立ち回っていた。
朝日を浴びてキラキラと輝く銀糸の髪。細身ながら引き締まった背中のラインは、サキュバスの狩猟本能をこれでもかと刺激する。
(ふふん、隙だらけじゃない……!)
ユナは音もなく忍び寄り、レイの背後からそっと両手を回した。
薄絹越しに柔らかな双丘を青年の広い背中へと押し当て、耳元へ甘く湿り気を帯びた熱い吐息を吹きかける。
「ねえ……朝から精が出るのね? でも、朝食の前に……私で、もっと気持ちいいこと……してみない?」
ユナの十三番、魅了と快眠の複合術――『常闇の抱擁』。
触れた相手の精力を限界まで昂らせ、そのまま脱力させて精気を搾取する禁断の秘術だ。ユナは紫色の瞳を妖しく発光させ、全魔力をレイの背中へと注ぎ込んだ。
――が。
『――カチィンッ!』
「ひゃうんっ!?」
ガラスがぶつかり合うような硬質な音が響いた瞬間、強烈な反動がユナを襲った。
レイの身体から無意識に放たれていた、極めて純度の高い【風と陽光の精霊結界】。常時展開されているチート級の防御膜に術が真正面から弾かれ、ユナ自身の魔力が逆流したのだ。
激しい立ちくらみに襲われ、足元がおぼつかなくなる。
「あ、あれ……? 魔力が、ぜんぶ弾かれて……あたま、クラクラする……っ」
「おっと、危ないよ」
崩れ落ちそうになったユナの腰を、レイが長い腕で軽々と抱き留めた。
至近距離で重なる視線。青年のエメラルドの瞳が、至極真面目にユナを覗き込んでいる。
「顔が真っ赤だよ。それに息も荒い……。昨夜は寒かったから、風邪でも引いて熱が出たのかい?」
「なっ、ち、ちが……っ! アンタを誘惑して……っ!」
抱きすくめられた体勢のせいで、レイの清潔な男らしい香りと温もりがダイレクトに伝わってくる。
色仕掛けを仕掛けた本人が、逆に心臓を早鐘のように打ち鳴らし、ツノの先まで真っ赤になって湯気を吹き出していた。
「無茶はいけないよ。今、滋養のつく朝食を用意するから、座っていてね」
「う、うぅ……っ、離しなさいよこの天然タラシ……っ!」
真っ赤な顔でジタバタと暴れるユナを、レイはまるでお姫様でも扱うかのように優しく椅子へと座らせた。完敗である。
「ユナ、ドンマイ~。エルフ相手に色気で勝とうなんて百年早いよ~」
「うるさいアユミ! アンタは少し黙ってなさい!」
憤慨するユナの鼻腔を、ふいに香ばしく甘い香りがくすぐった。
キッチンから運ばれてきたのは、目を見張るような朝食のプレートだった。
こんがりと黄金色に焼き上げられた、自家製の精霊小麦パン。
ナイフを入れればトロリと溢れ出す、プトラセクタ産の極上鳥卵を使ったフワとろオムレツ。
そこへ添えられた、パリッとジューシーに焼き上がった自家製ハーブソーセージと、採れたての瑞々しいサラダ。
「……な、何よこれ。朝からこんな手の込んだもの……っ」
「プトラセクタの朝は冷えるからね。しっかり食べて体力をつけないと」
レイが優しく微笑みながら、焼きたてのパンをユナの前に差し出す。
表面はパリッと香ばしく、中は信じられないほどモチモチで、湯気とともに芳醇なバターの香りが立ち上っていた。
「い、言っておくけどね! サキュバスは精気を糧にする高貴な種族なの! こんなエルフの食べるような朝ごはんになんて、絶対に屈し――」
「はむっ。……んんんん~~~~っっっ!!」
我慢できずに一口かじりついた瞬間、ユナのツンとした表情が音を立てて崩壊した。
小麦の素朴で力強い甘みと、濃厚なバターのコクが口いっぱいに広がる。続いてフォークで口に運んだオムレツは、信じられないほど滑らかで、まるで舌の上でとろける淡雪のようだ。
「な、なによこれぇ……っ! パンがふわふわで、たまごがトロトロで……っ、ソーセージの肉汁が弾けて止まらない……っ!」
「あはは、ユナのほっぺた落ちそうだよ~。レイさん、おかわりありますかー?」
「ああ、パンならいくらでも焼くよ」
屈辱に震えながらも、フォークを動かす手は一切止まらない。
一口食べるごとに、全身の細胞が幸福感で満たされ、サキュバスとしてのプライドが消し飛んでいく。
「べ、別にアンタのために美味しく食べてるんじゃないんだからね……っ! 残したら勿体ないから、仕方なく……もぐ……っ、仕方なく食べてあげてるだけなんだからぁ!」
涙目で頬をリスのように膨らませながら、朝食を綺麗に平らげていくユナ。
その姿を、レイはどこまでも愛おしそうに、眩しい笑顔で見つめているのだった。




