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30 矜持

 女騎士セリアスは、クチカ村から数kmほど離れた位置に一人佇んでいた。

 彼女はある一点、やがて敵がやってくるであろう方向をじっと見据えて微動だにしない。


 彼女はこの場所を決戦の地と定め、ここで敵を迎え撃つつもりであった。

 敵はまだ影も形も見えないが、いずれ視界を覆わんばかりの大軍勢がやってくる――そう思うとセリアスの心臓がドクンと跳ね上がる。


(……大丈夫だ。恐れるものなど何もない)


 セリアスは自分にそう言い聞かせて、乱れかけた心を静める。

 それと同時にゆっくりと息を吐き、知らぬ内に強張っていた筋肉を弛緩させた。

 それにだ、先ほどの『大丈夫』という言葉は、何もまったくの無根拠というわけではない。


 一万対一。

 なるほど、確かに通常であれば勝算など考えるのもバカらしい戦力差だ。


 しかし、それはあくまで通常の場合の話である。

 セリアスは今、その通常ではない武具を二つも手にしていた。


 一つ目は“清らかなる鎧”。

 白と蒼を基調としたその美しい鎧は、どんな攻撃をも跳ね返してしまうと伝えられている。

 また、この鎧は装備した者が負傷したとしても、たちどころに治癒させるというヒーリング効果をも備えていた。


 二つ目は“ムラサメブレード”。

 “断てぬものなし”と伝えられるほどの切れ味を誇る刀剣である。

 また、振るう者に超常の力――圧倒的な膂力りょりょくを与えるという効果も持っていた。


 “伝説”と言い伝えられるほどの武具が、二つも自身の手にあるのだ。

 であれば、この絶望的な戦力差であっても、ある程度の時間は稼げるだろうとセリアスは考えていた。


 そう、時間だ。

 元よりセリアスはこの戦いに勝とうなどとは思っていない。

 いくら伝説の武具を用いようとも、所詮それを振るうのはセリアス――ただの人間なのである。


 確かに剣の腕には多少の自信があるセリアスではあったが、それだけで一万のも大軍勢を退けられると思えるほど彼女は楽観的な人間ではなかった。


 しかし、この戦いに勝ち目など必要ない。

 あくまでこの戦いは、単なる命を懸けた“時間稼ぎ”に過ぎないのだから。


 セリアスは決戦に臨むにあたり、改めてクチカ村の住人たちに避難勧告を通達していた。

 ウィザーの元へ、“リルガミンの迷宮”へ避難するようにと。


 結果は前回と同じく、にべもなく断られてしまったが、実際目の前に危機が迫れば気が変わる者たちが必ずいるはずなのだ。


 つまりセリアスの目的は、クチカ村の住人たちが避難するための時間を少しでも多く稼ぐこと。

 一分一秒でも長く敵の足止めを行い、一人でもウィザーの元へ避難が出来たのであれば、この戦いは無駄ではなくなる。

 彼女が命を懸けた意味があったと言えるものになるだろう。


 懸念点があるとすれば、ウィザーが避難してきた村人たちを受け入れてくれるのかという点か。

 何故なら姫の時とは違い、セリアスはクチカ村の住人たちを匿ってもらう約束をウィザーに取り付けているわけではなかったからだ。


 しかしまあ、それはおそらく問題ない。

 きっとウィザーは、受け入れてくれるだろうとセリアスは踏んでいた。


 何故なら、セリアスにとってのウィザーの印象は、“魔”ではあっても“悪”ではない。

 むしろ“頼まれたらイヤとは言えないお人好し”――この一言につきるからだ。


 そもそもセリアスは、出会った当初からウィザーが悪人だとは思えなかった。

 命を助けられた恩があったからかもしれないが、それにしても伝承に伝えられるほどの残虐非道な人物像とは程遠い。

 尊大な魔王然とした態度も、セリアスにとっては子供が必死に偉ぶろうとしている――そんな風にしか感じられなかった。


 極めつけはクチカ村の住人たちだ。

 聞けば彼らは、ウィザーに無償で体の不調を治療してもらったという。

 しかも、なんの対価もなしにである。


 果たして根っからの悪人がそんなことをするだろうか。

 答えは考えるまでもなく否であった。


 他にも、侵入者であっても理由を付けて殺さない、自分を利用しようとした姫を追い出さない、ダンジョンを飛び出したセリアスをわざわざ迎えに来るなど――考えれば考えるほどにウィザーは魔王のイメージからかけ離れてしまう。


 そして、そんなウィザーだからこそセリアスは、姫を託す決心が付いたのだ。

 その際、ウィザーは最初こそ対価だなんだと言っていたが、セリアスが『どうか』と懇願すると渋々ながらも承諾する形となった。


 今回もそうだ。

 グチグチと文句を言いながらも、きっと最後にはクチカ村の住人たちを受け入れてくれるのだろうと、セリアスはある種の信頼をウィザーに寄せていた。


 人の弱味や善意につけこむ――これではどちらが魔王なのだか分かったものではないなとセリアスは自嘲した。


 この戦いに関してもそうだ。

 ウィザーに頼めばなんとかしてくれるかもしれない。

 『助けて』と訴えれば、文句を言いながらも助けてくれるのでは、という期待はある。


 しかし、だからこそセリアスの矜持がそれを許さなかった。

 これより行われる戦いは、あくまで先の戦争の続き――

 たとえ“リルガミンの迷宮”を攻略するために、クチカ村を侵略するのだとしても、今はまだ人間同士の戦いなのである。


 ならばウィザーを、今はまだ関係のないお人好しを、この戦いに巻き込むことはセリアスの矜持が許さなかったのだ。


「――覇気のない後ろ姿だ。そんなことで戦えるのか?」


 突如背後から声をかけられ、セリアスは驚きながらも振り向く。

 するとそこには、彼女がよく見知った顔の人物が佇んでいた。


「あ、貴方は――っ!?」


 その男はボロの服を身に纏い、手にした武器はただ一本のクワのみである。

 さりとて、それがどうしたと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべて戦場に立つ男。

 その男の名は――


「タ、タゴサク殿っ!?」


 そう、その男は“タゴサクさんちの新鮮野菜”でお馴染みの、あのタゴサクであった。

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