第9話 イブキの過去
海及家は代々、九州にある霊山の麓で暮らし修験者たちの世話をしてきた。
イブキの父は三男ということもあって家業を継がずに大学に進み東京で就職。やがて会社の同僚から誘われた合コンで知り合った女性と交際し結婚にいたる。二人の間に誕生したのがイブキだ。
幼い頃は両親に連れられて父の実家に行ったような気もするが実はよく覚えていない。東京から九州の田舎町まで帰省するのはけっこう骨が折れるうえ、父の仕事が忙しいこともあって帰省できない年もあったように思う。
元気に育っていたがなぜか小学3年生のとき不登校になってしまう。両親は当の娘が理由を話さないため為す術がなく、悩み抜いた父が実家に相談したところ「こっちでめんどうみてやるから寄こせ」と提案された。環境が違えば心境が変わるかもしれないというわけだ。
イブキはしばらく祖母の元に預けられることになる。
祖母・海及カイは力仕事の多い山小屋を長男と次男に任せ、自身は霊山に登る修験者や観光客を相手に民宿を営んでいた。
当初は民宿の隅っこで置物のように佇んでいたイブキもさすがに居心地が悪くなり見よう見まねで配膳などを手伝い始める。
「おや、ありがとね」
微笑む祖母の言葉が嬉しくて積極的に動いていたらやがて客たちからも声を掛けられるようになった。
「小さいのに偉いな」
「ご飯おかわり」
「ビールもう1本」
注文まで受けるようになると頼りにされているようでますます張り切るものだ。
一週間もするとイブキはずいぶん明るくなり、祖母も満足げにうなずいていた。
同じ和室に布団を二つ並べて敷いて寝るのに慣れた頃、まだ豆電球を消す前に祖母が切り出した。
「なぜ学校に行かなくなったんだい?」
祖母は「行けなくなったのか」ではなく「行かなくなったのか」と聞くのでイブキは答えることにした。
「友だちや先生と話していたら、たまにだけど何を考えているかわかっちゃうの。自分が悪いことをしているみたいで嫌になって行くのをやめたんだ」
「そうかいそうかい。ありがとう、よく話してくれたね。ばあちゃんが聞いてあげたからもう大丈夫。ぐっすりおやすみ」
豆電球が消えて暗くなったらイブキは安心して瞼を閉じることができた。
翌日、民宿の仕事が一段落したところで祖母に呼ばれついてゆく。
イブキはその奥の間に初めて入った。
そこは学校の教室ぐらいの広さで床は木の板が張ってありピカピカテカるほど磨き上げられている。
見回せば天井も壁も白い綺麗な木で作られており、神棚や仏像どころかテレビすら見当たらずまるで道場のように飾りっ気がない。昔ながらのガラス窓から差し込む光がその分際立ち空間や床に描き出す模様をイブキは美しいと感じた。
部屋の中央に敷かれたござ座布団に正座して向き合う祖母とイブキ。
「いいかい、私が今からやることをしっかり見てしゃべることをひと言も聞き逃しちゃいけないよ。何を話したのかあとで私に教えておくれ」
祖母はイブキに言い聞かせると数珠を手に持って拝むように念じ始める。
「ムンタラホンダラソバサバムンタラムンタラ……」
口の中でモゴモゴと唱えるので何と言っているかよくわからないがそんな風に聞こえた。
祖母は人が変わったように念じ続けるのでイブキは瞬きもせずに集中していたところ、突然祖母の言葉が途切れて力が抜けたようにガックリとうなだれた。
「イブキよ。あなたは芸能の道に進みなさい。一つのことに夢中になれば人の心を読むといういらぬ力を出すこともなくなるでしょう」
祖母の声のようでもあり若い女性が話しているようでもある。
「あなたは誰?なぜ私のことを知ってるの?」
イブキは心の中で思っただけなのに声が答える。
「わたしはクニ。世間では出雲阿国と呼ばれてる。イブキよ。わたしはあなたをいつも見守っているわ。だから安心して自分の道を進みなさい」
「うーーん、おおっ、ありがたやありがたやムンタラホンダラ……」
正気に戻った祖母は頭を上げるとしばらく例の呪文を唱えていた。
イブキから話を聞いた祖母は「出雲阿国」がイブキの守護霊だろうという。
海及家の家系には少なからず霊媒師が生まれており祖母もその一人らしい。
イブキはその能力を見込まれて祖母が霊媒を行うときの補助役として同席を許された。
悩みが解消したことで学校に通えるようになったイブキだが、東京に戻ってからも夏休みには祖母を訪ねて霊媒師の修行を積む。
ある日、イブキが一人で霊媒を行っていたら自分の方から時空に飛び込む感覚があった。
気づけば出雲阿国が活躍した時代にタイムスリップしていたのだ。それどころか当の出雲阿国と出会い、彼女を連れて戻って来たので祖母が腰を抜かした。
守護霊ではなくリアルな出雲阿国が現代に居ることは歴史を歪めてしまうかもしれない。
祖母は「孫娘がいつもお世話になります。今日のところはどうかご自分の時代にお帰りくださいませムンタラホンダラ……」と手を合せて出雲阿国を苦笑させた。
出雲阿国が事情を察して素直に戻ってくれたから事なきを得たものの、イブキは二度と自分勝手に霊媒を行い時代を超えて召喚しないよう釘を刺された。
イブキにとって人の心を読む力は悩みの種だったわけで霊媒を禁じられても平気だった。
それよりも「芸能の道に進みなさい」という出雲阿国のアドバイスが強く心に残り、中学生になるとアイドルに憧れオーディションを受け続ける。
オーディション会場でよく顔を見かけたのがミロクだ。




