第12夜
張り出した根に躓かないように、ツヤカは慎重に歩を進めていた。自分が踏み外したらミヤコもただでは済まない。急坂なだけでなく障害物にも事欠かない悪路だが、背負ってやると大見えを切った手前、相応の責任がある。
とはいえ、決して嫌ではなかった。むしろ逆だ。Tシャツ越しにミヤコの温かな息遣いが伝わってくる。首に巻きつく腕の細さが、とても愛おしいもののように感じられる。
ミヤコはミヤコで不思議な一体感に包まれていた。ツヤカが木の根に躓きでもすれば、自分も一緒に坂を転げ落ちていくに違いない。それなのに、不安な気持ちは微塵も湧いてこない。そうなったらそうなったでいいか。投げやりではなく、仕方なくでもなく、逆にそうなることを望んでいるような気さえしてくる。
父親に背負われた幼い日の記憶が思い出される。あの頃の自分は泣き虫で甘えんぼで、いつも誰かに守られていた。今も同じだ。自分を守ってくれる人がいる。揺るぎない背中で支えてくれる人がいる。ミヤコはそっと瞼を閉じた。
みゆきと呼ばれた女の子が傍らを歩いていた。怪我をしたミヤコを心配し、付き添ってくれているのだ。ときどき顔を上げてはミヤコの様子を窺っている。
「じゃあさ」
突然の女の子の問いかけに、ミヤコは閉じていた瞼を開いた。
「夏休みが終わったら、おねえちゃんとおにいちゃんは、お友だちじゃなくなるの?」
言われた意味を理解するまでに多少の時間が必要だった。
「どうして?」
「だって、転校していったお友だちは、もうお友だちじゃないよ」
女の子は寂しそうに下を向く。
「ずっと会ってないもん」
「会ってなくても、お友だちはお友だちでしょう?」
「うそ!」
女の子が叫んだ。ツヤカが立ち止まる。つられて女の子も立ち止まる。
「ずっと会ってなかったら、お友だちじゃなくなっちゃうよ。転校していったお友だちの顔、みゆき、もう忘れちゃったもん。きっと向こうだって、みゆきのこと忘れちゃってるんだよ」
女の子は悲しそうな表情をして二人を見上げた。
「おねえちゃんとおにいちゃんだって、ずっと会わないでいたら、きっと、お友だちじゃなくなっちゃうよ。忘れちゃうよ。アイシアッテるんなら別だけど」
返す言葉がすぐには見つからず、二人は無言になる。
ツヤカにはツヤカの、ミヤコにはミヤコの人生があり、別々に伸びてきた二本の直線がたまたま交わったのが今なのだ。二人が直線のままならいずれ離れていく。そして、再び交わることもないのだろう。人の出会いなんて、そんなグラフ上の一点のようなものなのかもしれなかった。
「じゃあ、みゆき、お友だちのとこ、行くね」
そう告げると、女の子は小走りに坂を下っていった。あっという間に姿が木陰に消えていく。二人は縦列から完全に取り残された。
時間だけが過ぎていく。聞いたこともない鳥の声が、悲しいほどに美しく響く。
風が凪いだ。
背中に押し当てられた柔らかな膨らみを通じて、ツヤカはミヤコの胸の鼓動を聞いた。最初小さかったそれは、意識するほど速く、大きくなっていく。微かに震える息遣いが、ツヤカの耳元をくすぐる。
「ここにはいつまでいるの?」
背負われたまま、ミヤコは両腕でツヤカを強く抱きしめた。
「明後日になったら出発することになると思う」
「そんなに早く行っちゃうの?」
「ここに来てもう一週間になるし、いつまでも居候してるわけにもいかないし」
「そんな、せっかく友だちになれたのに、すぐにバイバイなんて寂しいじゃない?」
ツヤカの首筋を冷たいものが伝う。それが汗なのか涙なのかはわからない。けれども、ミヤコの気持ちは手に取るようにわかる気がした。ツヤカのTシャツを握りしめるミヤコの手は、幼い子供のように必死だった。
バス停の標識を先頭に、子供たちが道路に沿って一列に並んでいた。最後尾にアジポンとイケがいる。対向車線側のバス停には古ぼけた木製のベンチがあり、ミヤコが一人で腰を掛けていた。その傍らでツヤカが電信柱に寄り掛かるように立っている。
「ありがとう。いろいろ手伝ってくれて。おかげでだいぶ助かったよ」
セミの声に邪魔されないように、ツヤカは腰をかがめ、ミヤコに顔を近づけて言った。
「ううん、押しかけたの、こっちだから」
「宿まで送ろうか?」
「大丈夫。だいぶ痛みも引いてきたし、降りたところから近いから」
排気音を唸らせて遠くからバスがやってきた。
「来たぞーっ」
アジポンの号令を受けて、子供たちが地面に下していたリュックを再び背負う。ミヤコとツヤカも音のする方角に顔を向けた。
「また会える?」
バスを見つめたままミヤコが訊いた。ツヤカは答えず、同じようにバスを見る。反対側のバス停でアジポンが大きく手を振っている。
「ツヤカーっ、置いてくぞーっ」
ミヤコは顔を上げ、諭すような口調でツヤカに話しかけた。
「明日までしかいないんでしょ? 明後日にはもう行っちゃうんでしょ?」
「……うん」
「ツヤカーっ、これ逃すと二時間は来ないぞーっ」
バスが停車し、子供たちが乗り込んでいく。ガラガラだった車窓がすぐに笑顔で一杯になる。全員が乗ったことを確認し、最後にアジポンがタラップに足を掛ける。
「ツヤカーっ」
「きっと会えるよ」
目を合わせずにそう言うと、ツヤカはダッシュで道を渡りバスに飛び乗った。間一髪のタイミングでプシューとドアが閉まる。
唸りを上げてバスが走り出す。見る見るうちに車体が小さくなっていく。長い真っ直ぐの道がカーブに差し掛かりバスが見えなくなると、ミヤコは振っていた手を膝に下した。
肩が震えている。誰もいなくなったベンチに一人残り、声を出さずにミヤコは泣いた。




