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第1話 無能力サポート、時給二千五百円でダンジョンへ



 黄金色の巨体が、空から降ってきた。


 猛烈な風が平原を薙ぐ。砂塵が舞い上がる。


 空を覆うほどの翼。金の鱗。縦に裂けた、黒い瞳。


 巨大な竜――ドラゴンロードが、大地を揺らして着地した。


 行く手を塞がれ、ひとりの少年が足を止める。


「そうか……ドラゴンだもんな」


 肩を激しく上下させながら、少年は竜を見上げた。


「飛べるよな、そりゃ」


 学生服は裂け、土と血に汚れている。額から流れた血が左目に入り、頬を赤く伝っていた。


 武器はない。防具もない。能力もない。


 それでも少年は、一度も後ろを振り返らなかった。


 ドラゴンロードが翼を畳む。雷鳴に似た唸りが、喉の奥から漏れた。


 少年が数歩、後ずさる。足がもつれ、膝から崩れ落ちた。


 竜が首を傾ける。逃げ遅れた小動物を眺めるような目で、倒れた少年を見下ろしていた。


 やがて、巨体が動く。


 一歩。


 足が地面を踏むたび、平原が揺れた。


 少年の顔が引きつる。唇が震え、浅い呼吸が喉の奥で鳴っていた。


 ところが、竜を見上げるその目には、恐怖とは異なる感情が滲んでいる。


 眉間に皺が寄った。


 泣き出しそうな顔が、ほんの少しだけ不機嫌そうに歪む。


「もっと……」


 掠れた声が漏れた。


 ドラゴンロードの顎が、ゆっくりと開く。鋭い牙の奥に、赤い光が灯った。


「もっと、上手くできたはずなのに……」


 咆哮が、平原を震わせた。



「時給千五百円か……」


 昼休みの教室。


 稲垣徹は、スマホの求人アプリを眺めていた。


 レジ打ち。品出し。店内清掃。高校生歓迎。


 どれも時給は千五百円前後だ。悪くない。むしろ高校生のアルバイトとしては、かなりいい。


 そう思ったところで、新着求人の通知が届いた。


『ゴブリン討伐 一体三千円


 素材回収手当あり・最大五十パーセント加算』


「……ゴブリン一体で、コンビニ二時間分かよ」


 思わず通知を開く。


 仕事内容は、初心者向けダンジョンでのゴブリン討伐。高校生、未経験者歓迎。装備レンタル制度あり。


 そして一番下に、小さな文字で注意書きがあった。


『※無能力者は応募できません』


「……そこなんだよなあ」


 徹は求人を閉じ、窓の外を眺めた。


 高層ビルの大型ビジョンに、ひとりの少女が映っている。


 風になびく白銀の長髪。真っ白なコート。少女の身体には不釣り合いなほど巨大な剣。


 彼女こそ、国内最強クラスのダンジョン攻略者――天使マリー。


 画面の下を速報が流れていく。


『天使マリー、本日緊急配信決定!


 ドラゴンロード討伐


 推定報酬――一億二千三百万円』


「……住む世界が違いすぎる」


 徹は苦笑して、視線を戻した。


 その視線の先、隣の席で、長い黒髪の女子が机に突っ伏している。


 綾瀬茉莉。二か月前に徹がこの学校へ転入して以来、ずっと隣の席だ。しかし、まともに話した記憶はない。


 目の下には、濃いクマがある。


 窓から差し込む日差しが、その顔にかかっていた。


 徹はカーテンを半分だけ引く。


 特に意味はない。日に焼けたら気の毒だな、と思っただけだ。


 始業のチャイムが鳴る。


 担任が教室に入り、クラスメイトたちが慌ただしく席へ戻るなかでも、綾瀬茉莉だけは動かなかった。


「綾瀬。もう授業始まるぞ」


 反応はない。徹は仕方なく、その肩を軽く叩いた。


「綾瀬。先生、呼んでるぞ」


「……あと五分」


 教室に小さな笑いが起きる。


「まったく、綾瀬は……」


 担任も慣れているのか、それ以上は追及せずに授業を始めた。


 授業中はほとんど寝ており、放課後になると、いつの間にかいなくなっている。


 変わったやつだ。


 徹はそう思いながら、担任に見つからないよう、もう一度求人アプリを開いた。


 ゴブリン一体三千円の求人を削除し、コンビニの面接申し込みへ進む。


 無能力者の自分に、ダンジョンの仕事は関係ない。


 そのときは、本気でそう思っていた。



「今日は新天地町付近でコボルトが出たらしい。寄り道せず、気をつけて帰れよ」


 帰りのホームルームが終わった。


 教室のあちこちから、放課後の予定を話す声が聞こえてくる。


「今日、第五層行かね?」


「ゴブリン、先週より五百円も値下がりしてんじゃん。パス」


「マリー様の配信とマイト君の配信、時間かぶってるんだけど」


「二窓するしかないだろ」


 ――東京、怖い。


 二か月前、千葉から東京都ダンジョン区へ引っ越してきた徹が、最初に受けた衝撃。


 それは、この街の高校生が放課後にカラオケではなく、ダンジョンへ行くことだった。


「トオル、ちょっといいか?」


 声をかけてきたのは、クラスメイトの三枝誠だった。


「なんだ、マコト。金なら貸さないぞ」


「借りねえよ。俺が一度でも貸してくれって言ったことあるか?」


「多分ない」


「多分なんだ……」


 誠は苦笑してから、徹の机に手をついた。


「今日、暇か?」


「忙しい」


「即答かよ」


「バイト探してんだよ。前のところ辞めたから、今は無職なんで」


「高校生を無職とは言わねえだろ」


 ふたりで笑う。


 それから誠は、少し声を落とした。


「今日、一緒にダンジョンへ行かないか?」


 徹の肩がわずかに跳ねた。


「いや、俺、能力ないし」


「知ってる。戦ってくれって話じゃないんだ」


「じゃあ、何の話だ」


「今日、配信の予定なんだよ。なのに機材と荷物を持つ相方が、風邪で寝込んだ」


「災難だな」


「イベントスタッフのバイト、やってたんだろ? 機材運びとか素材回収とか、手伝ってくれると助かる」


「悪い。今はバイトを探さないと」


「手伝ってくれたら、バイト代出すのにな」


 徹の手が止まった。


「ちなみに、おいくら?」


「二時間で五千円」


「やる」


「早いな!」


「時給二千五百円は魅力的だろ」


 徹は求人アプリを閉じた。


「で、集合は?」


「午後六時、第三ゲート前。第二層で雑魚を狩るだけだから、危険もほとんどない」


「了解だ、相棒」


 ふたりは親指を立て合った。


 誠が自分の席へ戻ったあと、徹はふと隣を見る。


 つい先ほどまで寝ていたはずの綾瀬茉莉が、消えていた。


「……いつの間に帰ったんだ?」



 校舎の屋上に、綾瀬茉莉はいた。


 フェンスにもたれ、スマホの画面を眺めている。


 表示されているのは、配信開始前の待機画面だった。


『マリー様待機』


『今日はドラゴンロードだって!』


『一億超えの討伐、楽しみすぎる』


『もう現地かな?』


『配信まだー?』


 開始まで、まだ時間はある。


 それでも待機人数は増え続け、コメントも途切れる気配がない。


「みんな、暇なのかしら……」


 茉莉は小さくあくびをした。


 昼休みの教室にいたときと同じ、眠たげな目をしている。


 画面の中央では、配信開始までの時間がゆっくりと減っていた。


『天使マリー緊急配信


 ドラゴンロード討伐


 配信開始まで――あと三十分』


 茉莉はフェンスから背を離した。


 その瞬間。


 半分閉じていた瞼が上がる。


 眠気の残っていた瞳から、気だるさが消えた。


「さて」


 短く呟き、スマホをポケットへしまう。


 茉莉が見据えた先。


 高層ビルの合間に、ダンジョンへ続く巨大なゲートが口を開けていた。


「今日も、仕事ね」



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