第2話 ミロクとの出会い
新米刑事・鏡シンジがある事件により自信喪失してしまう。そんなときに高校時代のクラスメイトから連れて行かれたのがアイドルのライブだった。第2話は鏡シンジがミロク推しになったいきさつを描いています。
オレは軒を並べる居酒屋やスナックのネオンがまだ灯らない昼下がりの繁華街にいた。
備長炭が売りの焼き鳥屋はまだ『只今準備中』の札がかかっている。
雑居ビルで明るいうちから営業しているのは食堂かネットカフェぐらいなものだろう。
インターネットカフェと呼ばれる店舗やネット環境を整えた漫画喫茶が登場して久しい。
備え付けのパソコンを使ってネット通信を行ったり、ゲームや動画を楽しめることから人気を集めた。
しかし匿名でネットにアクセスした場合、個人を特定できないためトラブルも少なくない。
「まったくもってサイバー犯罪の捜査で足止めを食うっつーの」とぼやきたくもなる。
それでも「インターネットカフェ条例」ができてからずいぶん少なくなったように思う。
ネットカフェなどでインターネット端末を利用するには、運転免許証など本人確認書類を見せねばならない。もし偽ったときは罰則が適用され罰金を払うことになる。
この日、まさに本人確認を偽っていることに気づいたネットカフェの店長が疑ったところ、男から顔を殴られたという。
そうなると傷害事件だ。
「了解。ゲンさんと現場に向かいます」
所轄署から連絡を受けたオレは早足で歩きながら“ゲンさん”こと円山源二刑事に事情を伝えた。
「ええか、シンジ。容疑者を刺激したらあかん。やんわりと言い聞かせて同行するんやで」
ゲンさんが釘を刺す気持ちはわかる。オレは捜査課に配属されて1年目の新米刑事なのだ。
「はいゲンさん。わかってます」
そう答えながら、自分自身を抑えきれず武者震いが起きた。
ネットカフェ・ダラスは普段から利用客が多いか店内はすでに人だかりがしている。
店長と客の騒動があったばかりなのでピリピリした感じだ。
カウンターの中で左頬に手を当てているのが店長だろう。
通路の奥で二人の青年に腕を掴まれて立ち尽くしている男がいた。抗うでもなく怒っている風でもないが、無表情なのはかえって薄気味悪い。
「店長さんから通報を受けて来ました」
警察手帳を提示するとカウンターの中から反応があった。
「こいつです!ニセの免許証を出したんです。注意したらいきなり殴りやがって。逮捕して下さい」
オレは店長の話を左耳で受けながら通路の奥へと歩を進め、男と対峙した。
「インターネットカフェ条例違反および傷害容疑で同行する。本当の名前を教えてもらおうか」
「……」
「黙秘のつもりか。まあいい。署でゆっくり話してもらおう」
オレは語気を強めて言い聞かせ手錠を取り出そうとした。
「いやだ!」
男は叫ぶが速いか背中を向けて抵抗する。
火事場の馬鹿力というやつか。
すごい力で青年二人に掴まれた両腕を振りほどき脱兎のごとく逃げてゆく。
「あっ。この野郎!」
オレも必死で追いかけた。刑事になってからこんな生々しい体験は初めてなので、なんとしても捕まえようと意気込む。
「おいっ!シンジ、無茶するなよ!」
後ろからゲンさんの声が聞こえたような気がする。
男は20代後半から30代前半ぐらいに見えた。オレとあまり変わらないはずだ。
なのに速い!オレも学生時代は徒競走でいつも上位だった。警察学校でもトレーニングを欠かさなかった。
なのにあいつの方が速い!少しずつ距離が開いていく。
キーッ
パパパパー
ドゴッ
車の急ブレーキとクラクションが響き、鈍い音がした。
ピーポーピーポー
しばらく呆然としていたらしい。我に返ったときは救急車のサイレンを聞いていた。
男は交差点で信号無視をして大型ワゴン車にはねられたのだ。
「オレ……なんてことを……」
アスファルトに膝をついてうなだれているとゲンさんがそっと背中をさすってくれた。
その一件があってから、オレはすっかり自信をなくしてしまう。
「刑事をやっていればそういうこともある。二度と起こさないように教訓とすることだな」
ゲンさんや先輩がたは慰めてくれるが、胸にぽっかりと空いた穴は埋まりそうにない。
辞めようとも考えたが、それは違うと思い直した。
とは言え「生きる屍」のような状態で勤務を続けていたから自然と噂が広がっていく。
ついに上司からしばらく休むよう言われた。
ひとり暮らしのアパートで日がな一日過しても気は滅入るばかり。
目を瞑れば容疑者の男が車にはねられる瞬間を思い浮かべてしまう。
腹は空くからコンビニに行くが、散歩もせずに帰ってくる。そんなことを一週間ほど繰り返していた。
土曜日の朝、高校の同級生からショートメールが届いた。
岩戸俊介。とくに仲がよいわけでもなく、卒業してから一度も会っていない。
「鏡くん。久しぶり。ちょっと会えないかな」
こういうケースはだいたい勧誘絡みだろう。
高校時代はオレと無縁の野球部だったヤツが、卒業していきなり実家を訪ねてきたことがある。
コンビニに就職したという。クリスマスケーキの予約をとるノルマがあるから買ってほしいというわけだ。体育会系ならではのハキハキとしたしゃべりで直球を投げられては断るわけにもいかず、予約した。
ヤツは12月24日にケーキを届けに来たが、それっきり音沙汰はない。
岩戸俊介もどうせその部類だろうと疑ったが、今のオレには人と会うことが必要なのかもしれない。そう前向きに考えて会うことにした。
有名なドーナツショップの前で立っていると、約束どおり夕方5時にやってきた。
「やあ鏡くん。待たせたかな」
彼もオレの顔を覚えていたが、オレも岩戸俊介だと一目でわかった。
相変わらず黒縁メガネをかけて、髪の毛を肩にかかるまで伸ばしていたからだ。
行きつけだという居酒屋に行くとまずは生ビールの中ジョッキで乾杯だ。
店の活気も手伝い、オレのセメントのような心が少しほぐれた。
岩戸がおすすめという分厚くて大きなホッケの開きを食べると、不足気味だったタンパク質を補うように染みわたる。
焼酎のお湯割りを注文する頃は二人ともほろ酔いかげんだ。
オレは頃合いを見て切り出した。
「岩戸。ずっと気になってたんだけどさぁ、なんでオレを誘ってくれたんだ。高校でもあまり遊んことなかったのに」
「風の便りに聞いたんだよ。君が警察をクビになって家に籠もってるらしいって。ボクらしくないけど、放っておけなくてさ」
「マジかよ。噂ってすげえな。ただクビにはなってないけどね。休養中ってとこかな」
オレもさすがに事故の一件こそ触れなかったが、思ったより話が弾む。
すると今度は岩戸から切り出した。
「鏡くん。酔いすぎないうちにもう一軒寄りたいところがあるんだ」
オレはきっとセールスか宗教の勧誘だろうと勘ぐりながらもつきあうことにする。
連れて行かれたのはライブハウスだった。
そんなところに行ったがない。初めての体験を前に緊張でアルコールも吹っ飛んだ。
「今夜は『テクニカルルーダ』の定期公演なんだ」
岩戸が推しているアイドルグループのライブがあるらしい。
オレは聞いたこともないしテレビで見た覚えもないから、“地下アイドル”というやつだろう。
とりあえず怪しい宗教団体の勧誘ではなさそうだ。
「ども。今日もよろしく」
「あ、ども。頑張りましょう」
岩戸は顔見知りのファンたちと挨拶なんかしている。かなりの常連らしい。
見たところ観客は100人程度か。
オレらより年上のおじさんがいれば、若い女の子もチラホラ目にする。
やがて会場の照明が薄暗くなった。
「テクニカール ルーダー」
男性の声で紹介されるとアイドルの登場だ。
「萌えキュン!萌えキュン!」
「タイガー、ファイヤー、サイバー」
岩戸をはじめ熱いファンと思われる連中はなにかに取り憑かれたように叫ぶ。コールというらしい。
最初は騒音にしか思えなかったものの、アイドルのパフォーマンスと呼応して相乗効果で会場全体のテンションが上がるように感じた。
オレはコールやオタ芸に目もくれず、ステージ上の彼女たちに魅了された。
華やかなのはもちろんだが、一生懸命に歌い踊る姿に衝撃を受けたからだ。
それほど感激したライブだが余韻に浸る暇はなかった。
「鏡くん、急いでっ」
岩戸に腕を引かれるままロビーへ連れて行かれた。
グッズ販売会が行われ、購入すれば数秒だが会話できるという。
あっという間に長蛇の列ができた。
「シーナちゃん。今日もキレキレだったね」
「きゃっ。シュンスケしゃんたらお上手。いつもありがとう」
岩戸は「シュンスケしゃん」と呼ばれて天にも昇りそうな笑顔を見せている。
「わたしミロク。たぶん初めてだよね」
油断しているとオレが並んだレーンの順番になっていた。
「ああ、鏡シンジです」
「じゃあシンジとミロクね。来てくれてありがとう」
オレは初めて経験したアイドルのライブをきっかけにメンタルを回復した。
岩戸俊介とはその後も何度か「テクニカルルーダ」のライブに行った。
しかしいつの間にか彼の姿を見なくなる。
風の便りによると別の地下アイドルに推し変したらしい。
それでも彼が恩人であることに変わりはない。
オレはと言えば、すっかり「テクニカルルーダ」の熱いファンとなった。
なかでもミロク推しだ。
自信喪失の苦しみから救い出してくれた彼女たちが、サタデーナイトフェスであのような酷いことをするとは今でも信じられない。
「なんとしても真相を突き止めてやる」
オレは心に誓った。




