第9夜
大人ならすれ違うのもどうかというほどの狭い道を、二人の子供が手をつないで歩いている。頭上を覆う木々の葉に遮られ、月の光はほとんど彼らの下には届かない。懐中電灯だけが頼りだ。
表情には緊張感が漂っている。気になる音がするたび、立ち止まって周囲を懐中電灯で照らしてみる。たいがいは自分が小枝や落ち葉を踏みしめた音なのだが、どうしてもビクついてしまう。そして、異変がないことを確認し、改めて緩やかな坂を登っていく。
異変がない? 本当か? まだ気づいていないだけなのでは? ここは森の中だ。自分たちが見たこともない、得体の知れない何かが潜んでいても不思議はない。歩を進めれば進めるほど、そんな疑心暗鬼が高まってくる。
「おっ、そろそろ来たな」
上空に張り出した太い枝に跨りながら、ツヤカは割り箸に結び付けた糸と、その先端に括り付けたこんにゃくに異状がないかを確かめる。さっきから長いこと暗闇にいるので、目は充分に慣れている。
子供たちのヒソヒソ声が近づいてきた。距離感を測り、ここぞというタイミングで糸を垂らす。音もなく宙を舞ったこんにゃくが一人の子供の首筋にピタリと貼りつく。
「ぎゃああああ」
こんにゃくの襲撃を受けた子供が大声で叫び、その場にへたり込む。ツヤカは素早く糸を引き上げる。もう一人の子供は何が起こったのかわからず、立ちすくんだままだ。そこを狙って第二弾の攻撃を仕掛ける。今度は半袖のシャツから出ている二の腕が狙いだ。
「ひぃぃぃ」
見事命中。もう一人の子供も尻もちをつく。
「何か触った。冷たいやつ」
「お化け? ねえ、お化け?」
「わかんないよ」
「早く行こう。もう、やだ」
二人は立ち上がると、脱兎のごとく駆け出した。瞬く間にツヤカの視界から消え去る。
「よし。次は三分後だな」
腕時計のデジタル表示を確認したツヤカは、真っ暗な樹上で、糸がほどけていないか、こんにゃくに欠けたところはないかを再度確認する。
子供たちは自然と小走りになっていた。何も追いかけて来てはいないはずだが、後ろを振り返る気にはなれない。からだ以上に気持ちが先へ先へと急ぐ。
少し開けた原っぱに出る。平坦で、これまでと比べると道幅も少し広い。ほのかに月の光が射している。ここまでくれば大丈夫と思い、ようやく歩を緩める。
「何だったんだろう、今の?」
「人じゃないことだけは確かだよね」
「この先も何か出るのかな? 出るんだろうな」
「怖いー」
怯えつつも、どこか楽しみながら歩いていくと、前方の岩陰に只ならぬ気配があった。子供たちの足がピタリと止まる。
「うわ、何かいる」
「人間じゃねえの?」
「お化けのお面、被ってるとか」
「そんなんじゃ、ちっとも怖くねえじゃん」
子供たちが見て見ぬふりをしながら通り過ぎようとした時、トカゲのように岩肌に張り付いていたアジポンは、ゆらりとからだを起こすと、突然、口から血のような何かを吐き出した。激しく痙攣しながら地面に倒れ込む。
「ぎゃあー」
「うわー」
絶叫し、全力で逃げ出す子供たち。その後ろ姿が見えなくなるのを待って、アジポンはゆっくりと起き上がる。岩陰に隠していたタオルで口を拭うと、トマトジュースの鮮やかな赤が染み込んだ。
この仕掛けで難しいのはトマトジュースを口に含むタイミングだ。早過ぎると持ち堪えられなくなって吐き出す前に飲んでしまうし、遅過ぎると子供たちに仕込んでいるところを見つかってしまう。ぎりぎりまで岩陰に隠れていることも考えたが、やはり岩肌に何かが張り付いているという不気味さは捨て難い。先日の女子高校生が言うところの、爬虫類っぽいという自分のキャラにも合う。
「次はもう少し遅らせてみるか」
ズボンについた土埃を払い、膝の屈伸をする。いざという時にすぐに動けるよう、準備には余念がない。
子供たちは茂みを分け入るように進んでいた。丈長の草が足元を撫でる。そこかしこを這っている蔓に躓きそうになるが、いちいち気にしてなどいられない。こうなったら一刻も早くゴールに辿り着きたい。
道が右に折れていた。その先は死角になっていて見えない。これまでの経験を活かし、子供たちは気を引き締める。
「あそこにまた何かいるんだよ」
「きっとそうだ。気をつけろ」
「今度こそ、やっつけてやる」
忍び足で、大きく回り込みながら近づいていく。前後左右に加え、上方にも抜かりなく注意を払いながら。
しかし、角を曲がると一気に視界が明るくなった。
「わあっ、グラウンドだ」
遠くにバックネットが見え、右に式台、左にはペンキの禿げたサッカーゴールがある。校庭だろうか。それにしては建物がないので、廃校になった跡かもしれない。
「スタートのところにいたお姉さんがさ、グラウンドに出たらきもだめしは終わりです、って言ってなかったっけ?」
「そうだ、みんなが来るまで、そこで待っててって言ってた」
「なあんだ、もう終わりか。意外と大したことなかったな」
「あんなので俺たちを脅かそうなんて、百年早いぜ」
軽口を叩きながら鉄棒のところまでやってきた彼らの肩に、背後から大きな手がそっと置かれた。振り返ると、アップになったニワトリの顔が間近に迫っていた。
一瞬にして血の気が引く。子供たちは声を発することもできず硬直した。
これが奥の手だった。終わったと言って安心させる。しかし、ラスボスはその後に出てくるのだ。音楽ライブだって、エンディングの後にアンコールがあるではないか。バンド経験のあるツヤカにとっては当然の発想だった。
イケが奇声を発する。甲高く、神経に障る声だ。
子供たちは弾かれたように一目散に逃げ出した。その後をイケが追う。羽のように手をバタバタとはためかせながら。もはやニワトリというより怪獣だ。
「おかあさぁん、おとうさぁん」
「うえーん、助けてぇー」
泣き叫ぶ子供たちをイケは容赦なく追いかけ回す。首から下はTシャツに半ズボンなのだから、落ち着いて見れば、マスクを被った人間であることはすぐにわかる。だが、不意を突かれた子供たちにそんな余裕はない。彼らの頭の中はニワトリの化け物のイメージで一杯なのだ。
同じ頃、ミヤコは小道の入口で、居並ぶ子供たちの相手をしていた。
「はーい。じゃあ、次の組、スタートね。お化けに負けないように頑張ってね」
遠くから微かに悲鳴が聞こえていたが、それを気づかせないよう、ミヤコは大仰なまでに明るく振舞った。




