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『紫宸殿の戴冠と拒絶の美学』

二月の凍てつく風がようやく和らぎ、春の芽吹きを予感させる陽光が帝都ラーナの赤瓦を優しく照らし始めていた。

あの大動乱から数週間、紫宸殿の大広間では盛大な即位の礼が執り行われていた。亡きヴィンセントの後を継ぎ、新皇帝となった第二皇子。絢爛たる黄金の玉座に腰を下ろす彼の顔には、まだ怯えの陰が残る。その脇には、権力を握り直そうと目を光らせる皇太后と文官貴族たちが立ち並んでいた。

しかし、新皇帝の視線は、最前列に佇む漆黒の式典甲冑姿の青年に注がれていた。

「……これより、新陛下への祝辞を賜る!」

儀礼官の声に応え、イリアードが静かに歩み出て深く頭を下げた。

「セレスティア親王イリアード、謹んで新皇帝陛下の即位をお祝い申し上げます」

「うむ! 面を上げよ、イリアード!」

新皇帝は身を乗り出し、すがるような瞳で語りかけた。

「お前こそは帝国の真の守護者だ。……お前に頼みがある。このまま帝都に留まり、軍事の全権を担う『帝都元帥』の職に就いてくれ。永遠に朕の傍らでお前が支えてくれぬか」

絶大な権力を約束する言葉に、大広間が大きくどよめき、文官貴族たちは顔色を変えた。

だが、イリアードは微かに目を閉じ、一切の迷いなく言い切った。

「――――謹んで辞退申し上げます、陛下」

息を呑む新皇帝に対し、イリアードはまっすぐな眼差しで告げた。

「私の果たすべき真の責務は、南東の要衝セレスティア領を守り、辺境の安定を保つことにございます。私のような辺境の領主が長居をすることは、かえって宮廷の秩序を乱す元となりかねません」

イリアードは、至高の権力という名の甘美な罠を、冷徹なまでに蹴り飛ばしたのだった。


登場人物一覧表

* イリアード(第5皇子 / セレスティア親王)

* 18歳。母は身分の低い元宮女だが、己の剣と智謀で北方辺境の反乱を鎮圧してきた叩き上げの将。わずか100騎の親衛隊を率いて帝都の混乱を制し、新皇帝の「帝都元帥」就任要請を辞退して領地セレスティアへ帰還する。

* リゼリア

* 17歳。イリアードの正妻。古代の血脈を引き、広範囲の状況を見通す異能「千里眼(念視)」の能力を持つ。

* セシリア

* 16歳。イリアードの側室。古代の血脈を引き、心で言葉を交わす異能「精神感応(念話)」の能力を持つ。

* 新皇帝(第二皇子 / 元皇太子)アラリック

* 23歳。ヴィンセント皇帝の崩御に伴い即位。正妃(皇后)の出で血統の優位を持つが性格は頼りなく、弟イリアードに強く依存する。

* ヴァルハルト(第一皇子)

* 25歳。西南の豊かな領地を治める。誇り高く自尊心が極めて強い。弟の即位に激怒して私兵5,000を率いて挙兵するが、第3皇子軍の討伐を受けて戦死(あるいは捕縛)し落命する。

* 第三皇子イザーク

* 21歳。帝都郊外に精鋭5,000の正規軍を駐屯させる。叔父の大将軍とともに日和見を決め込み、暴走した第一皇子を討伐して手柄と貸しを作ろうと画策する。

* 第四皇子ロデリック

* 20歳。文官名門の出身だが本人には取り柄がなく、動乱中も後宮の奥深くに潜んで怯えていた。

* 第6皇子

* 15歳。武家出身の母を持つ幼い皇子。自陣営の館で固まって静観していた。

* ヴィンセント

* 大帝国の先代皇帝。絶対の権威として君臨していたが、二月の早朝に突如崩御した。

* 皇后(現・皇太后)

* 新皇帝(第二皇子)の母。同族の有力貴族・文官たちとともに宮廷の権力を握ろうと画策する。

* 大将軍

* 第3皇子の叔父にあたる重鎮。第3皇子とともに精鋭正規軍を率い、第一皇子軍を壊滅させた。

* 帝都近衛軍の将軍

* 八千の近衛軍を率いる野心家。第一皇子に内応して城門を開けようとしたが、第一皇子壊滅の報を受けた自軍の兵士たちの暴動により殺害された。

* 皇帝親衛隊の隊長

* 二千の親衛隊を率い、亡き皇帝への義と皇太子への忠義を貫いて反乱軍(近衛軍)と激闘を繰り広げた。

用語集一覧表

* 帝都ラーナ

* 大帝国の首都。赤瓦の街並みや巨大な城壁、紫宸殿・皇宮を擁する政治の中心地。

* セレスティア領

* 帝都から南東に850キロメートル離れた要衝で、第5皇子イリアードが治める寒風吹き荒ぶ城砦都市。

* 紫宸殿(ししんでん)

* 皇帝の遺体が安置され、また新皇帝の盛大な即位の礼が執り行われた皇宮内の大広間。

* 精神感応(念話)

* セシリアらが使用する古代の血脈の異能。声を出さずに特定の人物や広範囲の兵士の脳内へ直接言葉や意志を届ける能力。

* 千里眼(念視)

* リゼリアらが使用する古代の血脈の異能。遠く離れた場所や帝都周辺・敵陣営の情勢を遠隔で視察する能力。

* 帝都元帥

* 帝都防衛の全権(近衛軍および親衛隊)を統括する実質的な軍事最高幹部の役職。新皇帝からイリアードへ打診されたが辞退された。

* 帝都近衛軍

* 帝都に常駐する8,000人の治安維持部隊。将軍の裏切りや内紛により混乱したが、後にイリアードによって再編・掌握された。

* 皇帝親衛隊

* 皇帝の身辺を守護する2,000人の精鋭部隊。予備兵1,000人を加えて反乱を起こした近衛軍と皇宮内で激戦を繰り広げた。

* 皇太子近衛隊

* 皇太子(新皇帝)を直接護衛する1,000人の直属部隊。

* 二月の動乱

* 皇帝ヴィンセントの崩御を皮切りに、第一皇子の蜂起、近衛軍の内紛、第3皇子の介入、イリアードの100騎での電撃入城を経て収束した一連の覇権争い。


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