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『セレスティアの風と一〇〇騎の誓い』

帝都から南東に八百五十キロ離れた要衝、セレスティア領。寒風が城壁を叩きつける城砦都市の執務室で、第5皇子イリアード(十八歳)は、第一皇子からの密書を差し出してきた使者を、氷のように静かな漆黒の瞳で見つめていた。

イリアードの母は、かつて後宮の片隅にいた身分の低い宮女であった。他の皇子たちに比べればその血統はあまりに儚い。だが彼は、己の剣と智謀のみを頼りに北方辺境の凄惨な反乱を鎮圧し、若くして確かな軍功を積み上げてきた叩き上げの将であった。

使者が気圧されたように退室すると、イリアードは重厚な木製机に力強く拳を置いた。

「ヴァルハルト兄上が蜂起されたか……。帝都は血の海になるな」

その言葉が終わるやいなや、室内の扉が静かに開き、二人の少女が凛とした佇まいで足早に入ってきた。正妻のリゼリア(十七歳)と、側室のセシリア(十六歳)である。二人はいずれも可憐な容姿の中にどこか神聖で浮世離れした静謐な空気を纏っていた。彼女たちは古代の血脈を引く「精神感応(念話)」と「千里眼(念視)」の異能者であった。

「イリアード様」

リゼリアが涼やかな鈴の音のような声を響かせる。

「ただいま、念視にて帝都周辺の情勢を探りました。第一皇子軍五千は西南から進軍中。そして……帝都郊外に陣を張る第3皇子様のもとにも、ヴァルハルト様からの書状が届いております」

「第3皇子兄上の動きは?」

イリアードが問うと、今度はセシリアが閉じていた長い睫毛をゆっくりと持ち上げ、透き通った瞳を開いた。

「第3皇子様(二十一歳)は、叔父上である重鎮・大将軍と密談を重ねておられます。第3皇子軍五千は極めて精鋭。ですが、ヴァルハルト様からの使者に対しては、明確な返答を避けておられます」

「なるほど……無返答か」

イリアードは鋭い口元に微かな冷笑を浮かべた。

「第3皇子兄上和大将軍は日和見を決め込んでいるわけではない。ヴァルハルト兄上が帝都に近づき、疲弊したところを正規軍の力で叩き潰す気だ。己の威信を高めた上で、最も有利な形で皇太子に貸しを作る……それがあの叔父甥の企みだろう」

「では、第一皇子様からの支持要請に対し、イリアード様はどうなさいますか?」

リゼリアの真摯な問いに、イリアードは静かに立ち上がった。

「沈黙だ。兄上たちの醜い権力闘争に、セレスティアの領民を巻き込むわけにはいかん。だが……帝都の混乱を野放しにはできない」

イリアードは長剣を腰に帯びると、控えていた近衛兵たちを見回した。

「これより帝都へ向かう。連れて行くのは精鋭一〇〇騎のみだ」

「一〇〇騎!?」

セシリアが小さく息を呑み、胸に手を当てた。

「あまりに危険です! 帝都周辺には数万の軍勢が蠢いているのですよ?」

「大軍を率いて動けば、私まで謀反の意ありと見なされる。一〇〇騎ならば、ただの急報警護の名分が立つ。リゼリア、セシリア、二人も同行しろ。お前たちの『目』と『声』が、この土壇場で局面を左右する」

「御意に」

二人の妻は深く、力強く頷いた。


登場人物一覧表

* イリアード(第5皇子 / セレスティア親王)

* 18歳。母は身分の低い元宮女だが、己の剣と智謀で北方辺境の反乱を鎮圧してきた叩き上げの将。わずか100騎の親衛隊を率いて帝都の混乱を制し、新皇帝の「帝都元帥」就任要請を辞退して領地セレスティアへ帰還する。

* リゼリア

* 17歳。イリアードの正妻。古代の血脈を引き、広範囲の状況を見通す異能「千里眼(念視)」の能力を持つ。

* セシリア

* 16歳。イリアードの側室。古代の血脈を引き、心で言葉を交わす異能「精神感応(念話)」の能力を持つ。

* 新皇帝(第二皇子 / 元皇太子)アラリック

* 23歳。ヴィンセント皇帝の崩御に伴い即位。正妃(皇后)の出で血統の優位を持つが性格は頼りなく、弟イリアードに強く依存する。

* ヴァルハルト(第一皇子)

* 25歳。西南の豊かな領地を治める。誇り高く自尊心が極めて強い。弟の即位に激怒して私兵5,000を率いて挙兵するが、第3皇子軍の討伐を受けて戦死(あるいは捕縛)し落命する。

* 第三皇子イザーク

* 21歳。帝都郊外に精鋭5,000の正規軍を駐屯させる。叔父の大将軍とともに日和見を決め込み、暴走した第一皇子を討伐して手柄と貸しを作ろうと画策する。

* 第四皇子ロデリック

* 20歳。文官名門の出身だが本人には取り柄がなく、動乱中も後宮の奥深くに潜んで怯えていた。

* 第6皇子

* 15歳。武家出身の母を持つ幼い皇子。自陣営の館で固まって静観していた。

* ヴィンセント

* 大帝国の先代皇帝。絶対の権威として君臨していたが、二月の早朝に突如崩御した。

* 皇后(現・皇太后)

* 新皇帝(第二皇子)の母。同族の有力貴族・文官たちとともに宮廷の権力を握ろうと画策する。

* 大将軍

* 第3皇子の叔父にあたる重鎮。第3皇子とともに精鋭正規軍を率い、第一皇子軍を壊滅させた。

* 帝都近衛軍の将軍

* 八千の近衛軍を率いる野心家。第一皇子に内応して城門を開けようとしたが、第一皇子壊滅の報を受けた自軍の兵士たちの暴動により殺害された。

* 皇帝親衛隊の隊長

* 二千の親衛隊を率い、亡き皇帝への義と皇太子への忠義を貫いて反乱軍(近衛軍)と激闘を繰り広げた。

用語集一覧表

* 帝都ラーナ

* 大帝国の首都。赤瓦の街並みや巨大な城壁、紫宸殿・皇宮を擁する政治の中心地。

* セレスティア領

* 帝都から南東に850キロメートル離れた要衝で、第5皇子イリアードが治める寒風吹き荒ぶ城砦都市。

* 紫宸殿(ししんでん)

* 皇帝の遺体が安置され、また新皇帝の盛大な即位の礼が執り行われた皇宮内の大広間。

* 精神感応(念話)

* セシリアらが使用する古代の血脈の異能。声を出さずに特定の人物や広範囲の兵士の脳内へ直接言葉や意志を届ける能力。

* 千里眼(念視)

* リゼリアらが使用する古代の血脈の異能。遠く離れた場所や帝都周辺・敵陣営の情勢を遠隔で視察する能力。

* 帝都元帥

* 帝都防衛の全権(近衛軍および親衛隊)を統括する実質的な軍事最高幹部の役職。新皇帝からイリアードへ打診されたが辞退された。

* 帝都近衛軍

* 帝都に常駐する8,000人の治安維持部隊。将軍の裏切りや内紛により混乱したが、後にイリアードによって再編・掌握された。

* 皇帝親衛隊

* 皇帝の身辺を守護する2,000人の精鋭部隊。予備兵1,000人を加えて反乱を起こした近衛軍と皇宮内で激戦を繰り広げた。

* 皇太子近衛隊

* 皇太子(新皇帝)を直接護衛する1,000人の直属部隊。

* 二月の動乱

* 皇帝ヴィンセントの崩御を皮切りに、第一皇子の蜂起、近衛軍の内紛、第3皇子の介入、イリアードの100騎での電撃入城を経て収束した一連の覇権争い。


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