『氷鎖する帝都と白銀の激震』
建国より三百年を数える大帝国に、終わりの始まりを告げる昏い報せが駆け抜けたのは、粉雪が舞い散る二月の早朝であった。
「皇帝陛下、崩御――っ!」
帝都ラーナの宮廷は、一瞬にして氷に閉じ込められたかのような静寂に包まれ、直後に雷鳴のような怒号と悲鳴が交錯する大混乱へと陥った。絶対の権威として大陸に君臨していた皇帝ヴィンセントが、突如としてその命の灯火を散らしたのだ。
寒気が立ち込める紫宸殿の深奥。白磁の床に横たわる皇帝の遺体の周囲には、白い吐息を吐き出しながら、甲冑の擦れ合う硬質で重々しい音を響かせる兵たちの姿があった。
帝都には現在、治安を担う帝都近衛軍八千と、皇帝の身辺を守護する精鋭・皇帝親衛隊二千が常駐している。しかし、主を失った大蛇のごとく、その指揮権は宙に浮いていた。
後宮の深奥、重厚な絹織物の帳と絢爛豪華な金銀の調度品に囲まれた一室では、第二皇子であり皇太子を務める二十三歳の青年が、震える手で膝を抱え、閉じこもっていた。
「……父上が亡くなられただと? まさか、そんなはずは……」
青ざめた唇を震わせ、怯えを隠せない皇太子の傍らには、彼を直衛する皇太子近衛隊一千が、息を潜めるように厳重な警戒網を敷いている。皇太子の背後には、正妃である皇后、そして前皇帝の母である皇太后が控え、冷徹な視線で宮廷を見下ろしていた。二人は同族の出であり、宮廷の要職には彼らの血に連なる有力貴族たちが隙間なく名を連ねている。血統と宮廷工作の面において、皇太子の優位は揺るぎないものに見えた。
しかし、その安寧を血と鉄の武力によって打ち砕こうとする烈風が、帝都の外部で巻き起こる。
帝都から西南へ六百五十キロメートル。豊かな穀倉地帯を治める第一皇子ヴァルハルト(二十五歳)は、急報を受け取るやいなや、溢れんばかりの自尊心を露わにして激昂した。
「長男であるこの私が差し置かれ、後宮で女どもの裾に隠れているような弟が玉座に就くだと? 笑止千万! 帝国の主たるべき者は、強者でなければならん!」
豪奢な鷲の装飾が施された大剣を叩きつけ、自らを皇位にふさわしい唯一の器と信じて疑わないヴァルハルトは、直ちに領内の私兵五千を招集。自ら荒々しい馬に跨がり、帝都ラーナを目指して破竹の勢いで進軍を開始した。さらにヴァルハルトは、帝都郊外に駐屯する第3皇子、そして遠方に控える第5皇子へ早馬を飛ばし、自らへの支持を冷酷に打診させたのだった。
登場人物一覧表
* イリアード(第5皇子 / セレスティア親王)
* 18歳。母は身分の低い元宮女だが、己の剣と智謀で北方辺境の反乱を鎮圧してきた叩き上げの将。わずか100騎の親衛隊を率いて帝都の混乱を制し、新皇帝の「帝都元帥」就任要請を辞退して領地セレスティアへ帰還する。
* リゼリア
* 17歳。イリアードの正妻。古代の血脈を引き、広範囲の状況を見通す異能「千里眼(念視)」の能力を持つ。
* セシリア
* 16歳。イリアードの側室。古代の血脈を引き、心で言葉を交わす異能「精神感応(念話)」の能力を持つ。
* 新皇帝(第二皇子 / 元皇太子)アラリック
* 23歳。ヴィンセント皇帝の崩御に伴い即位。正妃(皇后)の出で血統の優位を持つが性格は頼りなく、弟イリアードに強く依存する。
* ヴァルハルト(第一皇子)
* 25歳。西南の豊かな領地を治める。誇り高く自尊心が極めて強い。弟の即位に激怒して私兵5,000を率いて挙兵するが、第3皇子軍の討伐を受けて戦死(あるいは捕縛)し落命する。
* 第三皇子イザーク
* 21歳。帝都郊外に精鋭5,000の正規軍を駐屯させる。叔父の大将軍とともに日和見を決め込み、暴走した第一皇子を討伐して手柄と貸しを作ろうと画策する。
* 第四皇子ロデリック
* 20歳。文官名門の出身だが本人には取り柄がなく、動乱中も後宮の奥深くに潜んで怯えていた。
* 第6皇子
* 15歳。武家出身の母を持つ幼い皇子。自陣営の館で固まって静観していた。
* ヴィンセント
* 大帝国の先代皇帝。絶対の権威として君臨していたが、二月の早朝に突如崩御した。
* 皇后(現・皇太后)
* 新皇帝(第二皇子)の母。同族の有力貴族・文官たちとともに宮廷の権力を握ろうと画策する。
* 大将軍
* 第3皇子の叔父にあたる重鎮。第3皇子とともに精鋭正規軍を率い、第一皇子軍を壊滅させた。
* 帝都近衛軍の将軍
* 八千の近衛軍を率いる野心家。第一皇子に内応して城門を開けようとしたが、第一皇子壊滅の報を受けた自軍の兵士たちの暴動により殺害された。
* 皇帝親衛隊の隊長
* 二千の親衛隊を率い、亡き皇帝への義と皇太子への忠義を貫いて反乱軍(近衛軍)と激闘を繰り広げた。
用語集一覧表
* 帝都ラーナ
* 大帝国の首都。赤瓦の街並みや巨大な城壁、紫宸殿・皇宮を擁する政治の中心地。
* セレスティア領
* 帝都から南東に850キロメートル離れた要衝で、第5皇子イリアードが治める寒風吹き荒ぶ城砦都市。
* 紫宸殿
* 皇帝の遺体が安置され、また新皇帝の盛大な即位の礼が執り行われた皇宮内の大広間。
* 精神感応(念話)
* セシリアらが使用する古代の血脈の異能。声を出さずに特定の人物や広範囲の兵士の脳内へ直接言葉や意志を届ける能力。
* 千里眼(念視)
* リゼリアらが使用する古代の血脈の異能。遠く離れた場所や帝都周辺・敵陣営の情勢を遠隔で視察する能力。
* 帝都元帥
* 帝都防衛の全権(近衛軍および親衛隊)を統括する実質的な軍事最高幹部の役職。新皇帝からイリアードへ打診されたが辞退された。
* 帝都近衛軍
* 帝都に常駐する8,000人の治安維持部隊。将軍の裏切りや内紛により混乱したが、後にイリアードによって再編・掌握された。
* 皇帝親衛隊
* 皇帝の身辺を守護する2,000人の精鋭部隊。予備兵1,000人を加えて反乱を起こした近衛軍と皇宮内で激戦を繰り広げた。
* 皇太子近衛隊
* 皇太子(新皇帝)を直接護衛する1,000人の直属部隊。
* 二月の動乱
* 皇帝ヴィンセントの崩御を皮切りに、第一皇子の蜂起、近衛軍の内紛、第3皇子の介入、イリアードの100騎での電撃入城を経て収束した一連の覇権争い。




